移植
どんぐり先生はじめまして。
先日オランダよりCDをお願い致しました●●と申します。
おかげさまで昨日無事CDを受け取らせていただきました。
迅速に対応していただき本当にありがとうございました。
どんぐり倶楽部さんのことは小3の息子の学習方法で悩んでいた時にM学習のK先生のところで知りました。
私には子どもが三人おり、それぞれシュタイナー学校の中、小、幼稚園に在籍中です。
<中略>
そんな時どんぐり倶楽部さんと出会いどんぐり先生のお考えに深い共感を覚えました。
先生のお考えにシュタイナーとの共通点が感じられたからです。
先生のご本やHP.過去ログを読ませていただくうちに、
してはいけない学習はさせてはこなかったものの、
しなくてはいけない学習もしてこなかったのではないか
と今の息子の様子を見て強く感じています。
先月より週一回のペースでどんぐり問題に挑戦していますが、
文章をよく理解せずただ数字合わせをして答えを出そうとしているのがわかります。
「よく考えてごらん」と言えば「分からない」「出来ない」と言い、
明らかに考える力が育っていない事が分かり大変ショックでした。
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*まさに、そのとおりです。
*キチンとショックを受ける。
キチンと対処する。
覚悟が決まれば、対策はある。
...何と言っても、今は「どんぐり倶楽部」があるのですから。
「どんとこい」です。
「すべきこと」
時代によって、環境によって、基礎学力(生きる力)は変わってきます。
一時期は、商売で使える技能「読み書き計算」が基本でした。
なぜなら、生計を立てる術の中心がこれであり、それで、生きていけたからです。
使われる身ではありますが、生きてはいけました。
ですが、現代は、そんなに甘くはありません。
体が丈夫で「読み書き計算」ができるだけでは、
生きていくことさえ難しい時代なのです。
賢いだけでも、生きてはいけません。
現代は、豊かな感情とともに、バランスよく、高度な論理的抽象思考を身につけておかなければ生きてはいけない時代なのです。
それなのに、人間的な人間を育てるための教育環境は最悪です。
さらに、既存の学習方法では、論理的思考を身につける際に、感情を殺してしまうパターン学習しかありません。
これでは、マリオネット人間やアンバランス人間になってしまいます。
どんぐり式の学習は、感情再現をしながら、無理なく無駄なく、効果的に「感情教育」も「論理的思考力養成」もできる学習方法です。
現代では、必要でありながらも今までなかった方法が要求されてきたのです。
どんぐり式は、人間が人間らしく生きるための<時代の要請>なのです。
ですから、「どんぐり」は、全てが新しいのです。
どんぐり式教育が「New Education」と呼ばれる所以です。
どんぐり式学習は、現代において、
身を守るための学力=現代の<生きる力>
と言っても過言ではないでしょう。
手間ひまかけて、感情教育はしてきた。
食事にも言葉にも気をつけて感性も育ててきた。
芸術鑑賞にも行かせた。
なのに、勉強となった途端に、勉強では感情を殺す
【パターン学習】を<させる>ことに違和感を感じない。
あるいは、感じでも<させて>しまう。...これでは、水の泡です。
分かっているはずですね。
感情を殺す材料は感情を味合わない時間を作ることです。
幼児・児童期には、勉強と平行して感情教育がされる期間です。
ですから、勉強をしている時に、感情を殺す方法で勉強をしていたら、
それまでの感情教育は見事に崩れ去ります。
感情を再現しながらも勉強をする方法は、
今のところどんぐり方式しかありません。
無料です。使わないとしたら、
「えりゃ〜損してまっせ!」
どんぐり倶楽部が、この方法を公開するまでは、方法がなかったのですから仕方ありませんでしたが、
今は公開されているのですから、使いましょうよ。こっそりでもいいですから、使って下さい。
親の為にではなく子供の為にお願いします。
昔は、そんなことをしなくても、偶然が手助けして感情を潰さずに住む環境がありましたから良かったんです。
ですから、公開もしていませんでした。
ですが、もうダメです。
これだけ、感情を回復させるチャンスが潰されている現代では、子供の自己回復能力だけでは守りきれません。
ここは、積極的に介入して感情保護を進めなければ守り切ることは出来ません。
特に、幼児期に、感情育成をしてきた人にはお願いします。
「ゆっくり、ジックリ、丁寧に」お願いします。
子供達を宜しくおねがいします。
具体的に何をすればいいのかは、どんぐり倶楽部の無料体験学習で体験して下さい。
<どんぐり体験学習会2014>
継続を前提とはしておりませんので、全国から参加可能です。
年に一度、海外から参加という方もいらっしゃいます。おおいに結構です。
参加資格等もありません、大人だけでも結構です。子供だけでも結構です。
色鉛筆とクロッキー帳(大)だけ持参下さい。問題は配布します。
<日時・場所>
*2014.07/30(水)
A→13:00-14:00
B→14:00-15:00
C→15:00-16:00
D→16:00-17:00
高宮・アミカス:研修室D<定員20名>
*福岡です。
*子供だけ、大人だけでもOK:塾の先生が受講するのもOK:学校の先生でもOK:制限はありません。
*連絡先をコチラで控えることもありません。コース指定と参加人数のみお知らせ下さい。
*申し込み先:返信にて受付可否を通知(定員になり次第締め切り)
→donguriclub@mac.com<件名:体験学習20140730>
・希望コース
・参加人数
・質問など
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<どんぐり倶楽部の夏2014>を紹介します。
■夏英語<2014.07/26-27><2014.08/30-31>
■どんぐり倶楽部の無料体験教室・無料相談会(受験相談可)<2014.07/30>
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●夏英語DONGLISH
→申し込み:donguriclub@mac.com(お問い合わせもメールでどうぞ)
→オンラインショップ
*英語講義コーナーより
Donglish-003:SunShineを使った夏英語:中学3年間の英語を2日でマスターする講座 in 2014
→動画で見てみる:2日出来る理由が分かります!
件名:Donglish-20140726参加申請(第1回)
件名:Donglish-20140830参加申請(第2回)
*払込は後日(参加1週間前まで、HPのオンラインショップから
あるいは、当日持参でお願いします。
●中学校の教科書SUNSHINE book -1.2.3を使って
中学3年間の英語を2日間でマスターする講座です。
・納得英文法
・語句順訳
上記2点を身につけます。
対象:中学生以上(大人でもOK)
場所:第1回→(福岡県の能古島:港から徒歩1分)/第2回→(福岡県の高宮アミカス:高宮駅から徒歩0分)
〒819-0012
福岡県福岡市西区能古450
〒815-0083 福岡市南区高宮3丁目3-1
福岡市男女共同参画推進センター・アミカス
TEL:092-526-3755
受講費用:30000円(2日間)
宿泊等は各自で用意すること
親族での参加は割引あり(1人につき5000円の割引です→2人目から25000円)
*テキストは今年度版のSUNSHINE1.2.3を各自で持参すること。
*録画録音は自由です。なるべく、受講中はノートを取ることではなく理解することに注意して下さい。
<時間:予定>
●7/26日-10:00〜13:00(3h)
●7/26日-14:00〜19:00(5h)
●7/27日-10:00〜13:00(3h)
●7/27日-14:00〜18:00(4h)
合計:15時間
<時間:予定>
●8/30日-13:00〜21:00(8h)
●8/31日-09:30〜13:30(4h)
●8/31日-14:00〜17:00(3h)
合計:15時間
<内容>
*福岡市教育委員会指定の教科書(現段階ではSUNSHINE-1.2.3)中1・2・3の3冊を使います。
公立中学校で使っている教科書です。
●英語が苦手でも理解できる「納得英文法」※一般的な文法書には書かれていない納得できる英文法です。
●速読速解を可能にする「語句順訳」※聞いているだけで、読解・作文・文法が分かるようになります。
●簡潔で分かりやすく、英語が苦手な子にも効果的で、必ず「英語がわかっちゃった状態」になる指導法もマスター出来ますので、指導者の方の参加も歓迎します。
1.教科書だけで講義しますので、参加者は各自で準備すること。(教科書取扱店にて購入可能)
2.参加者は、中学在校生、やり直しをしたい高校生以上の方々(小学生以下は不可)
※今回、小学生用の「英語を一切使わない英語学習」はしません。
3.1日で1年間分をしますので、時間的には長いです。軽い食事をしながら出来るように考えています。
4.講義中にメモは取らないほうがいいです。聞いて、板書を見て、その場で理解して頂きます。
・中学在校生と高校以上〜大人まで(先生も聞かれたほうがいいと思います)
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移植
どんぐり倶楽部の糸山です。
>この園(シュタイナー教育の園)の保護者の方に話しを聞く限り(もちろん全体としては少ないですが)一年生の単元からつまずいている、文章問題・応用になると さっぱり、という声ばかり聞こえてきます。やっぱりこれが感情教育偏重の現状なのか・・・と感じています。
●根本的に対応していないと言うことです。
「していない」とは、「対応しないことがシュタイナー」だと言うことです。
悪い意味ではありませんが、対応しないのです。
対応する意図も意志もなければ、元々、学力を育てると言う視点そのものがないのです。
それは、シュタイナーの学力の定義が浅薄で表面的なものだったがゆえに、人間形成には不要で有害なものであると判断されていたからです。
人間形成をするためのものがシュタイナーにとっては教育だったのですから、そういう意味では正しい判断なのですが、じつは、彼が考えた学力そのものが、捉え直すことによって、人間形成の最も重要な核になるものであったのですが、彼はそれをしませんでした。
この、学力そのものの捉え直しをするという考えは、どんぐり倶楽部が初めて、定義したものですから、どんぐり以前には、誰も思いもしなかったことなのです。
つまり、シュタイナー教育は、学力不要時代の人間形成には十分に作用していたが、現代と言う学力も基本要素とする人間形成を求められる時代では、そのまま使ってはいけない教育だと言うことです。
これらのこと(時代と人間形成)を図式化したものが下記である。
<作成中>
学力養成(高度な理論的抽象思考力養成)については、シュタイナー教育では、理論も方法も持っていませんのでできませんし、持っていたとしても、理論構成上オプション設定にならざるを得ません。
本国での13年目のオプションがこれに相当します。
そして、このオプションを見ればわかりますが、そこには、なんの工夫もなく、既存のパターン学習が取り入れられています。つまり、学力養成に関しては、シュタイナーにオリジナルはないのです。
これは、現代においては、明らかに、片手落ちです。
この片手落ちが、最後まで尾を引くのです。
現代を自由自在に生き抜けるために、時代が要請している思考力を作れずに育て終えるのですから。
人間形成における普遍的部分は、誰が研究しても、同じ結論に辿り着くのは、当然である。新人類が生まれてくるまでは、人間は人間ですからね。
しかし、時代が求める部分は、その時代を正確に分析した上で、普遍的部分の教育との整合性を持たせることが出来た人のみが作り出すことが可能な分野なので、
どちらにも精通している必要がある。従って、その様な人物に出合うのは非常に難しいことと同様に、時代を反映した教育を確立することも難しいのは言うまでもない。...が出来るんです。
<New Education とは>
21世紀という現代において、子育てと教育を分割せずに、教育を子育ての一部として融合させることで、自然に、無理なく無駄なく効果的に、本当の学力(すべての学カの素)を育てる教育である。
