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どんぐり倶楽部の糸山先生の雑記帳

絶対学力を育てる[どんぐり倶楽部]の糸山先生が書いている日々の雑感

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2014年06月24日
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カテゴリ:カテゴリ未分類

*全世界に向けて、どんぐり倶楽部に関して書いてあるものですから、どんぐり倶楽部を作った本人がお答えするのに問題はないと思います。
<例>「計算のテストでは、否応なく速さを求められます」
●そのテストの構成自体(特に問題数)が異常なことに気づいていない。問題数が多くなると、全く異なるマイナスの対応力を求められるのですから、要注意なのです。異常なテストで満点を狙うように仕向けるのはマイナス学習の代表です。
そこで【開成中学入試問題を完答するために必要な計算式】を全て集めて検証した記事も書きましたが、当然ながら、結論は同じで「速度は全く不要」+「必要な速度は、受験直前の2週間で養成可能」です。これくらいのことは誰でも自分で検証できますので、各自でされてみると納得できると思います。
●子供を壊さない「健全な中学受験」の方法
http://plaza.rakuten.co.jp/donguri117/
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やまと学院:やまと通信より
http://www.yamato-gakuin.com
~衝撃~10月号
Vol.101
http://www.yamato-gakuin.com/yamatsu/2007/YamaTsu_Vol_101_10.htm
>この糸山さんの主張では、「12歳以前、とくに9歳以前に、徹底反復とスピードを重視した、『読み・書き・計算』の高速多量学習をさせること」は子どもたちを「考えられないように教育」しているのだそうです。
●考えられる子もいるというための布石となっていますが、ここで既に「考える」の意味が異なっています。
「考える=テストで点数が取れる」という前提に立っているからです。テストの点数なら、パターン学習というコピー回路だけを使うことでも点数をtれますので学力の有無は判定できません。ここでいう、「考えられないように教育」されているとは、オリジナルの思考回路での自力での考える力は育てられないように教育されている」ということです。<考える>とはどういうことかという大前提を、正確に定義していない混乱する典型的な流れです。

●反射回路強化は、繊細で複雑なオリジナルの思考回路養成の邪魔をするのです。

>糸山さんの一貫しての主張は、「視考力(しこうりょく)」が重要なのだと言うことです。それは、文章などを読んだときに、しっかりとその情景がイメージできる力です。私もそういった力の重要性は感じていましたが、はっきりと言語化していただいたおかげで、今までの心の中のもやもやが晴れた気がします。
●ここでも、注釈が必要です。「重要」なのではなく、視考力が思考力そのものなのです。ただし、思考にも【浅思考:センシコウ】と【深思考:シンシコウ】があり、【深思考】には<感味力>が必要不可欠なのです

>実際、この本を読んで1週間ほどですが、その間、意識的に、生徒さんたちに問題を頭の中でイメージさせるようにしたり、実際に計算用紙に絵図にしてもらっていますが、手応えあります。
●ここも本題からズレています。ただ、解けるようにするのであれば、既存の線分図などでもいいのですが、どんぐり倶楽部では、それぞれの文章の名簡易出てくる<絵図をそのまま描く>ように指導します。それは、感情再現が大事だからです。論理的思考を育てている時にも常に感情再現を怠らないようにすることが、感情を殺さずに理論的思考を育てる際の要になるからです。ここに、気付かずに、効率を求めて絵図を簡略化させることは<絶対に>指導してはいけないことなのです。ここに思いが至らないと、効率を目指すほうが優れているという、致命的な勘違いを必ずおこします。

>確かにやまと学院.は今まである程度皆さんに満足していただける結果が出せてきましたが、この糸山先生の提言と教材をさらに研究し、そこにDSを組み込めれば、今まで以上の結果が出せるであろうと感じております。
●はい、予想通りの危険な流れになっています。DSを組み込むという発想は、教育とは何であるかを理解している場合には絶対に出てきてはならない発想なのです。

~方程式~11月号
Vol.102
http://www.yamato-gakuin.com/yamatsu/2007/YamaTsu_Vol_102_11.htm
糸山先生が唱える「絶対学力」、すなわち「視考力」、すなわち文字などの情報をイメージ(絵図)化し、整理し、理解する能力は、非常に重要です。
●「絶対学力=視考力=文字などの情報をイメージ(絵図)化し、整理し、理解する能力」ではありません。絶対学力=感味力+視考力です。感味力の養成・保持なくして絶対学力はあり得ません。

>糸山先生に言わせますと、公文式やそろばんのように単純な計算を繰り返すことは、百害あって一利なしだそうですが、公文式もそろばんもしっかりと続けた生徒さんはかなり良い進学をしていると聞きます。
●進学とはテストで高得点を取るとうことです。高得点はパターン学習で取れますから、ここで、引き合いに出すこと自体がズレています。

>まず第一に考えられるのは、こういった教育の中でも「視考力」を高められる生徒さんは、もともとそういった能力が高かったということ。また、ご家庭や友だちとの関係の中で自然に(偶然に)高められたと想像できます。
●全く違います。視考力を使わなくても、パターン学習の反復で高得点は取れるようになります。もちろん、絵図を多用してパターン学習をしている場合には、多少の視考力を持つようになる子供も出て来ますが、それだけのことであって、それは、絶対学力とは異なります。
●思考回路の質が違うのです。豊かな感情を殺すこと無く育てられた論理的思考回路網が重要なのです。そこには、考える事自体を快感とする生きる力が視考力と見事に結びついた力の育成が可能となっているのです。


