どんぐり倶楽部の糸山先生の雑記帳

絶対学力を育てる[どんぐり倶楽部]の糸山先生が書いている日々の雑感

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2015年02月27日
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<再掲載> 

2011年07月17日 
■守るべきもの(文責:どんぐり倶楽部)
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コトノハ通信:Vol.05~糸山先生より~


守るべきもの~私たちは何をまもろうとしているのか~

 守るべきものは「感味力」であり、育てるべきものは思考力です。親は子どもの感味力を守り、12歳を過ぎたら自分で自分の感味力を守る必要があります。
 感味力とは、心そのもののことです。芥川風に書くと「感味力とは、畢竟(ひっきょう:結局)、心そのものである」となるでしょう。
 感じることも味わうことも、思考回路と同様に作られる回路です。ただ、思考回路と違うところは、非常に早い時期に、自然にできあがるということです。ですから、親ができること(すべきこと)は、その感味力(心)を守ることとなります。「感味力(心)」を守ることは、子供を守ることであり、ヒトを人間に育てることであり、健全な未来を守ることであり、人類を守ることになります。

 感味力とは「心」のことです。
 思考力とは「頭(体の制御司令塔も兼ねる)」のことです。
 そして、感味力+思考力→判断力となります。

 ですから、人間には、どちらも必要な力であるのは明白です。しかし、もしも、どちらか1方しか、選べないとしたらどうでしょうか。もちろん、選ぶべきは心である「感味力」の方です。感じられなければ制御力は使えない(働くことが出来ない)からです。適切に使えない(制御できない)力は何の意味も持ちません。反対に「感味力」が育っていれば、思考力でさえも、最低限のもので十分です。

 ところが、現行の学習方法は、殆どが「感味力」を潰すという副作用を持っている方法です。これでは、どんなに思考力を育てたとしても、使えない(制御できない)力をつけていることになります。まさしく本末転倒です。危険でさえあります。使い方を知らない子どもに拳銃を持たせていることと同じですからね。
 ですから、何をする場合でも、心しておかなければならないことは、そのこと(子供がしていること、親がさせていること)が「感味力」を削ぎ落とす(心を潰す)副作用を持っていないかを考えることです。副作用があるものは使ってはいけない(してはいけない、させてはいけない)ということです
 受験勉強や家庭学習に関しても同様です。「忙しく(心を亡くして)勉強させる」など、あり得ない(絶対にあってはならない)ことです。心を守るべき時期に心を潰しながら勉強させた方がいいことなどあり得ないからです。
 また、心が育っていない子供が、心を込めて何かをすることは不可能です。込めるべき物を持っていないのですから、心を込めて何かをすること自体が不可能なのです。こんな悲しいことはありません。どんなに「すること」に努力しても、そこには、心を込めることが出来ないのですから。反対に、心が育っていれば、何にでも、その心を込めることが出来ます。...ですから、守るべきものは「感味力(心)」なのです。

 楽しく不快なこと(不快と感じるべきこと)をさせていると、根本的な基本回路が狂ってしまいます。例えば、笑わせながら(楽しく)猛スピードで何かを見せる、させる、言わせる、反復させる。すると、異常な原形回路が作られてしまいます。不快と感じるべきもの、回避すべきことに快感を感じるようになります。ここを、12歳以後に修復するのは限りなく困難なことになります。

 宿題、習い事、日常生活、遊び、会話...等々生活全般において、このことは常に考えておくべきです。

 一見難しそうですが、チェックすることは一つですので全く難しくはありません。「これを、この方法でさせると、感じること・味わうことを邪魔しないかな?」と思えば自動的に正解が見えるのですからね。「~ができるようになります」という基準は全く無意味です。人間は出来ることしかできませんし、出来ることは無理なく出来るようになっています。迷ったら、いつものように、自分で子供にさせようと思っている分量の5倍~10倍を最低でも2週間実際にやってみることです。そして、それをしているときの自分の感情と頭の中の様子をじっくりと味わうことです。そうすれば、すべき事とすべきでないことは見えます。くれぐれも、巷の(営利主義の)キャッチコピーには惑わされないで下さい。