本当の基本と考えられていたのならば、学校で全員に身につけさせていたハズですが、そうではありませんでした。ということは、考える力はオプション扱いだったのです。
なぜ<New>なのかをお話しします。
これまでは、学カは、オプションと考えられて来ました。
もちろん、学校では学力アップをうたってはいましたが、それは基本ではなく、オプション扱いでした。
ですから、学力養成は個人の責任であって、学校の責任ではないのです。なぜなら、それでも、これまでは、オプションがなくとも生きて行くことができたからです。
ところが、現代は全く違う時代になってしまったのです。
感味力と同じように本当の学力も基本として育てなければ、生きて行くことはできない時代になっているのです。
ですから、現代では思考力養成も義務教育の中で完結させなければならないのです。これまでの人間教育の中に、学力養成は入っていなかったのです。ですから、子育てと教育が、バラバラに扱われ、その結果として、子育ては、上手くいっていたのに、教育となると、子育ての考えとは合致しないことを、平気でしてしまうのです。
バラバラ教育がバラバラ人間を育てるのは当然です。
常に、子供は、「育てたようにしか育たない」のです。
シュタイナー教育などは、この点でもハッキリしているので、学力養成事体をカリキュラムに入れておりません。というよりも、シュタイナーには、それができませんでした。すると、当然のことながら、社会で求められている、自由に生きていける人間形成の教育とはズレが生じます。
そこで、時代の要請に対応するために、13学年での学力養成プログラムを付け加えているのです。本来であれば、学力養成も正式なカリキュラムの中に溶け込ませて、正式なカリキュラムの中で、キチンとすべきなのですが、教育を学力を除く人間育てという、狭い人間教育に限定してしまったがゆえに、時代に対応できない教育論にならざるを得なかったのです。教育論ではなく、人間形成論なので仕方ないのですが、世間では<教育>と勘違いしていますし学校まで作っていますので、教育として論じなければなりません。
彼が、学力養成を除外した要因はもちろんあります。彼が知っている学力養成方法であるパターン学習は、幼児・児童期の人間形成において非常にマイナスがあるからです。これは、正しい分析でした。つまり、学力養成は、感情を殺しながら理論的思考ができるようにすることだと考えていたのです。
ここで、新しい学習方法を模索すればよかったのですが、そうはしなかったのが残念です。
この新しい思考力養成方法の開発ができなかったが由に、<子育て>と<教育>という本来は統合されるべきものが、今だに、真逆の方法で進められているのです。
統一された手法には、革命的な統一理論が必要だったのです。
「子育てと教育の大原則」には、この統合された理論が展開されています。
どんぐり倶楽部には、「教育の統一場理論」と「子育てと教育の統一理論」があります。
どんぐり倶楽部は、この思考力養成の中で子育てと全くズレることなく、人間育てと同様の方法で人間的な判断力を伴った思考カ養成の方法を確立させています。
モンテッソーリは、いち早く、学力の重要性に気付き子育ての中にとり込んで来ましたが、残念ながら、その手法は、パターン学習への予行演習にすぎないものでした。
体験を中心に添えるという多少の改善はあったものの、既存のパターン学習から抜け出せたわけではありませんでした。
ここで、少しシュタイナーを弁護します。
高度な理論的抽象思考が、大きな意味での人間形成(Basic humanbeing Education)に必要かと言うと、結論としては、不要です。
ですから、シュタイナーは、高度な理論的抽象思考の養成を正式なシュタイナー教育としてのカリキュラムの中には、取り入れていないのです。
世間という当時の時代もまた、そこまでは、要請していなかったので、 当時はそれで、全体としても良好だったのです。100年ほど前のことですから当然のことでした。
*シュタイナーの生存期間は
*1861.2/27(万延2)〜1925.3/30(大正14年)<享年64才>
<参考>*1933年:文部省著作兼発行:国語の教科書
……………………………………………………
ところが、時は移り変わり、時代の要請するものも変わってきました。
ですが、シュタイナーは一度完結した理論ですので、その変化した時代の要請に応えることは物理的にできません。
一度完結した理論を本人以外が修正することはできないからです。
これを変えるには、シュタイナーそのものを凌駕する理論が必要だからです。
そこで、本カリキュラムではないという建前で、13年目からのパターン学習を設定しています。ここが、オプションと考えられている、時代の要請に対応している部分です。
本来なら、この時代の要請も含めた教育理論を—から作り直すべきなのですが、それをできる人は、シュタイナーの世界には存在しません。シュタイナー教育そのものの根底からの否定になるからです。
つまり、現代で本当に、生きる力を持った人間形成をするには、時代が要請する、高度な理論的抽象思考の養成も、基本的な要素とに取り入れた教育理論が必要であるにも拘わらず、シュタイナーでは、構造的にそれができないということである。
ただし、シュタイナーでは、ある程度のオリジナルの思考回路はできますので、13年目から始まるパターン学習でも壊れない場合が多いので、13年目まで進むことが許されれば、結果は良いのです。これは、当然、予測出来ることですし、検証結果も予想を
ただ、13年目まで行けない子、本来なら行けるハズだった子が途中でリタイアしていることは、現代の中で生きのびる力を持たせてあげられないことを考えると大きな問題を抱えていると言わざるを得ません。
どんぐりは、最初から、高度な理論的抽象思考力養成を取り入れてあります。
どんぐりは、高度な理論的抽象思考力養成をも、生きる力の基礎的な力と考えているからです。
ですから、全ての子供達が、シュタイナーで言うところの13年目に進むことができるのです。
もう一点は、バランスです。
現代の環境を考えると、シュタイナーで育てるバランスは、現代が要する環境には合っておらず、不足していると考えざるを得ない。
つまり、シュタイナーでいうところの、理想的な子は、現代では、自由に生きて行くことができにくいアンバランスな教育を受けていることになるのです。
情が勝って、理が貧しているからです。
昔は、それ位が丁度良かったのですが、現代では、アンバランスなのです。
子供の能力の問題ではありません。
これは、アレンジという調整の問題なのですから、ひとえに、指導者側の役割なのですから。
教育内容によって、育てられる力とその子が生きていく、実際の環境を比べて、キチンとバランスを取ってあげることが指導者の役目なのです。
その点でも、シュタイナーのバランスは、100年前の世間を相手にしているものでなので、現代では、非常にアンバランスになってしまっています。
皮肉なことですが、その時代をよく分析してできあがった優秀な理論であったがゆえの欠点と言えるでしょう。
つまり、現代では、必然的に、非常にアンバランスな子供を育てることになってしまうのです。
この時に、社会が狂っているのだから、この教育でいいのだという人がいますが、どうでしょうか。
社会の中で、自在に人生を楽しむことが出来るように育てることが教育の目的です。少なくとも、そう考えるならば、社会の方に責任を転嫁して、理論に工夫を加えないことは教育そのものを勘違いしているのだと思います。
工夫で対応できることを怠ったと判断せざるを得ません。
実際に、どんぐり倶楽部の理論は十分に対応できているのですから。
もちろん、12才以前の「ヒトから人間へと激変する成長期」に、人間的成長を阻害せずに、高度な学力を育てるには、特別な理論と方法が必要となります。
それを確立したのが「どんぐり」です。
シュタイナーは、これを一切持っていません。
そもそも、高度な理論的抽象思考力養成を、カリキュラムの中で扱っていないのですから、持っていること自体があり得ないのです。
従って、当然ですが、現代では必要とされるこのカを育てるためのカリキュラム自体が存在しないということは、現代には、対応できていないということなのです。
New Education の意味は、前述したように、現代が要請する人間形成の中に高度な理論的抽象思考力養成も、取り込んだ教育理論だからです。
つまり、21世紀が求める高度な理論的抽象思考力養成を含んだ人間形成理論なのです。
今までは、バラバラに教えられていた対局のものを融合し全く新しい1つのものにしてしまった理論なのです。
●どんぐりとシュタイナーが、決定的に似ている部分と決定的に違うところを明確にしておきます。
似ている点は、成長過程に沿った方法で教育を進めている点です。
決定的に違う点は、
どんぐりでは、高度な理論的抽象思考の養成も、最初から組み込んで、無理なく無駄なく、効果的に養成できるように仕組んである点です。
どんぐりは、21世紀に生まれた教育理論です。
つまり、21世紀の子供達を対象に、分析して、出来上がった教育理論なのです。
ですから、新しい時代が要請している、高度な理論的抽象思考の養成も、最初から組み込んであるのです。
そして、それ以外の人間形成の部分では、シュタイナーと同じ結論にたどり着いているので、必然的に同じ様な教育方法となっているのです。
ただし、この部分でも時間的なこと、つまり、子供の成長度合いの変化に伴う修正がされている点は、多少違っています。時代環境の劇的変化が子供達に環境適応という形での変化させたと思われますが、最初の区切りは7才ではなく、5才とするのがどんぐり式です。
さらに、5才までの中でも2才まで、3才まで、5才まで、と区別をします。
この最初の区切りとなる幼児期の、7才とする場合と5才とする2年間の差は、子どもと大人の敏感度を考えると、成人の20年間位にも相当する期間と考えられますので、この違いは、高度な理論的抽象思を育てる準備には非常に重要な期間といえるのです。
この、どんぐりの背比べと思われそうな時期の2年間のズレは、実は、致命的な差を生むことになるのです。
というのも、この期間に、思考の原型となる文字を絵図に移し換える練習を積み、自分のオリジナルの思考のベースとすることを普通にするようになっていると、
思考の準備を無意識に整えることができるのですから、その恩恵は、一生続くことになるからです。
この準備は、その後の高度な理論的抽象思考の形成の基になるからです。
蛇足ですが、シュタイナー小学校に行くための費用
(初年度納入金:約976,000円<学校法人シュタイナー学園:神奈川>)
を考えると、
7年間で7000円、年間1000円しかかからない「どんぐり」は、全世界が取り入れるべき教育であるといえるでしょう。
同じ教材を使えるのですから、2人なら、一人あたり年間500円です。
結果、成果は、山ほどあります。ご紹介しましょう。
「シュタイナー理論」と「どんぐり理論」の相違点-3
*「結果の勘違い」*
6才までしか関わっていないのなら、結果は6才時点の人物です。
18才になった子を見て、6才までしか関わっていない人が、それが結果と言うのは、単なる甘すぎる希望的観測です。
アタリマエのことですが、その教育方法の結果とは、その方法を終了した時点での状態です。それ以外にはあり得ません。
幼稚園なら、卒業時の状態が結果です。
小6までの指導なら、小6卒業時の状態が結果です。
幼稚園中心で、比較するならば6才です。
どんぐり倶楽部中心で、比較するならば12才です。
どんぐり倶楽部の結果は、ブログでたくさん知ることが出来ます。
優しく、穏やかで、丁寧で、感情と姿勢のバランスが良く、本当の学力が育っています。
パターン学習の猿真似思考ではなく、オリジナルの自分の考え方で、複雑な問題を根気よくとくことが出来る力も有しています。
いくらでも、例は見ることが出来ます。
どんぐり式だと、目の前で子供の状態が手に取るように分かります。
何が育っていて何が育っていないのかも分かります。
こんな方法が他にあるのだろうか?
あるのなら、教えて欲しい
ないのなら、なぜ「どんぐり」を使わないのだろうか?
子供の状態を見たくないのだろうか?
親が一番見たいのが、子供の現状ではないのだろうか?
