移植
「頭の健康診断」で小5の子が小2の問題に手も足も出ないということはよくあることです。
考える方法を全く教わっていないのですから、どんなに学校の成績が良くても無理です。
すると、こんな言葉とともに、修正方法を教えてくれと言われる。
「ウチのコ、こんな問題もわからないんですよ!」
オマケに「ガッカリした」「恥ずかしい」「どうしたらいいか分からない」
...?????????????????????
いい加減にしろよ。...そう育てたのは、君だよ。
よくもまぁ、自分でやったことを、全く知らん顔して他人のせいにできるね。
それも、自分が育てた子供のせいにするなんてのは、
異常だ。
自分が育てた責任を、育てられた子供のせいにするってのは、
一体全体、どういう了見だ?
出なおして来い。…とまでは、言わないが、そう思っている。
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本当に酷いな。
保護者失格もいいところだ。
どこまで麻痺してるのだろうか。
*同じことを、小学校の先生がしている場合は、回避策の難易度が上がる。
せめて、進化の邪魔さえしてくれなければいいのだが、
宿題という名前で、邪魔されると、子供が反応するからなぁ。
本当に、余計なことはしないで欲しい。
ドリルを何回やってもマイナスが増加するだけです。
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非常に有能な親であっても、
これだけ教育環境の悪い日本では、
子育てと教育に関しては、
危険なほど無知なままに
子育てと教育をせざるを得ない人達が大勢いる。
<危険を見分ける方法>
環境が悪化するバックに必ず付いているものがある。
営利企業である。
コレが蔓延[はびこ]っている分野は、非常に環境が悪い。
その上、特に教育界に関して言えば、その環境の悪化を「見えないように加工してある」という意味で、本当に質が悪い。
最新の動向としては、タブレット端末教育である。
理由は簡単。非常に高額の利益を見込めるからだ。
コレは、ゾッとするほど質が悪い。カムフラージュが上手だということだよ。
ここまで、子供達を食い物にして、親や教師を惑わせ、危険に対する感度を鈍らせ、麻痺させる大規模なキャンペーンは本当に酷い。
未来を捨てて、役にも立たない利益を取るのは、もう止めないと。
自分の首を絞めていることに少しは気付かないと、本当に手遅れになる。
Facebookの方で少し書いたので公開しようと思います。
どんぐり倶楽部の学習方法は、これまでの学習では育てられなかった、全く異なる思考回路そのものも<キチンと育てれば>手に入れることができるように仕組んであります。
ただし、それには、ただ、「700題を解きました」では無く、始める時期や、問題を解くスピードや、進化に伴う微調整などが必要になり、かなり高度などんぐり理論の理解力と子供の観察力と生活の制御力が必要となります。確かに、こうなると、誰にでも簡単にできるものではありません。ですが、目指すことも出来るようにはしてあるということです。
それは、新しい種類の原形思考回路、Basic Visual Thinking Curcuits の養成です。
新しいと言っても、今までに全くなかったわけではありません。
ごく一部の天才と呼ばれた人の中には、環境や境遇や性格が手伝って、
偶然ではありますが、この思考回路を手にしていた人はいたようです。
ただ、それは、意図してなされたものでもなければ、望んで手に入れられたものでもありませんでした。
そもそも、その回路の正体さえ知られてはいませんでしたから、偶然でしか手に入れることはできなかったのです。
Visual Thinkng という考え方は結構古くからあったようですが、それは図形的処理方法で考えるという程度のことであって、所謂絵図を参考にして、考えを整理して書くという程度のものでした。それでは、新しい回路とはいえません。マインドマップも、この絵図参考レベルの理論です。
唯一同じかも知れないと思われるものが、プラトンの求めた思考方法ではないかと考えられます。
というのも、哲学学校であるアカデメイアの門に書かれてあつた、幾何に関する文言を考えても当たらずとも遠からずと言えると思います。
「幾何学を解さざる者は、この門を入るべからず」
つまり、思考のベースとして幾何的思考、絵図での思考を求めていたと考えてもいいのではないだろうか。とすると、どんぐりが狙う視考力を活用した思考力養成と同じことをしていたことになる。さすがプラトンである。
ただ、残念なことに、この思考方法が引き継がれ、教育界で中心になることはなかった。文字文化に覆われて、修辞学が人々の求めるところとなり、思考の本体を見えなくしてしまったからだ。
どんぐりの立ち位置は、「天才の思考も意識的にできる秀才を普通に育てる」というところになると思います。この位置づけが、最も自分の力をコントロールすることができる最良の立ち位置と考えるからです。
Hybrid_Brainとでも呼べそうです。
Hybrid_Brainでは、同じ問題を考える場合でも、解像度が全く異なります。見晴らしのいい高台から大パノラマを見ながらピクニックを楽しんでいるかのような Visual Thinking と、ジャングルの中をさ迷いながら、行きあたりバッタリの迷子になったような感じの違いにも似ている。
<補記>
●プ ラトンの「哲学学校:アカデメイア」とイソクラテスの「弁論学校」は当時ライバル校だった。プラトンは幾何学(目で見て考える視考力中心のイメージ操作の 鍛錬)を重視し、イソクラテスは文学(暗記中心の言葉の鍛錬)を重視した。逸材は圧倒的にプラトンの学校から輩出された。当然のことである。思考力とは「視考力」を使ったイメージ操作であり、言葉とはイメージを導くための記号に過ぎないからだ。アカデメイアの門には「幾何学の何たるかを知らない者は入学を認めない」という意味の言葉が掲げられていた。と ころがこれは幾何学(数学)そのものを指していたわけではなく「人間は言葉を使うが、言葉そのもので考えているのではなく、イメージ(特に視覚イメージ) で考えていることを知っていることが入学の条件である」と言っているのである。計算が速かったり、言葉を数多く覚えることが思考力を育てるのではなく、イ メージ操作(イメージの移動・変形・連想・比較)の練習が思考力を育てることをプラトンは知っていたのでしょう。
その人の哲学は12才までに作られる。そして、時を経て、その人が獲得した言葉で、書き述べられる。
哲学とは、人が12年で得たことを、120年かけて書いているだけのことである。
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その人が、書かないから、言わないから、
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*信念は体感を伴うものでなければ、心底納得できるものにはならない。
体を持っている人間が、心の底から納得する(得心する)には、
今までは、幼児期の教育に、思考力養成という考えが欠けていた。
天才の思考方法を普通に操ることで、