●目の前で、検証できることだからしましょうか。
*まあ、どんぐりっ子みたいに、塾なしで中学受験、高校受験、大学受験をする場合は。そのまま<結果>といっても、まあいいでしょう。
これが、塾に行ってるのならば、原因の特定はできません。
幼稚園や小学校で面倒を見た子供が東大に入ったからといって「それが、結果」だなんて思ってるお目出度い人は何も分かっていないってこと。
<結果の検証方法>
*各学年での<結果・成果>を見たい場合は、比較する双方に、どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」をしてもらえば、その場で分かります。どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」は、単なる算数の問題ではありませんので、解ける解けないには一切関係なく、その子が、どのように育っているかが判断できます
*同じ問題で、反応の違いが、その子達の状態の違いだからです。問題に慣れている慣れていないというのは全く関係ありません。どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」でなくても、初見で複雑なもので思考力を試されるものであれば、反応は同じですが、「良質の算数文章問題」なら、読解力、理解力、推理力、理論的推理力、計算力、忍耐力など、様々な初所見を得られます。
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さて、ここで、オランダのシュタイナー学園に3人のお子さんを通わせている方からのメールと京田辺シュタイナーの保護者の手紙とを添付します。
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<オランダからのメール>
<前略>
一日漢字一文字を大きく片方のページに書かせてそこに息子がイメージした絵を描き、もう片方のページには書いた漢字を使った短い文を書いて終わりにしています。この方法にしてから漢字の勉強が楽しいと言うようになり、ノートは宝物になりました。
●どんぐり倶楽部には、学力に関するあらゆる革命的な方法が、普通にあるのです。(Itoyama注)
相変わらずどんぐり問題には悪戦苦闘していますが、
算数だけでなく国語の力もつく問題だと思いますのであせらず、じっくり取り組ませようと思います。今はとにかく学ぶことは楽しいという事を
教えたいです。私はこちらの教育事情には詳しくはないのですが時代の流れなのか、シュタイナー学校は以前より公立化してきているような気がします。
息子のクラスは他の学年と比べ生徒数が多く、先生一人では十分に子ども達の様子を把握できない状態です。
また表面的な学習効果を求める父兄が非常に多く先生にもそれを期待しているようです。 息子の話では確認学習のため度々大量の計算問題をタイムを計ってさせたりしてきたそうです。
また指折り算はやめて暗算をするようにと繰り返し注意されたとも.....。 (息子は未だ指折り算です。)
以前ではとても考えられなかった事がシュタイナー学校の中でも起こっています。
●これが、時代とのズレに対応できないシュタイナーの進まざるをえない道です。
*現在のシュタイナーは、ここに目をつぶって、頑なに時代に取り残された古い人間的な成長だけでいいんだという古典主義を貫き通すか、
既存のパターン学習を取り入れるしかないのです。残念ながら、シュタイナー教育は、シュタイナー教育を標榜する限り、既に崩壊していると言わざるを得ないのです。(Itoyama注)
もしかしたら知らなかっただけで以前から同様の事はあったのかもしれません。
でもまわりで何が起こってもやはり「自分の子どもは自分で守る」しかないのですね。
どんぐり先生のおかげで覚悟ができました。ありがとうございました。
先生がご多忙なのにとりとめのない文章を長々と書いてもうしわけありませんでした。まだまだ勉強不足を感じています。これからも先生のご本やHP.過去ログで勉強を続けさせていただきたいと思っています。どうぞ宜しくお願いいたします。先生もどうぞお体をお大事にお過ごしくださいませ。失礼いたします。
<返信>
「どんぐり倶楽部」のItoyamaです。
●日本でもお母さんは大変ですが、外国では尚更ですね。ですが、人間育てです。「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」いきましょう。
シュタイナーは人間が生まれてからも進化すること(脳内進化)に気付いていただけで理論や学習方法を確立してはいません。
理論は中途半端ですし学習方法は素人です。ですから、教育の指針にブレがあります。丸ごと受け止めるという大前提が正しかったのが救いです。
が、それ以上ではありません。最初にシュタイナーについて読んだとき(私は人智学から入りました)にピンと来ました。
時代の要請(教育ではなく調教の要請)を凌駕することは出来ないだろうと。
見せる教育と同じように見せない教育が大事であることと同様に、させる教育と同じようにさせない教育も大事なんです。
「できるからさせる」「できるようにさせる」は幼児・児童期には非常に危険なのです。
●お母さんはお子さんと一緒に元気にならなければいけませんよ。
もしも、日本に戻られる予定があるのでしたら、小学校の算数の教科書を全学年分揃えておくといいですよ。
半年もあればマスターできる内容であることが分かります。では、また。
<返信>
どんぐり倶楽部・どんぐり先生:どんぐり先生 こんにちは。お忙しいなか 早々にメールをいただきありがとうございます。先生のあたたかいお言葉におもわず涙がこぼれそうそうになりました。先生のお考えをお聞きして、今まで感じてきた疑問がようやく解けた思いです。遅すぎたかもしれません。でも私にはそれだけの時間が必要だったのかもしれないと思っています。
初めて、どんぐり倶楽部さんのHPに出会った時、暗闇のなかにひとすじの光が見えたように感じました。
それが今は確信に変わりました。
うまく言葉に表すことができませんがそのように「感じた」のです。
これからは迷う必要なく歩んで行けます。
「どんぐり」でこどもと一緒に元気になります。
どんぐり倶楽部とどんぐり先生に出会えたことを、心より感謝しています。
今、オランダはとちの実がたくさんなっています。こちらではKastanje(カスタンイェ)と言います。花屋さんやスーパーの野菜コーナーにはオレンジ色のかぼちゃPompome(ポムプン)が所狭しと並んでいます。四季の変化が少ないオランダで唯一秋を感じさせるものです。日本も秋風の涼しくなってきた頃でしょうか。先生もどうぞお体をおいといください。
<京田辺シュタイナー>
別メールにて
<どんぐりの学年別結果>
別メールにて
*結果の比較は、初見の問題を比較したい子供にさせてみて、その時の問題に向かう態度を見れば一目瞭然ですよ。
●読書や絵や音楽では、バランスのとれた実感のある逞しさは出てこない。
日本発21世紀対応最先端教育理論=DONGURI-THEORY
■KEEP
→感味力
→SasenaiEducation
→ Basic Humanbeing Eduation
*0〜2〜5
*0〜2:生命維持のための進化=助け守るために対応する保護者→安定回路
*2〜5:一般的な体験を個人の原体験(あらゆる力の源)として蓄積する。
実体験と言葉を毎日染み込ませるように日常を味わいながら感じながら生活すること。
「ゆっくり、ジックリ、丁寧に」言葉を添えて全ての力の源となる感情と理論を固く繋げる体験がこの期間に出来ていることが人間として進化する必要不可欠な要素である。
この時期にしか出来ない最も重要な日常生活となる。この時期には、自然な日常生活以外にすべきことは何もないし、余計なことをすべき時期ではない。
→反射〜お手本〜説得〜納得
→安全〜安心〜:安定=入力準備
◎満足回路→納得回路(お手本)
◎お役立ち回路<有能感>は「助かったョ」の一言で作り上げることが出来る。
◎人間が育てた言語文化は丁寧な会話が基本であり、この時期の丁寧な生活が全ての源。
■PREPARE:理論思考への移行準備=ゴールデンエイジ
→Go1den Age(5~6)移行準備十HQLT(High Quality Logical Thinking)
■LEAD
→Hop
→6〜9
→多種多様な思考回路作成:具象思考(言葉を使いながら具体物&半具体物=絵図で考え抜く)
■WAIT
→Step
→9〜12
→応用
→思考の忍耐力<重要>:抽象思考をしながらも、具象思考で多彩な視点を増加させる。
仕上げとなる人間的な判断力を含む高度な理論思考を思考の忍耐力も備えた形で完結させる。
*この仕上げの時期を逃すと、判断力が伴わない残念な結果となる。
■ADV1SE
→Jump
→12〜15
→buid up yourself
→independent:自己確立期(オリジナルの判断基準を日常生活で検証し自分の言動基準とする)
→高校受験を使って問題解決方法を会得する
■WATCH
→15〜18
→For Social man
→Trying
→Challenging
→成人式:18歳の成人式(経済的自立)を推奨します。
*支度金制度の考え方と実践方法
*シュタイナーとどんぐりの相違点〜時代という環境を加味した人間教育〜
普遍的部分(感味力)( basic humanbeing education)
+時代が求める部分
=その時代で生きる力を持った人間
シュタイナー(お題目)
+高度な理論的抽象思考力
=21世紀の教育
=Total Balance Education
=どんぐり倶楽部
※HQLT:High Quality Logical Thinking
Basic + HQ = DONGURI-THEORY
●通っているシュタイナー関連の園・学校などとは関係なく、
シュタイナー教育に危機感を抱いている保護者のために、
特別な修正方法があります。
カルテを添えてご相談下さい。
<donguriclub@mac.com>
………………………………
移植
最後の砦となる【違和感】が育っていないのである。
■2014-06-12「誰でもいいから殺して死刑になりたかった」
橋爪健次郎容疑者 透析患者のチューブ抜く
エリート医師に何が
殺人未遂容疑:49歳内科医
<中略>
「誰かを殺して死刑にしてもらおうと思った。誰でもよかった」と容疑を認めているという。
男性はチューブを抜かれたことにすぐ気づき、周囲の医療スタッフが応急処置をしたとみられ、容体に変化はないという。橋爪容疑者は男性の担当医だったが、2人の間に個人的なトラブルは確認されていない。
●本質的部分が育っていなかったので、環境が悪化すると、本質が出てくる。12才以降に作られた人工的な部分は、環境次第で、その働きを停止する。つまり、意識的にコントロールできる環境下でしか効果を発揮しないのだ。そこを、第二の本能となる12才以前の成長期に育てたものの場合は、環境にかかわらず、自分の一部なのだから不変なので対応できるのである。
-------------
【社説】秋葉原通り魔「誰でもいい」の不気味
「誰でもよかった」とは、これまでの連続殺傷事件と同じ言葉だ。
<前略>
不遇から抜け出せない若者の、やり場のない怒りの矛先が無防備な歩行者や買い物客に向けられたのなら、凶行は繰り返されるおそれがある。格差や貧困の広がりを食い止め、若者が希望を持てる社会を築かなくてはならない。
*中日新聞2008年6月10日
>掲示板に「人を殺します」などと書き込んでいた
●自己顕示欲ではなく、自己表示→「人間認定依頼」
●「誰でもよかった」のは、行為ではなく、
結果として現れる<多くの人に自分を知ってもらえるという>状況が目的だから。
→存在を分かって欲しい。
→「<ストレスを抱えている>【君が】居るのを知ってるよ」が欲しい。
→自分を個人として扱って欲しい。
→自分を自分で自己認識できる力【自信】がない。
*注意:不遇とか言うが、そんなことではなく、問題は教育である。
自分を育てる教育を受けていないことが原因である。
>格差や貧困の広がりを食い止め、若者が希望を持てる社会を築かなくてはならない。
●このまとめ的分析が的外れなことに気付くべきである。
●下記のメールは、子供のSOSに気づいたので「どんぐり倶楽部」に辿り着いた方ですが、
その経過が、「子供を見る目」の参考になると思いますので、<お裾分け>です。
<REON君の添削教室のメールより>
件名: Re: REON君の添削教室
日時: 2014年5月19日 12:53:18 JST
<前略>
>娘は小さいころから慎重派で、公園に遊びに行っても他の子たちが遊んでいるのをじーーっと見ていて、
帰る頃に自分も同じ遊びを始める、というような子でした。
→●賢い子の典型的特徴です
>ただそれが、K式を始めた最初の頃はそうでもなかったのですが、
運筆とか迷路とか、そういうのばかりだったからかも知れませんが、
年中に上がる頃から、何でもかんでもチャカチャカとするようになり、
人の話の途中で動き始めたり、面倒くさいを連呼するようになったり、
あまりの変貌ぶりが目につき、
→●何も考えない子の典型的な特徴です
→*面白いくらいにハッキリと分かる言動ですね。子供は、(体が)正直ですので、見る人が見ると細部まで状態がわかるのですが、それは、当然のことなんですね。体全身からSOSが出ているのですからね。ところが、子供を見れないと、SOSを出させるために、お金と時間を費やすことになるんですから、教育ってのは難しいですね。<未掲載>
>いろいろと調べた結果、どんぐりに行き着いた次第です。
現在は(どんぐり継続3年後は)とても落ち着いてゆっくりした子に戻っています。
→●どんぐりは、正常化作用もありますからね。
<年少、年中半ばまで公文(親戚が教室経営のため)あまりにも子供がおかしいので辞める。
どんぐりは、年長時に少し取り組んだが、全く歯が立たず。(解く以前の問題)
1年間リセット。1年生で再度始める。現在、週2のペースで取り組む。>
>ゆっくり過ぎて不安になることもあるのですが。普段は学校から帰り、ランドセル放置のまま公園に遊びに行きます。6時前に帰宅し、6時夕食、7時入浴、8時本の読み聞かせで就寝、時間割、宿題の提出(私が朝食時に取り組む)は翌朝、というパターンです。
→●理想的な(正常な)状態ですね。
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*このメールのように、子供の状態を見れば、子供がどのような影響下にあるのかが分かる。
→どんぐり問題の作品を見れば、子供がどのような影響下にあるのかが分かる。
→子供の顔(写真)や言動を見れば、子供がどのような影響下にあるのかが分かる。
*どんぐり問題をしていると、実感として<子供を見る目>が育ちます。子供が変化するからです。
…つまり、親が変化するからです。自分が変化するから<実感として>分かるんです。
「どんぐり」やってると、それだけで<子育て>で最も大事なことを身につけられるんですね。
何て安上がりなんでしょう。 …みなさん、始めない手はありませんよ。
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移植
★★無料体験学習2014★★
*大人だけ、子供だけでもOK!(先生だけでもOK!)
<日時>
2014年7月30日(水)
Aコース<1:00-2:00>
Bコース<2:00-3:00>
Cコース<3:00-4:00>
Dコース<4:00-5:00>
<下記持参>
*クロッキー帳
*色鉛筆
*飲み物を忘れずに。
●問題はコチラで用意します。
<場所><2Fの研修室D>になります。
〒815-0083 福岡市南区高宮3丁目3-1
TEL:092-526-3755/FAX:092-526-3766
*要予約*
donguriclub@mac.com
件名:無料体験学習予約
内容:コース指定と参加人数
*一切の情報収集も勧誘もありません。
*フォローもありませんので、質問などは各自で用意して下さい。
「Donglish-2014」<English for Japanese with SunShine/NewCrown>
●2014.07/26(Sat.)-27(Sun.)福岡<能古島>教科書SUNSHINE-1.2.3
<詳細>→http://plaza.rakuten.co.jp/donguriclub/diary/201405270000/
●2014.08/09(Sat.)-10(Sun.)大阪<阿倍野>教科書NEWCROWN-1.2.3
<詳細>→http://yaplog.jp/pee-kaa-boo/archive/727
●中学3年間で学習する英語を、教科書を使って2日間でマスターする特別講義です。
*中学英語で学習する内容は、全ての英語学習の基礎になる大事な内容ばかりです。
ところが、残念なことに学校での授業は暗記と和訳が中心になっていることが原因で、時間かけて努力をしても、それに見合った理解が進むものにはなっておりません。この講座では、中学で使う教科書を使うことで、予習・復習を兼ねながらも、学校の授業とは全く違う、合理的な<納得英文法>と速読速解を可能にし、和訳も英作文もどちらにも一瞬で変換できる、読解の核となる<語句順訳>をマスターするものです。
*英語の「え」の字も知らない人でも、英語がペラペラな人でも、英語を学び直したい人には誰にでも役立つ講義になるものと思います。
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*語句順訳とは*
語順訳という言葉はよく耳にしますが、コチラは、語順訳ではなく「語句順訳」です。単語の置換をしていく語順訳は、残念ながら破綻してしまいますので、使わないで下さい。前置詞を後ろの名詞と組にして、日本語の助詞を活用することで語句順訳の大部分は完成します。単に前から訳せれば、どんな方法でもいいというものではありません。語句順訳は、英語と日本語のプラットフォームとなっています。この語句順訳を正しくマスターすれば、どちら(英語にも日本語に)にも、簡単に乗り降りが可能となるということです。
英 文 :Ken eats two apples in the park every Sunday when he has nothing to do.
英 文 /:Ken/eats/two apples/in the park/every Sunday/when/he/has/nothing/to do.//
語句順訳:健は/食べる/2つのリンゴを/公園で/日曜日毎に/いつかというと/彼が/持っている時に/ゼロの物事を/すべき(物事を)//
和訳例1:健は、暇な時にはいつも日曜日に、公園でリンゴを2個食べるね。
和訳例2:健は、毎週日曜に、暇な時には公園でリンゴを2個食べます。
和訳例3:日曜日が、暇なら、健は、公園でリンゴを2個食べる。
*和訳は、英文ではなく、日本語である語句順訳だけを見ながら、意味を考えて、状況にあった日本語に自在に書き換えることができる。日本語の言い換えにすぎないからである。この練習は、日本人には殆ど必要ない。(小学生で実証済み)
*英作文は、上記の<英文→語句順訳→和訳>を逆に<和訳→語句順訳→英文>とすればいいのです。
<和訳→語句順訳>は、語句順訳をするうちに、誰もが自然にできるようになります。
<語句順訳→英文>は、単語を移し替えるだけですので誰にでもできます。
つまり、語句順訳でも英文読解をしていると英作文の練習は不要になってしまうのです。
移植
●どんぐり倶楽部のオリジナルの「良質の算数文章問題」=どんぐり問題
●どんぐり問題を参考にして作られた問題=どんぐり式問題
<どんぐり>という名前を付ける場合には、オリジナル以外では<式>を付加する。
【理由】
●どんぐり問題には、公表していない仕組みが多々隠れています。
その秘密が内蔵されていない問題は、どんぐり問題では無いからです。
ただ、視考力を使った思考力養成のための問題という意味で、
<どんぐり式問題>をつくることは可能ですし、
その作成を制限するものではありません。
*現在の700題以外にあってはならない理由、
順番を変えてはいけない理由、
内容を変えてはいけない理由などもあるのです。
*同じ問題を使っていただきたいのには理由がある。
→海外でやっていて、日本に帰国した時に、どんぐり話だけで友達もでき、学力も保証される等ね。
●ですから、教材販売(利益が出すために)を希望する方も、
作るのではなく「良質の算数文章問題」の販売申請をして下さい。
申請してもらえば許可しますし、教材費の設定も制限はしません。
制限は、内容と順番は同一である必要がありますし、許可制であるというだけです。
*特に、学校内で使用する機会がある場合には、オリジナルに限定して下さい。
単に、学力を育てるためだけのものではないことを忘れないこと。
*蟻が一匹ではなく一人になっている理由とかもあるんです。
■現状分析を急げ!(文責:どんぐり倶楽部)
カテゴリ:カテゴリ未分類
*健全な教育を行うににおいて、最優先されるべきは【現状分析】です。
どんぐり問題が、思考力養成に役立つだけではなく、
子供の現状を炙り出すことは、よく知られている事実である。
この機能を使わないテはありませんよ。→【頭の健康診断】
<ブログ引用>
http://ameblo.jp/mocopping/entry-11095156875.html
どんぐり文章問題が出来なくなった次女・・・小学校教育の現状(2011-12-01 23:46:00)
<前略>
一年生になった次女が、大変なことになってます。なんと、どんぐり問題が、
「できない!」
「わかんない!」
「やらない!」・・・
な、なんと、このセリフは現在も大変苦労をしている長女に、どんぐりを初めて見せてみた時のセリフそのまま~~oh!no!
年長にはあんなに楽しげにおえかきをしていた次女。
いったい何事が…と思ったら、案の定。これだよ。
keisanやってはいけない大量計算プリント
こ~~んなプリントを次から次へと、毎日毎日持ち帰ってきます。あちゃちゃ。
小学校へ通い始めて、どんぐり問題ができなくなった。
つまり、考える力がなくなってきた。
なんてことが、ほんとに起こるとは思ってなかったんだけど。
どんぐり問題を楽しく解いて、遊ぶ時間と自由な時間をたっぷり与えていれば大丈夫かと思ってたんだけど。
今の小学校、ほんとに手強い。
宿題も毎日チェックを入れては、これぐらいなら大丈夫かなあ、このへんまでならいいかなあ、
本人がやりたいんだからやらせておこうかなあ、なんてノンキに構えてた私。
まさかの大ダメージ。まじめで気が強くて、自信家の次女、完璧主義なだけに余計にいたい。
小学校教育で疑問に思うこと。まとめて挙げておきます。
1ー10の補数を覚えるのに、歌で教えたこと。
これは夏休みの宿題を見ていて気がついた。
10は7といくつに分かれるでしょう?という問題、
「次女、分かるよ学校で習ったもん、え~~と。いちと~~きゅうで~~じゅう、に~~と~~はちで~~・・・」
・・・じじょ、その歌はいつになったら7までたどり着くんだい?
どうして、自分の指をみないの?
両手広げて7作って?
折れてる指はなんぼん?
2ー繰り上がり、繰り下がりにさくらんぼ計算をつかうこと。
考え方としてはいいのだろうけれど、繰り下がりに関してはクラスの全員が減減法が理解できなかったもよう。
原因はさくらんぼ計算で最初から減加法を徹底させてしまったために、ほかの方法があることに考えつかない。
つまり、わざと脇道を作らないような授業を行なっているとしか思えないんだけど。
もうひとつ。さくらんぼ計算を大量にやったあとに、次女は「10-7」が出来ないとぐずった。
つまり、10がさくらんぼにできない、さくらんぼができないとどうやって引き算したらいいのかわからない
・・・まあ、一瞬だけでそれは自ら気がついたんだけど、大変危険な兆候だよねえ。
どうして、デンタくんというスグレモノを使わないんだろう。
デンタくんはそういう勘違いは絶対にない。
さらに、いろんな方法を思いつけるように出来ているので、思考回路が山のようにできる。
ちなみにデンタくんを使うように次女に言いかけたら、
「学校ではちがう!せんせいはこうしろって言った!」と、むげないお返事。
しょうがくせいって、そんなもんなんだよねセンセイはぜったいなのだ。
だからこそ、先生は正しい理解をしてくれないとこまる。
3ー文章題で、「足し算の言葉」「引き算の言葉」などというものを教えている。
これが、最もこまる。
「ぜんぶで」とか、「みんなで」ということばは足し算。
「ちがいは」とか、「のこりは」は、引き算。
そんなわけ、ないだろ・・・そのおかげで、次女はどんぐり問題が
「わからなく」なってしまった。
だって、どんぐりはそんな単純なお話ではナイ。
それなのに、学校で文章題を習ったあとに次女は学校のやり方を自信満々でどんぐりに適用し、そして玉砕。
以来、「わからない!」「できない!」「やらない!」になってしまった。
そんな変な教え方をしないで、ぜひとも絵をかかせてみましょうよ。
文章を絵に表せないってことは、文の意味を理解できてないってことなんだから。
どうして読んだままを絵にすることが出来ていた子供が、できなくなるように教育されてしまうのか?
小学校、大変危険です。
-----------------------
⚫︎もうこれは、教育犯罪ですよ。責任を取ってもらわないとね。
「考えられる頭」に育てて送り出した小学校で「考えられない頭」にされて返されるんですよ。
全国で多発している現実ですからね。「頭の健康診断」だけでもして下さいね。
*2012年6月23日放送NHKスペシャル
「産みたいのに産めない~卵子老化の衝撃~」
をご存知だろうか。<動画>
男性の精子が日々生み出されるのと違い、
女性の卵子は新しく作られないどころか、
数は減る一方で、質も落ちていく一方だという
生物学的には当然の現象を全く知らない人(女性でさえも)が非常に多い。
また、体外受精で出産できるのは
35歳では16.8%ですが、
40歳だと08.1%となり、
45歳では00.5%となる。
【思考の臨界期】は、
<性成熟年齢>である12歳を臨界期(0-5-9-12が成長期)と見ています。
生物学的に考えても、経験則からしても合理的です。
生物であるかぎり、それぞれの細胞には臨界期があることは当然のことです。
旬の時期を過ぎると、環境適応の一環として使わないものは使えなくなる、
つまり、機能しなくなるのが当然だからです。
エネルギーを効率的に使用するための、自己防衛本能です。
別に、焦らせているわけでもなんでも無く、臨界期はあるのが自然だし当然なんです。
思考の原形回路と、その回路の使い方の工夫である操作を、混同して、思考力
とひとまとめにしているようでは話になりませんが、
12歳の思考力と大人の思考力に格差はないのです。
というより、12歳までに仕上げておかなければ、
現実に対処するための思考としては使えないのです。
つまり、
子育てと教育は、
それぞれの発達部位のタイムリミットを認識して動くべきなのです。
【教育の優先順位】を知っておきましょう。...知っていて損はありません。
*大まかな順番は
→<心:感情養成 0-1-3-5>
→<頭:思考力養成5-9-12>
→<体:体力養成 12-15-18>
■思考の臨界期【販売中!】:どんぐり理論の原本...DLファイル/印刷物…3000円/3500円
【学習障害の嘘:グレーゾーンの真実】
99%は何の問題もないのに、学習障害と思わされている!とんでもない話である。
*単なる、指導力不足である。
<参考:http://plaza.rakuten.co.jp/donguriclub/diary/201309300000/>
子供達に学力的な能力差はない。(文責:どんぐり倶楽部)
*学習のテンポや環境設定を無視しているために起こっている現象にすぎない。
しかし、ここで、表面的な「できる」を追うだけで、肝心の思考力養成をしないまま、臨界期を過ぎてしまう人が多い。
学力(思考力)養成は家庭でするのです。そうすれば、学校の環境に左右されずに、いつでもどこでも学力養成ができます。
移植
*全世界に向けて、どんぐり倶楽部に関して書いてあるものですから、どんぐり倶楽部を作った本人がお答えするのに問題はないと思います。
<例>「計算のテストでは、否応なく速さを求められます」
●そのテストの構成自体(特に問題数)が異常なことに気づいていない。問題数が多くなると、全く異なるマイナスの対応力を求められるのですから、要注意なのです。異常なテストで満点を狙うように仕向けるのはマイナス学習の代表です。
そこで【開成中学入試問題を完答するために必要な計算式】を全て集めて検証した記事も書きましたが、当然ながら、結論は同じで「速度は全く不要」+「必要な速度は、受験直前の2週間で養成可能」です。これくらいのことは誰でも自分で検証できますので、各自でされてみると納得できると思います。
●子供を壊さない「健全な中学受験」の方法
http://plaza.rakuten.co.jp/donguri117/
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やまと学院:やまと通信より
http://www.yamato-gakuin.com
~衝撃~10月号
Vol.101
http://www.yamato-gakuin.com/yamatsu/2007/YamaTsu_Vol_101_10.htm
>この糸山さんの主張では、「12歳以前、とくに9歳以前に、徹底反復とスピードを重視した、『読み・書き・計算』の高速多量学習をさせること」は子どもたちを「考えられないように教育」しているのだそうです。
●考えられる子もいるというための布石となっていますが、ここで既に「考える」の意味が異なっています。
「考える=テストで点数が取れる」という前提に立っているからです。テストの点数なら、パターン学習というコピー回路だけを使うことでも点数をtれますので学力の有無は判定できません。ここでいう、「考えられないように教育」されているとは、オリジナルの思考回路での自力での考える力は育てられないように教育されている」ということです。<考える>とはどういうことかという大前提を、正確に定義していない混乱する典型的な流れです。
●反射回路強化は、繊細で複雑なオリジナルの思考回路養成の邪魔をするのです。
>糸山さんの一貫しての主張は、「視考力(しこうりょく)」が重要なのだと言うことです。それは、文章などを読んだときに、しっかりとその情景がイメージできる力です。私もそういった力の重要性は感じていましたが、はっきりと言語化していただいたおかげで、今までの心の中のもやもやが晴れた気がします。
●ここでも、注釈が必要です。「重要」なのではなく、視考力が思考力そのものなのです。ただし、思考にも【浅思考:センシコウ】と【深思考:シンシコウ】があり、【深思考】には<感味力>が必要不可欠なのです。
>実際、この本を読んで1週間ほどですが、その間、意識的に、生徒さんたちに問題を頭の中でイメージさせるようにしたり、実際に計算用紙に絵図にしてもらっていますが、手応えあります。
●ここも本題からズレています。ただ、解けるようにするのであれば、既存の線分図などでもいいのですが、どんぐり倶楽部では、それぞれの文章の名簡易出てくる<絵図をそのまま描く>ように指導します。それは、感情再現が大事だからです。論理的思考を育てている時にも常に感情再現を怠らないようにすることが、感情を殺さずに理論的思考を育てる際の要になるからです。ここに、気付かずに、効率を求めて絵図を簡略化させることは<絶対に>指導してはいけないことなのです。ここに思いが至らないと、効率を目指すほうが優れているという、致命的な勘違いを必ずおこします。
>確かにやまと学院.は今まである程度皆さんに満足していただける結果が出せてきましたが、この糸山先生の提言と教材をさらに研究し、そこにDSを組み込めれば、今まで以上の結果が出せるであろうと感じております。
●はい、予想通りの危険な流れになっています。DSを組み込むという発想は、教育とは何であるかを理解している場合には絶対に出てきてはならない発想なのです。
~方程式~11月号
Vol.102
http://www.yamato-gakuin.com/yamatsu/2007/YamaTsu_Vol_102_11.htm
糸山先生が唱える「絶対学力」、すなわち「視考力」、すなわち文字などの情報をイメージ(絵図)化し、整理し、理解する能力は、非常に重要です。
●「絶対学力=視考力=文字などの情報をイメージ(絵図)化し、整理し、理解する能力」ではありません。絶対学力=感味力+視考力です。感味力の養成・保持なくして絶対学力はあり得ません。
>糸山先生に言わせますと、公文式やそろばんのように単純な計算を繰り返すことは、百害あって一利なしだそうですが、公文式もそろばんもしっかりと続けた生徒さんはかなり良い進学をしていると聞きます。
●進学とはテストで高得点を取るとうことです。高得点はパターン学習で取れますから、ここで、引き合いに出すこと自体がズレています。
>まず第一に考えられるのは、こういった教育の中でも「視考力」を高められる生徒さんは、もともとそういった能力が高かったということ。また、ご家庭や友だちとの関係の中で自然に(偶然に)高められたと想像できます。
●全く違います。視考力を使わなくても、パターン学習の反復で高得点は取れるようになります。もちろん、絵図を多用してパターン学習をしている場合には、多少の視考力を持つようになる子供も出て来ますが、それだけのことであって、それは、絶対学力とは異なります。
●思考回路の質が違うのです。豊かな感情を殺すこと無く育てられた論理的思考回路網が重要なのです。そこには、考える事自体を快感とする生きる力が視考力と見事に結びついた力の育成が可能となっているのです。
>第二に、糸山先生も著書の中で認めていらっしゃいますが、結局のところ入試問題はパターン化されていますので、公文式やそろばんなどで集中力や根気、そして家庭学習の習慣をしっかり付けた生徒さんは、それなりの偏差値の学校へ進学できるということなのです。
●学力の質が全く違うのです。たとえば、16+8=24をデンタくんで、視考イメージの操作でできるのと、暗記した結果で出すのとでは、表面上は[24]ですが、全く異なる能力であり、全く違う次元の質なのです。そして、どちらが、人生を楽しめる力であるかは明らかなのです。この違いが重要なのです。どんな力でもいいから、点数が取れるように育てるのであれば、パターン学習で良かったのです。どんぐり倶楽部は、暗記型のパターン学習では、人生を楽しめないという結論から出発しているのですから、そんな貧相な力を育てる手伝いはできないのです。
>ただ、そういった能力よりも、まじめさや人を思いやる気持ちの方が重要ですし、社会人になってもそういった能力の方が求められます。しかし、ここは学習塾ですので、思いやりなどは皆さんにお任せして、ここでは何とか「視考力」を鍛えてあげ、よいテスト結果を出してあげたいものです。
●ここも、同様に<絶対学力>の話にはなっていません。片手落ちの「視考力」では、単なる視覚イメージ操作による理論的視考力養成に過ぎません。そんなものは、効率を求めれば誰でも行き着くところです。とは言え、最先端のごく一部の指導者しか知らないことですが、それでも、どんぐり理論では、出発点のマイナーな構成要素の一つにしか過ぎません。
●<理論強化の時間>が<感情破壊の時間>になっていては絶対にいけないということです。
これが、どんぐり倶楽部の存在理由です。
私が、一から、全てを創りあげなければならなかった理由です。
これまで、こういうコンセプトで考えられた教育論・教材はなかったからです【絶対学力=感味力+視考力】感味力と視考力は車の両輪です。
■過去記事<書かせない板書>より
●子供達に教室で授業中に板書を写させる時間は無駄な時間です。
<書きながら覚える>ってのは、勘違いです。
百歩譲っても、効率が悪すぎる悪習です。
●大事なことは、板書そのものを頭の中で再現する練習なんです。
私は、塾講時代には<板書と同じコピーを最後に配る>ようにしていました。
「手なんか動かすな、全身全部耳にして聞いてろ!」が講義開始の掛け声でしたからね。
宿題は、板書のコピーを、ノートに書き写しながら再現できるように仕上げること。
*コピーを回収すれば何度でも何年でも使えます。
使い捨てでいいのであれば、ノートに貼って、思い出す練習だけすればいいんです。
*こうすることで、テストを受けている時に頭の中では、その単元の講義が高速で再現されます。
→テスト中に頭の中に参考書を再現する方法。
※ポイントは、必ず、常に「この単元ではこの板書」を思い出す。と1対1対応にしていることです。追加があれば、宿題で作った板書ノートに追加→頭の中の板書ノートにも追加再現練習。
<板書について>
http://reonreon.com/high.html
http://reonreon.com/eng.11-4-1.pdf
http://reonreon.com/eng.11-4-2.pdf
http://reonreon.com/zukei-001.pdf
http://reonreon.com/zukei-002.pdf
http://reonreon.com/tentai.html
●非常に大事な板書の<配置>を決める前の段階のものですので、
一手間かけた下ごしらえを加えてある材料と考えて下さい。
教室では黒板の大きさや生徒の配列や自分の立ち位置等も考慮します。
<例>「計算のテストでは、否応なく速さを求められます」
●そのテストの構成自体(特に問題数)が異常なことに気づいていない。問題数が多くなると、全く異なるマイナスの対応力を求められるのですから、要注意なのです。異常なテストで満点を狙うように仕向けるのはマイナス学習の代表です。
そこで【開成中学入試問題を完答するために必要な計算式】を全て集めて検証した記事も書きましたが、当然ながら、結論は同じで「速度は全く不要」+「必要な速度は、受験直前の2週間で養成可能」です。これくらいのことは誰でも自分で検証できますので、各自でされてみると納得できると思います。
●子供を壊さない「健全な中学受験」の方法
http://plaza.rakuten.co.jp/donguri117/
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【ブログ】末は博士かドーナツ屋??より
http://nanohaha.seesaa.ne
§どんぐり倶楽部の計算
http://nanohaha.seesaa.net/article/377722876.html
>結局、公文だろうが、そろばんだろうが、筆算だろうが、自分だけの”計算機”を手に入れるというのが必要だということなんだと思います。どんぐり倶楽部は、その計算機の手の入れ方を問題視しているわけです。でも、”筆算の構造が理解できればスピードも不要”というのも、4年生まで意識してきてどうだろう・・と思います。
●...?...できれば何を使ってもいいわけではないのですよ。
<デンタくん>という視覚イメージ操作は思考力養成の具体的なした準備になるからです。
既存の方法(暗記ベース:操作のない再現だけ)では思考力養成の邪魔になる時間になってしまうので、練習時間に反比例して考える時間が経るのです。「やればやるだけ考えられなくなる」とは、チャンスがなくなるということです。
つまり、工夫次第で視考力養成を阻害する時間を思考力養成の基本づくり時間に改善できるから勧めているのです。
ですから、その時期を過ぎている場合、つまり、既に暗算できる場合には「デンタクんは不要です」と言っています。
>どんぐり倶楽部の場合、筆算が良いが、スピードが必要な場合は”デンタ君”というスタンスです。デンタ君の存在自体が、反対派の方からすると、やり方が違っても(そして、頭の中での暗算になりますので、どれだけ出来ているか判らない)計算は速いほうが良いじゃない・・と言われてしまう存在になります。つまり、デンタ君を推奨することは、糸山先生からすると公文とは全然違う!であっても、他者へ批判の糸口を与えることになる、諸刃の刃となってしまうのではないかと想像しています。
●...?...全く次元が違います。計算練習は、計算だけ出来るようにする時間ではないからです。幼児・児童期の時間は、あらゆる時間が人間形成の時間ですので、無機質な学習と思われる場合でも工夫をして感情を殺さない時間にする必要があるのです。そのための工夫も兼ねているから、「良質の算数文章問題」だけでなく、計算方法や漢字の暗記方法も【発明】する必要があったのです。公開していますので、普通にマスターしていますが、どんぐり式は、全てがオリジナルの【発明】で埋め尽くされているんです。
§なんというのか・・
http://nanohaha.seesaa.net/article/244634505.html
>どんぐり倶楽部を継続していますが、相変わらず疑問点というかなんというかがぬぐえません。今は2年生をやっているのですが、2点問題があります。
1つめ:数字の間違えが多い。
1回でという条件で読み上げ方式にすると、数字の間違えが格段に増えます。集中していないからというのは簡単なのですが、ではどうすれば?です。著書などを見る限りでは、梯子をはずした状態で見守りなさいというスタンスのように感じます。
●...?...一行ずつ正確な絵を描く→最後に解答です。適当に工夫もなくやっては出来ません。学習相談の記録を読めば全て解決されます。
>ちなみにAは小学校受験をしていますので、”お話の記憶”などの練習はしております。
●お話の記憶などとは、精密さが全く違うので役に立たないのです。国語の文章問題ではなく、算数の文章問題であるのには【理由】があるのです。ここでも、証明されていますが、国語の文章問題を暗記したり理解したり出来ても算数は出来ないのです。ところが、どんぐりレベルの算数の文章問題ができると、国語の文章問題は余裕でできます。もちろん、理由があります。
>当時は自分で”小声or無音で復唱”というすべを身に着けましたが、今回はそこまで考えが至らないようです。”お話の記憶”の時は短文であっても毎日しておりましたので、自分で工夫するという時期がやってきました。しかし糸山先生が提唱する週二回~三回のペースでは、本人の乗り気もあるかと思いますが(ここが重要だと思ってはいます)結構な期間そのままです。と、ここまで書いて、部屋にやってきた娘に小学校受験用の”お話の記憶”を試した所それなりの文章でも大丈夫でした。良く聞いてみると、読み上げではバッタと言われれば覚えられるが、バッタの名前になると覚えにくい。また3桁のすうじになると覚えずらいようです。
●これだけ材料が出揃っているのに、根本的な緻密さの違いには気付かないのは勿体無いですね。これらのことは、数十年前に検証済みです。お話の記憶の練習をいくらやっても無駄です。
>2つめ:2年生になると”倍”という言葉の出る問題がかなり出てきます。この倍の概念がわかりにくいようです。説明してもイメージできない。判らない言葉があれば説明となっていますが、そもそも倍を理解させるというのが算数の一つのステップだと思いますが、その梯子を外されているように感じます。
これはどうなんでしょうね・・
●正確な絵図を書いていれば、例外なく分かります。ルールを守って<どんぐり問題>をしている方は例外なく完全に理解して進化しています。
<例>「計算のテストでは、否応なく速さを求められます」
●そのテストの構成自体(特に問題数)が異常なことに気づいていない。問題数が多くなると、全く異なるマイナスの対応力を求められるのですから、要注意なのです。異常なテストで満点を狙うように仕向けるのはマイナス学習の代表です。
そこで【開成中学入試問題を完答するために必要な計算式】を全て集めて検証した記事も書きましたが、当然ながら、結論は同じで「速度は全く不要」+「必要な速度は、受験直前の2週間で養成可能」です。これくらいのことは誰でも自分で検証できますので、各自でされてみると納得できると思います。
●子供を壊さない「健全な中学受験」の方法
http://plaza.rakuten.co.jp/donguri117/
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■十日日記
http://www.10days.org/diary/
■思い込みの激しい本
http://www.10days.org/diary/20060129.html
>糸山泰造『新・絶対学力』(文春ネスコ、2004年)がある。先に言っておくと、同書はよい本だ。著者は文章を図解してイメージで考えることを「視考力」と名づけ、算数の文章題を図に表現する訓練をさせるための魅力的な問題を用意している。四谷大塚準拠塾で小4に算数を教えていた大学1年のころ、とにかく線分図が描けるようにさえすればよいと指導されたものだ。
●この時点で、指導方法のお粗末さが分かる。塾講師には自由度がないので仕方がないことであるが、これは、絵図とは言えども単なるパターン学習である。どんぐり倶楽部では線分図は描いてはいけない最低の絵図という位置づけです。
>気になるのは、著者が思考と計算とを簡単に二分してしまっている点だ。
●簡単に...ではなく「分かりやすくするために」である。
>著者は筆算ができればそれでいいという。
●言っていませんし、その過程で行う<方法>が重要なのです。
>これは遠山啓の水道方式以来の方針で、基本的には間違っていないと思う。しかし実際には、計算問題であっても思考停止に陥ると非効率的になる。このことを明確に意識したのは微分幾何を習っているときで、式や図形の性質から想像できそうな結論に向かって式をデッチアゲるような感覚だった。積分の膨大な計算を機械的に書いていくと、かえって誤る。
●計算の構造的な要素が求める傾向としてはあるが、小中学校ではあり得ないので、ここで、積分を出すのはお門違いである。
さらに言えば、積分の計算記号は、計算そのものではなく計算に使うパラメーターの指示記号である。→完全にズレてます。
>算数のレベルでいうと、たとえば21.4×4.9の計算で、まずは20×5で約100になるという数的感覚がほしい。この感覚があれば、小数点を打ち間違えて104.86が10.486になっても変だと気づく。割合の文章題でも、12×0.35と式が立ったのち機械的に筆算するのではなく、半分よりも少ないという感覚を身につけるべきだと思う。それには著者推奨の図解も役に立つことだろう。図にしてみれば、半分よりも少ないことが一目瞭然だ。小学校の算数はときどきしか見ないが、最近の小学生は筆算マシーンになっているのではないかと私は危惧している。2300×90のような計算は23×9のあとに0を3つ加えたものだが、いまの小学校では馬鹿正直に筆算で計算するようだ。あるいはまた194×105のような計算で、
194
× 105
-----
970
000
194
-----
20370
のように途中で0を3つ重ねる小学生がいて驚いた。
●ここでも、どんぐりの計算をご存じない。小数計算などは<しない>のですから。
●途中で0を3つ重ねる:いいですよ。自分が納得できる方法でいいんですからね。
>著者のホームグラウンドは算数のようで、この科目については基本的には賛同できる内容だ。
●これも違います。HGは英語ですし、算数の文章問題を採用したのは、もっと深い意味があるからです。
>ところが国語や英語など言語系の科目になると、疑問点や矛盾に思える箇所が増える。たとえば著者は、「表現力の養成は早くても高校から」(p.76)とし、小学校で表現力を磨く不要だという。しかし、著者が推奨する文章題の図解は表現以外の何ものでもない。
●表現の意味も理解の具体的な内容も、思考の具体的な動きもご存じない人の意見です。
>なにしろ自身で「問題解決学習とは、言ってみれば『文章を絵図で表現する練習』」(p.44)と述べているくらいだ。
●この表現と自己表現とは全く違う【表現】ですよ。「絵図で表現する」とは、文章の絵図化による理解方法としての表現形式の変更にすぎません。自己表現とは何の関係もありません。言葉が同じだからといって、内容が同じであると考えるのは、余りにも幼稚です。
>私自身は国語においても図解を積極的に取り入れたほうがいいと考えているし、逆に図から文章を組み立てるような——つまり文章構造を意識した作文訓練も行なうべきだと思う。実際に表現してみてこそ、筆者の表現の工夫を感じとることができる。
●これは、絵コンテ読解そのものです。しかしながら、理解する場合には役にはたっても、自己が出来ていない自分を表現することは不可能ですので、自己表現練習は不要なのです。
>英語も同様だ。著者は英文和訳を否定し「語順訳」を提唱している。これ自体は平凡なものだ。驚くべきはここからで、英語の勉強では英語で考えることが重要なのではないという。「英語を理解できる日本語脳」を鍛えるべきであり、そうすると「何語でも日本語を介して使いこなせるようになる」(p.131)のだそうだ。不思議ではないか。視考力が最速かつ最も基礎的なものなら、日本語など介せず英語もイメージでとらえれば済む話だ。著者自身が次のように述べている——「頭のいい人がどんな言語で考えても頭がいいのは、語学力があるからではなく、イメージ力があるから」、「イメージで理解しているのに、文字や言葉そのもので理解していると勘違い」(p.42)。日本語はイメージで理解せよと言っておきながら、英語は日本語を介せという。この発想が私にはわからない。
●そんなのは、単なる時間の問題である。そんなことをしている余裕はないし、必須ではないので不要と言っているのですよ。
移植
「最初に選びたい学習方法」
●どんぐり問題の使い方を中心に、どんぐり理論を平易に解説した入門書です。<現在は上・下別冊>
*主に、千葉教室の<ちゃこ先生>に書いて頂いています。
*今読み返してみても、とても良く出来た解説書になっています。
<はじめに>
どんぐり問題は算数の文章問題という形をとっていますが、単なる算数の応用問題ではありません。また、確実に思考力養成が出来るように仕組まれていますので、思考の本体ではない「算数語」という「計算式」は、あまり重要ではありません。特に、低学年では「式はいりません」と言ってもいいくらいです。ただ、答えにたどり着くには、複雑な計算を要求されますので、小4前後から計算式も書くようにすれば、どんぐり問題だけで計算力も育てられます。
*算数の問題なのに計算式を書かなくてもいい。
…では、何をすればいいのでしょう?
…絵を描くだけです。
おやつを食べながら、ジュースを飲みながら、鼻歌を歌いながら、楽しく絵を描く。それだけでいいのです。絵は得意じゃないというお子さんもいらっしゃるでしょうが、そのような場合でも、なるべく、描きたくなるような雰囲気を作ってあげて下さい。これは、とても大事な事ですので、出来るだけ工夫をして、子供自身が自分で絵を描くことを楽しめるようにしてあげて下さい。それだけで、どの教科にも応用でき、一生使える「考える力」と、分からないことに対しても、マイナスのイメージを感じるのではなく、ワクワクするプラスのイメージを持ち、その分からないことさえも楽しく考えることが出来る心が育ちます。
■目次(上)
□はじめに□分かるということ・考えるということ□どんぐり問題のやり方□保護者・指導者・先生へ□本当の学力□こんな時どうする?どんぐり問題Q&A□どんぐり問題を楽しむ工夫□学校の勉強もどんぐり流で□各学年の簡単な解説(年長□小3)□どんぐり問題作者より
■目次(下)
□はじめに□考えるということ□覚えるということ□危険な丸暗記□高学年の「どんぐり問題」□保護者・指導者・先生へ□高学年のどんぐり Q&A□中学受験の注意点□各学年の簡単な解説(小4〜小6)□補足□あとがき□どんぐり問題作者より
※高学年でも低学年用の問題から使用して下さい。考える方法は学年に関係なく、同じ方法だからです。「急がば回れ」 在籍学年より下の学年の問題をすることは、一見回り道に見えますが、実は近道なんです。誰もが、大きなジャンプをする時には、膝を曲げて準備する時間が必要だからです。シッカリ膝を曲げて、大きく大きくジャンプして下さい。
<抜粋>
■使用上の注意
1.まとめてやらない。1週間に1~.2問が最適。
*宿題も含め、余計なこと(単純作業的思考)はさせずに主体的に工夫して遊ぶことが大事。
2.ゆっくり、ジックリ、丁寧に解く。高速学習法との併用はしない。
3.必ず絵(図) を描いて、目で考える。絵(図) を描かずに「分からない」は「考えていない」証拠。
4.暗算はしないで、筆算を記録しておく。暗算は「十の補数と九九」に限定する。
5.間違いに気づいても絶対に消しゴムを使わない。思考の軌跡が大事。
6.考える過程(特に、工夫して考え始めるまで)が大事なのでヒントはもらわない。
7.どうしても解けなければ、一ヶ月後(あるいは、夏休み)に再挑戦する。
8.たとえ、直ぐには分からなくても「分からな~い」と言って諦めない。絵(図) は描ける。
*消しゴム厳禁。間違ったら×を書いておく。
* 一題ずつ、切ってノートに貼って使います。1~.2 ページに1題。
* ヒントは厳禁です。語句の説明はOK。漢字の読みと意味は教える。
■使用方法:切り取ってノートに貼って使います。
1.読むのは1回だけ。一行ずつ、「読んで描く、読んで描く」ことが大事。
*一度で読みとれるように練習することが、重要なので「何度も読みなさい」とは言わない。「何度も読みなさい」
と言うと「何度読んでもいいんだから~.」
になります。「一度しか読めないからー」という覚悟を育てることが大事。
*一読絵コンテ読解(どんぐり方式)は、国語の読解力や授業の理解力養成にもなります。
*特に言葉(会話や授業なども含みます)は1回しか聞けない上に瞬時に消えてしまいます。聞く力を伸ばすために
も「何度も読みなさい」とは言わない。
時間をかけても、一読で絵図を描けない場合や、分からない場合は、キチンと間違って「分からん帳(お宝帳)」
に入れて、後日、挑戦します。
2.消しゴムは絶対に使わない。
*考えた(考え直した)軌跡が子供を理解する好材料になるので、消しゴムは使わないようにする。この記録が宝物
となる。
3.分かっても絵図を描く。
*描くことを楽しむ。「解ければいい」ではもったいない。絵図を描くことで、初めて見えてくるものがたくさんあ
る。最も効果的な思考回路養成になる。
4.描いたら文章は見ないで絵図だけで考える。
*絵図を使って(参考にして)頭で考えるのではなく、絵図そのもので(目で)考える。これが大事。
5.答えが見えるように絵図を描き直す。
*絵図を描き直すことで、柔軟な思考回路を作ることが出来る。
6.答えが出たら(見えたら)計算して確認する。
*必ず筆算で計算する。暗算ができても、暗算は「10 の補数と九九」だけに限定する。少量を丁寧に味わうことが
大切。
7.要求されている設問内容に合わせて丁寧な計算式を書く。
*計算式は算数・数学の言葉なので過不足無く書き出す。筆算はメモなのでここでは不要。
8.答えは計算式とは別に単位に注意して書き出す。
*答案用紙には「絵図・筆算・計算式・答え」が必要ですが、小3~.4くらいまでは絵図だけでも結構です。
線分図は、最も応用の利かない絵図ですので、特に低学年では使わない。
…………………………………………………………………………………………………………………………………
■ヒントについて
・原則禁止ですが、全く知らない語句だけは教えます。ただし、「分からない・知らない」と言われて
直ぐに、「それは~.」ではいけません。知っているのに使えない(思い出せない・利用できない)だけの
場合が多いからです。ここに気付かずに説明してしまうと
<知っているのに使えないから聞く>→<その場だけ出来る>→<また聞く>の悪循環になります。
・「分からない・知らない」語句でも、子供の記憶・経験の中で説明できるかどうかを探りながら、
子供自身に自分の記憶を再現させることで理解させることが非常に重要です。
・ 読む練習ではありませんので、特に低学年では、読めても読んであげる方が効果的です。
「読めるから読ませる」「読みの練習になるので、ついでに」は思考力養成を妨害し、エネルギーを浪費させ
ることになります。
・低学年では、読むことに全く抵抗感がない、あるいは、本当に読むことが好きな場合にのみ、自分で読み
ながら進めて結構です。反対に、高学年では、黙読しながら解いていくように、徐々に環境を設定して
あげて下さい。
※学年配当漢字以外の漢字使用や、重複問題、単位の変更(匹→人)、学年では習わない大きな位の数字などは全て
意図的な配慮ですので、変更しないで使っていただいたほうが効果的です。また、問題を解く順番は気にする必要はありません。 学年もこだわらなくて結構です。
□どんぐり問題作者より■視考力を活用した思考力養成のためのテキスト…の意味
この良質の算数文章問題、通称「どんぐり問題」は、これまで、幼児・児童期に成長する全ての思考力の源となる思考回路養成の壁となっていた、言葉の本質的誤解に基づく「高速・反復・多量」学習の致命的な欠点を克服し、言葉に惑わされずに思考そのものを育てるためのテキストです。
算数の文章問題という形をとった言葉から視覚イメージを再現し、思考という視覚イメージの操作を施して、その過程を自分のオリジナルの思考回路として育てていく。これが、目で考える力・視考力を活用した思考力養成です。データに過ぎない知識、記号に過ぎない言葉、単純処理の繰り返しに過ぎない計算、これらのことを、どんなに高速に多量に処理し蓄積しても思考回路を作る事は出来ません。データと回路は全く異なるのですから、作り方が異なるのは当然です。ところが、データを蓄積すれば自然に思考回路が出来ると勘違いしている人が大勢います。それが、これまでの根本的な勘違い学習方法を浸透させ、偶然教育しか出来なくなった原因だと思います。そして、その方法は依然として尤もらしく教育界を闊歩しています。
水路を作らなければ船は使えないのに、船ばかりを造って、その船の数や性能を喜ぶのは、本末転倒です。まずは、幼児・児童期にどこにでも行ける水路を作る。水路を作るのには、誰もが自在に使える持って生まれた視覚イメージという道具を使う。そして、十分な水路が出来たところで、自分が使いたい、あるいは使わなければならない水路に適した船を導入する。高速船か、運搬船か、トロール船かは使用環境で変える。つまり、船の導入は、幼児・児童期にすべきことではないと言う事です。必要になったら、その都度、最適な船を導入すればいいだけです。水路さえ出来ていれば、何の心配もないということです。
■表紙の添削例について
今回、表紙の表裏を使って、全問題の添削例を公開しました。見づらいですが、参考にはなると思います。どんぐり問題に正解はありません。問題を解いた子供自身のオリジナルの解答過程が、その子の力になる正解だからです。答えはオマケというのは本当なのです。大事なのは思考回路となる考える過程そのものだからです。ですから、添削例の真似はしないで下さい。大人が添削例を見るのは、いつでも結構ですが、子供が見る場合には、問題にとりかかる前ではなく、終わった後に参考として、違う考え方を楽しむために見る事をお勧めします。また、細部や他の添削例を御覧になりたい方は「どんぐり倶楽部」のHPにお越し下さい。HPでは、2000例以上の添削例が公開されています。
■ヒントになる絵図があってはいけない理由
ヒントになる絵図が最初から描いてある問題集がありますが、どんぐり問題では一切ありません。それどころか、ヒントにな
る絵図は絶対に見せてはいけないというルールがあります。その絵図を自力で描き起こす事そのものが、思考力養成の第一歩になるからです。ですから、この最初の一歩には十分に時間をかけなければいけません。そこからオリジナルの思考回路が作られ、初めて応用が利く思考回路を手に入れる事が出来るからです。
■EX問題について
「どんぐり問題・下」には、EX問題を付けています。これは、どんぐり倶楽部のオリジナルではありません。出典は下記の中
学・高校入試の文章問題です。
EX001:平成17年慶應湘南藤沢中等部【4】(1)(2)/EX002:平成17年成蹊中学校【3】(1)(2)/EX003:平成13年福岡県公立高校【2】/EX004:平成18年灘中学校1日目【3】/EX005:平成18年武蔵中学校【3】/EX006:平成20年麻布
中学校その2【3】
*EX問題は2008年夏に出典は伏せたままスペシャル問題として、設定は全く変えずに登場人物だけを変えて公開添削の募集をした時の問題です。ですから、問題を解いた子供達は、いつも通りに、普通に絵図を描いて楽しく解いています。受験で使うとされている「**算」など一切知らなくても、教えられていなくても、自力で普通に解けるという事です。
■読解力養成について
●保護者・指導者へのアドバイス:どんなに「読み聞かせ」をしても、どんなにたくさんの本を自分で読んでも、どんなに集中しても「読解力とは文字を視覚イメージに変換することである」ということを知らなければ読解力は育てられません。また、その再
現した視覚イメージから感覚や感情を再現する事が出来なければ、豊かな感性を保っておく事は出来ません。そして、幼児・児童期にできる読解力養成とは、実は読書ではないのです。日常生活(特に正常な時間の流れを感じられる自然の中での遊び)を通して感覚・感情を含む原形イメージを、たくさん蓄積する事が読解力の素になるのです。読書が有効になるのは、この豊かな原形イメージを蓄えた後の話です。ですから、幼児・児童期の読書は本人が好きなものを味わう程度にしておく事が最も効果的なのです。
■学年別の留意点
●年長:
・絵本の読み聞かせをしているような雰囲気で、一行ずつをゆっくり味わい、一行ずつを楽しくお絵かきする。
●小1:
・言葉からの視覚イメージ再現を楽しむ。
・答えはオマケ。
・お絵描きに夢中で進まない、が理想的。
・上手下手に関係なくオリジナルが大事。
・豊かな表現力の源となる感味力養成が大事。
・読んであげる方がいい。
・自分で読めるから読ませるのはストレスになる場合が多い。
・数が確定していないものでも意識できるようにする。
・見えないものを見る力(描く力)が決め手!
●小2:
・計算式は書かなくてもいい。
・計算を気にしないように「書かないほうがいい」場合も多い。
・こう考えれば解ける、という筋道、自力で工夫して探し出せるようにする。
・答えまでの「理論展開」を目でできるように絵図を描く。
・構図による理解が大事。
・視考力を使った思考力養成であること を忘れないようにする。
●小3:
・視覚イメージの再現に加えて視覚イメージの操作(思考)力を視考力を活用して思考力養成をする。
・絵図を描いても絵図を使わずに、計算式だけで答えを出そうとする場合には要注意。
・不要な言葉は書き込まない。
●小4:
・「絵図・筆算・計算式・答え」の4点をセットとして書けるようにする。
・絵図から導いた計算式(算数語)を意識すること。
・途中式(推論の軌跡)を丁寧に書く。
・問題文にない数字は必ず計算式で出す(算数語で書いておく)。
●小5:
・「絵図・筆算・計算式・答え」を書く場所を分けて見やすく整理しながら書く。
・視考力のブラッシュアップ。
・簡潔な絵図でいいが、線分図は避ける。
●小6:
・過不足無く、全体を見通しやすいように、一目で理論展開が理解できるように絵図を工夫して描く。
・誰が見ても分かるように描く。
・プレゼンテーション・表現力をも含めた視考力を活用した思考力養成の仕上げ。
■全般的な注意
*自分で描いた絵図をよ~.く見ることが全てです。何回も見ること。
*読むのは1回ですが絵図は何回も見ることが大事。
*言葉で考えずに「こうしたらどうなるかな?どうみえるかな?」と目で工夫すること。
*偶然に思えても、それは偶然ではなく目が考えているんです。なぜなら、無限の数字や絵図の中から偶然に答えに結びつく数字や絵図を選ぶ事などあり得ないからです。
*作図中には言葉での説明は極力少なくするのが、絵図を移動変形しやすくするコツです。言葉は視覚イメージ操作の邪魔をする(思考の流れを止める)からです。特に、文字を早くから覚えさせられたり、使わせられたりしている子供達は、絵図だけで、考える事に不安を感じ、注釈のような文字での説明を絵図の中に書き込む事がよくあります。見ている方としては分かりやすく説明がついていていいのかもしれない、と思いがちですが、いい傾向ではありません。これは「勇気がない」「自分に自信がない」「文字での説明がないと不安に感じる」「思考の本質を分かっていない」ということです。もちろん、単なる癖である場合もあり
ますが、それでも少しずつで結構ですので、小6の終わりまでには、不要な文字は書かないで考える事が出来るようにしてあげて下さい。
■健全な中学受験の方法と注意点
どんぐり問題は、中学受験用の勉強をするためのものではありませんので、
特殊な(年齢的に不自然な)出力形式に合わせることを要求される中学受験には、意図的に、そのままではピタリとは対応しないようにしてあります。
こうすることで、熟成度の高い健全な学習が可能になるからです。つまり、特殊な出力様式に合わせる不自然な学習を回避するための構造にしてあるということです。ただし、どんぐり問題で養成される力は、何にでも応用が利く「絶対学力」ですから、たとえ、特殊な出力様式である中学受験を攻略する場合にも大いに効果を発揮することは当然ですし、受験勉強の仕上げに不可欠なパターン学習を身につける場合にも、悪影響を最小限に抑えることができますので、準備次第では「健全な中学受験」が可能です。
※実例は別冊「健全な中学受験」として刊行してありますので御覧ください。注意していただきたいことは、一生を左右する「オリジナルの思考回路養成」と特殊で一時的で不自然な「受験勉強というパターン学習」との優先順位です。
<中学受験をする場合の優先順位>
1.十分な思考回路養成・・・どんぐり問題の消化
2.入試問題の分析・・・・・・1校限定
3.必要な受験勉強内容の特定・・過去問分析
4.個人用受験プラン作成・・・毎月修正
オリジナルの思考力養成が出来ていない段階で受験用にパターン学習を取り入れてしまうと、そのパターンの問題にしか対応できなくなってしまいますので、応用も利かなければ受験後に要求される本当の学力(応用力)も育ちませんので要注意です。どんぐり問題で本当の思考力養成を終えている場合は、パターン学習を悪影響の少ない高学年で一気に進めることが出来ますので「健全な中学受験」が可能になります。通常でしたら小3・4・5・6と4年間かけて塾で難関校を目指して受験勉強をするところを、小6の夏からの半年で完璧に消化することができます。この期間は、御三家のような最難校の場合には1年半前の5年生の夏からになります。受験勉強に入る前までに「良質の算数文章問題」700題を全て自力で消化しておくことが前提となります。
そして、この受験勉強期間は、保護者によって3年間をかけて解析された志望校の過去問をもとに作られた学習計画に沿って受験問題集(大手の受験塾のテキストを使うことが多いですが、志望校に対応した部分しか学習しません)を効率よく消化する事になります。もちろん、ここでは志望校の設問に合わせた設問解釈中心のパターン学習になりますし、志望校によっては、暗記物も沢山ありますので、厳密な個別レベルでの学習予定表を作る必要があります。全く受験勉強をしないでどんぐりと過去問を2回解いただけで、中堅中学に入る子も毎年いることはいますが、「勝ちに行く」のなら、キチンと計画を立てます。もちろん、最後の仕上げの時期には、時間を測ってどの問題から解いて、どの問題を後回しにするか、あるいは解かないかを判定するシュミレーションもします。
※中学受験は、合格させるだけでいいのなら、決して難しいものではありません。そうではなく、健全な頭の成長を考えると時
期的にも精神的にも、人間としての成長段階を考えても、相当緻密に制御された環境下でなければ健全な中学受験は出来ない
のです。この時期の受験勉強は、それほど危険が充満しているのですから、するなら、心して臨むこと。学習手順を間違えずに、
子どもの変化を見逃さないようにして、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」を親子で実感できるようにしましょう。中学受験のスタンスは「社会との戦い方を親がお手本として準備段階から見せながら子どもに伝えること」です。受験勉強という機会を使って親の生き方、社会との戦い方を伝えるのが中学受験であると「どんぐり倶楽部」は考えています。
※高校受験は本人が計画を立て実践しますが、アドバイスは親がします。こうすることで、高校受験は、年齢的なことも相まって、自己確立をしながら社会との戦い方を身を持って味わうことが出来る、またとない機会となります。高校受験は中学受験とは異なり、進学する者も、進学しない者も区別なく必ず通るべき関門です。内部進学などで、この機会を逸することは、人間の成長にとって非常に大きな損失となります。
*幼児・児童期の学力養成は家庭で「良質の算数文章問題」でして下さい。
■中学校教員の勤務環境などの国際調査結果
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140626-00000008-asahi-soci
経済協力開発機構(OECD)は25日、中学校教員の勤務環境などの国際調査結果を発表した。
日本の教員は指導への自信が参加国・地域の中で最も低く、勤務時間は最も長かった。
■オマケに小学校英語?やめておきなさい。
<参考:http://38sera.blog.so-net.ne.jp/2014-03-04>
『豊橋市で先行実験的に実践した小学校低学年からの英語授業』の子どもたちが高校に入学する年齢になった。
→現場の英語教師に聴いてみると、ひどく低い学力だという事が分かった。
→そこまではいわなくても、少なくとも全く効果が無い(あるのは悪影響)ことは証明されているのです。
■どんぐり倶楽部は、元々は現場の先生達の役に立つようにと思って立ち上げた先生向けのHPなのです。実際に利用されている先生もいらっしゃいます。よく「学校に導入するのは無理」という言葉を聞きますが、大きな勘違いだということです。
http://reonreon.com/korokoro_school_p28.pdf
■考える力をつけるどんぐりの取り組み
http://gaiacafe.exblog.jp/10452621
私には14歳の息子と5歳の娘がいます。息子が11歳になったころのことです。算数でつまづきました。当時流行っていた100ます計算を自宅でもやったり、何かいい勉強法はないか、いろいろ模索していたところ、どんぐり倶楽部の勉強法に出会いました。藁にもすがる思いだったので、早速、取り入れました。
最初の1ヶ月は、私はサリバンかと思うほどでした。
息子は「こんな問題、見たことがない!」「わからない!」と癇癪を起していたのを、サリバン先生のごとく、忍耐し続けました。どこからなら出来るのだろうと、問題のレベルを下げていったところ、なんと小2でした。そこからやり直しです。変化が表れ始めたのは1ヶ月を過ぎてからです。息子のほうから、問題に取り組み始めるようになったのです。息子のほうが私が言うより先に問題を解いていて、そのノートをさりげなく置いてあるのです。ノートを開けて「うわ~、すごいね~、もうやったの!」と褒めると、すごく嬉しそうに笑った顔が今でも忘れられません。
ある時のこと。息子はそばにきて、「お母さんは僕のことが好き?」と聞いてきました。「もちろん、一番好きに決まってるでしょ」というと、またまた嬉しそうでした。このときの息子の変化は、どんぐりの問題を親子でやりはじめたからだと今でも思っています。どんぐりの素晴らしさは、体験しないと伝わらないので、あまり人に伝えることはなかったのですが、同じような悩みを抱えている人がいるかもしれないと思い、MIXI内でどんぐり倶楽部のコミュニティを立てたりもしました。(今は管理人は譲っております)ここ数年はどんぐりと離れていたのですが、今、5歳の娘も始めました。(ここまで待っていたのです)息子のときのサリバン状態とは違って、まっさらな状態から始めたので、これがすごく楽しい!
■下記は、NHKエデュケーショナル創立20周年記念事業「10歳の壁」プロジェクトの報告書からの
抜粋「取材ノートの一部」である。
http://donguriclub.hatenablog.com/entry/2014/04/07/222715
*報告書編集委員:六本良多氏(主任プロデューサー)の了解を得て掲載。
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イメージ力と「10歳の壁」
「10(9)歳の壁」という問題に強い意識を持っている人の一人が、教育アドバイザーの糸山泰造さん(どんぐり倶楽部主宰)だ。著書の副題にも『「9歳の壁」をどう突破していくか?』というフレーズを使っている。
糸山さんは、学習塾で教えていた経験から「10歳の壁」現象に危機感を持った。小学校低学年で、同じような計算問題をくり返し練習するなどの「反復学習」を重ねてきた子どもたちが、小学3~4年生以降、なぜか学力が伸びなくなる。そうした現象に悩んだ末、独自の教育手法にたどりついた。算数の文章問題を、あえて式を用いずに、絵に描いて解く、という独自の方法論だ。問題文(「言葉」)を、時問をかけて、正確に「絵図」としてイメージする力こそ「考える力」だというのが持論だ。
「子どもの力に大きな優劣はない、自分のペースで十全に生きてほしい」との思いを込めて「どんぐり倶楽部」を名乗り、インターネット経由で教材を提供。全国の学習塾や小学校、家庭などで利用者の輪が広がっている。
糸山さんが開発したのは独自の算数の文章問題。そこには、いくつかの工夫がある。聞題文は必ず数行以内に納まる短いものにしている。昆虫や動物など子どもが好きなもののほか、あえて架空の生物を登場させ、想像力を使わせる。文面は親しみやすいものだが、問題の論理構造は、実は複雑で、単純な計算を覚えて当てはめれば解けるという問題はない。指導者が子どもに行う指示は「問題文に出てきたものを順番に絵に描く」ということだけ。子どもたちは時聞をかけて、具体的な虫や動物を思い浮かべながら描いていく。問題文の要素一つ一つを絵図に描くことで、複雑な論理構成が明快に見えてきて、最後は単純な計算で答えが出てくる。
学習塾で見えてきた「10歳の壁」
糸山さんをはじめ、各地の学習教室や塾で、子どもたちを見ている先生たちは、近年、子どもたちの異変に危機感を持っているという。計算ドリルは素早くできるのに、文章題になると、問題文に出てきた数字を並べ、デタラメに四則演算を試みる。問題の意味を問うと黙って思考停止してしまう。わからない文章題が続くといらだって立ち歩き、暴力的になったり、考えることを拒否する。そうした子どもたちの状態に悩む声は、どんぐり方式を採用しているいくつかの学習塾で聞いたが、それ以外の取材先でも多く耳にした。
それだけではない。時間の感覚がなく、「A地点からB地点まで〇〇時間かかりました」という問題文の意味がわからない小学生や「いくつかの物を数人で分ける」状況が想像できない小学生なども少なくないという。その背景の一つとして、単純な計算を「基礎」として徹底反復するあまり、「自ら考えるカ」を失っている、という教育方法の問題があるのではないかという。糸山さんによると、反復ドリル学習や、正答のみを求める教育は、子どもが「覚えた」ことを吐き出すだけで、自分で「考える」必要がないため、考える力を失わせるという。「勉強以外の活動も……」と通わせる「習い事」の多くも、実質は「覚えた」ことをアウトブットすることに終始している、とも指摘している。
また、もう一つの背景として、日常の中での「体験」が極端に貧弱化しているという生活環境の問題があるのではないかともいう。日常の移動はすべて親が車で送迎し(そのほうが親にとっても楽なため)、学校と家と習い事の教室をドア・トゥ・ドアで行き来するような生活や、親子の間の会話も「〇〇しなさい」といった「電報的」なコミュニケーションが多くなっていることなど、生活体験全般が貧弱になっていることがあるのではないか、と言うのだ。どんぐり方式を取り人れている塾の多くは中学受験を主目的にした進学塾ではなく、一般的な学習塾だ。統計的裏付けはないが、そうした現場で子どもたちを間近に見ている先生や保護者たちの実感こそが、子どもたちの異変の「兆候」を捉えているのではないだろうか。
「論理構造」を意識させる「絵図」方式で
「抽象概念」に気づかせる
糸山さんの教育手法は独特だが非常に本質的なものを含んでいると感じた。今回の取材の観点から、2つの特徴に注目した。
(1)「論理構造」を明確にする
どんぐり倶楽部の方式の第一の効果は、文章問題の日本語が意味する「論理構造」を、絵に描くことで明確化すること。ここでの「絵を描くこと」は、情操を豊かに……という意味だけでなく、論理的な意味も持つ。問題文に出てきた言葉すべてを絵図にすることで、文の意味を正確に把握していくことになり、論理的な思考のプロセスが視覚化され、明確に意識されるようになる。情緒的な想像力と、論理的な思考力が分断されずに育っていくのだ。
「クーズアップ現代・10歳の壁を乗り越えろ2009/06」の番組では、女の子が、やや複雑な算数の問題を、絵に描き、白問白答し、試行錯誤しながら解いていく様子を紹介した。与えられた計算法を使いこなすのではなく、その子自身が持っている等身大の考えや推論で答えにたどりつく、生き生きとしたさまが見られた。それは、彼女にとって楽しいプロセスであるらしく、もともと苦手で嫌いだった算数が、絵を描いて解くことで好きになった、と答えていた。
(2)「抽象化」過程をはぐくむ
もう一つの特徴は、長期的に現れてくるものだ。どんぐり方式の問題をいくつも解いていく中で、「具体的な思考」から「抽象的な思考」へと、自然に移行していくのだ。
例えば、最初は具体的なアリやカプトムシを1匹ずつ絵に描いていた子が、やがて、それらを〇印などの抽象的な図で表すようになる。〇印で、日の前にないアリを表す、という「抽象化」を自らやるようになるのだ。
あるいは、「大きな数」の概念を獲得するプロセスがある。最初のうちは問題文に出てくる「80個」や「100人」を一つーつ全部絵に描く子がほとんどだが、問題を解き進むと、やがて「1000」「10000」という数が問題に出てくるようになる。すると、一つ一つ描くのが「面倒くさくなって」、自然に、1個や1匹ずつ描くのではなく、10や50、100をひとかたまりとして描くようになる。大きな数の概念は教え込もうとしても難しいものだが、どんぐり方式では自分で工夫しながら気づいていく、というプロセスが起こるのだ。
別の例では、「演算」の概念を獲得するプロセスもある。最初は一つ一つ絵に描いたものを「数えて」答えを出していた子が、ある時、数えるのが面倒になって「足し算」を使えばよいことに気づく。そして「足し算」をくり返していくプロセスを経て、やがて、「掛け算」を使えばいいことに気づいていく、というプロセスをたどる。番組では紹介できなかったが、取材で訪れたどんぐり方式を取り入れている福岡県の学習塾の女の子(小学5年)の過去の答案にそのプロセスが残っている。その女の子は、3年生の時に塾に入ってきた。以前は、計算練習を重んじる別の塾に通っていて、小6レベルといわれるほど許算が得意だった。しかし、この塾に入ってきた時、掛け算が必要な文章問題を前にしても、自分で「掛け算を使う」という判断ができず、手が動かなかったという。計算問題の形式になっていれば、覚えた九九を実行するだけなので答えられるが、彼女は掛け算の「意味」がわかっていなかったのだ。こうした事象は教育現場でよく聞かれる。「これは何算の問題」と尋ねてくる子どもが増えた、と嘆く先生が多いのだ。その女の子は、どんぐり方式を始めてしばらくは、絵に描いたものを一り一つ「数えて」答えを出していた。数か月後の答案では、一つ一つ数える代わりに、「足し算」をすればいいことに気づき、「+」の式が登場した。さらに半年たった後、「足し算」をくり返す代わりに、「掛け算」を使えばいいという発想に至り、「掛け算」という演算が実感を伴って使えるようになっていった。足し算や掛け算という抽象的な概念を「覚える」のではなく、具体的な工夫を重ねることで身につけていったのだ。
問題文というワンダ一ランドの中の「総合学習」
どんぐり方式では、指導者は解き方を教えない。子どもが持っている手がかりは「絵図に描く」という方法だけ。最初のうちは問題に出てくるアリやカブトムシを好きなだけ詳しく、きれいに描いてもいい。いくら時間をかけてもよい。問題が解けた楽しさ、うれしさを経験するうちに、そうしたことは省略されていき、おのずと抽象化されていく。どんぐり方式では、子どもが自由に時間をかけて試行錯誤してよい。100以上のものを一つ一つ描いて数えてもかまわないし、足し算や掛け算を使っても構わない。通常の、段階ごとに定められた手法を順番に身につけ、階段状に上っていくという、コースの決まった教育プロセスではない。
山を探索しながら好きなルートで登るように、さまざまな体験をし、それらを通して知見や学力を身につける「総合学習」「プロジェクト型学習」に近い。一冊の問題の中のワンダー(驚き)を自由に探検していく、いわば、「ミクロな総合学習」と言えるのではないか。
意欲を取り戻す
絵を描くことから考えるペースをつかんだ折どもたちには、学力だけでない効果も現れるという。東京都内のある学習塾では、数年前からこで学ぶ子どもの一人(小4)は、一年前に初めて来た時は、落ち着きなく立ち歩き、先生の言うことも聞かず、計算はできても文章題は拒否。お笑い芸人のマネを執拗にくり返したり言い訳をして「考える」ことを拒否していた。しかし「どんぐり方式」で絵を描いて考える術を身につけた後は、文章題を次々と自力で解くようになった。問題文の内容を独り言で語りながら、色鉛筆を使ってったない絵を描いてじっくり解いていく。考える力がついてきた彼は、落ち着いて机に向かうようになり、行き帰りのあいさつも自然と出るようになったという。