>第二に、糸山先生も著書の中で認めていらっしゃいますが、結局のところ入試問題はパターン化されていますので、公文式やそろばんなどで集中力や根気、そして家庭学習の習慣をしっかり付けた生徒さんは、それなりの偏差値の学校へ進学できるということなのです。
●学力の質が全く違うのです。たとえば、16+8=24をデンタくんで、視考イメージの操作でできるのと、暗記した結果で出すのとでは、表面上は[24]ですが、全く異なる能力であり、全く違う次元の質なのです。そして、どちらが、人生を楽しめる力であるかは明らかなのです。この違いが重要なのです。どんな力でもいいから、点数が取れるように育てるのであれば、パターン学習で良かったのです。どんぐり倶楽部は、暗記型のパターン学習では、人生を楽しめないという結論から出発しているのですから、そんな貧相な力を育てる手伝いはできないのです。

>ただ、そういった能力よりも、まじめさや人を思いやる気持ちの方が重要ですし、社会人になってもそういった能力の方が求められます。しかし、ここは学習塾ですので、思いやりなどは皆さんにお任せして、ここでは何とか「視考力」を鍛えてあげ、よいテスト結果を出してあげたいものです。
●ここも、同様に<絶対学力>の話にはなっていません。片手落ちの「視考力」では、単なる視覚イメージ操作による理論的視考力養成に過ぎません。そんなものは、効率を求めれば誰でも行き着くところです。とは言え、最先端のごく一部の指導者しか知らないことですが、それでも、どんぐり理論では、出発点のマイナーな構成要素の一つにしか過ぎません。
●<理論強化の時間>が<感情破壊の時間>になっていては絶対にいけないということです。
これが、どんぐり倶楽部の存在理由です。
私が、一から、全てを創りあげなければならなかった理由です。
これまで、こういうコンセプトで考えられた教育論・教材はなかったからです【絶対学力=感味力+視考力】感味力と視考力は車の両輪です。

 

2014年06月24日
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■過去記事<書かせない板書>より

●子供達に教室で授業中に板書を写させる時間は無駄な時間です。
<書きながら覚える>ってのは、勘違いです。
 百歩譲っても、効率が悪すぎる悪習です。

●大事なことは、板書そのものを頭の中で再現する練習なんです。
 私は、塾講時代には<板書と同じコピーを最後に配る>ようにしていました。
「手なんか動かすな、全身全部耳にして聞いてろ!」が講義開始の掛け声でしたからね。
 宿題は、板書のコピーを、ノートに書き写しながら再現できるように仕上げること。
*コピーを回収すれば何度でも何年でも使えます。
 使い捨てでいいのであれば、ノートに貼って、思い出す練習だけすればいいんです。
*こうすることで、テストを受けている時に頭の中では、その単元の講義が高速で再現されます。
→テスト中に頭の中に参考書を再現する方法。
※ポイントは、必ず、常に「この単元ではこの板書」を思い出す。と1対1対応にしていることです。追加があれば、宿題で作った板書ノートに追加→頭の中の板書ノートにも追加再現練習。

<板書について>
http://reonreon.com/high.html 
http://reonreon.com/eng.11-4-1.pdf
http://reonreon.com/eng.11-4-2.pdf
http://reonreon.com/zukei-001.pdf
http://reonreon.com/zukei-002.pdf 
http://reonreon.com/tentai.html

●非常に大事な板書の<配置>を決める前の段階のものですので、
 一手間かけた下ごしらえを加えてある材料と考えて下さい。
 教室では黒板の大きさや生徒の配列や自分の立ち位置等も考慮します。

 

2014年06月24日
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*全世界に向けて、どんぐり倶楽部に関して書いてあるものですから、どんぐり倶楽部を作った本人がお答えするのに問題はないと思います。

<例>「計算のテストでは、否応なく速さを求められます」
●そのテストの構成自体(特に問題数)が異常なことに気づいていない。問題数が多くなると、全く異なるマイナスの対応力を求められるのですから、要注意なのです。異常なテストで満点を狙うように仕向けるのはマイナス学習の代表です。
そこで【開成中学入試問題を完答するために必要な計算式】を全て集めて検証した記事も書きましたが、当然ながら、結論は同じで「速度は全く不要」+「必要な速度は、受験直前の2週間で養成可能」です。これくらいのことは誰でも自分で検証できますので、各自でされてみると納得できると思います。
●子供を壊さない「健全な中学受験」の方法
http://plaza.rakuten.co.jp/donguri117/

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【ブログ】末は博士かドーナツ屋??より
http://nanohaha.seesaa.ne
§どんぐり倶楽部の計算
http://nanohaha.seesaa.net/article/377722876.html
>結局、公文だろうが、そろばんだろうが、筆算だろうが、自分だけの”計算機”を手に入れるというのが必要だということなんだと思います。どんぐり倶楽部は、その計算機の手の入れ方を問題視しているわけです。でも、”筆算の構造が理解できればスピードも不要”というのも、4年生まで意識してきてどうだろう・・と思います。
●...?...できれば何を使ってもいいわけではないのですよ。
<デンタくん>という視覚イメージ操作は思考力養成の具体的なした準備になるからです。
既存の方法(暗記ベース:操作のない再現だけ)では思考力養成の邪魔になる時間になってしまうので、練習時間に反比例して考える時間が経るのです。「やればやるだけ考えられなくなる」とは、チャンスがなくなるということです。
つまり、工夫次第で視考力養成を阻害する時間を思考力養成の基本づくり時間に改善できるから勧めているのです。
ですから、その時期を過ぎている場合、つまり、既に暗算できる場合には「デンタクんは不要です」と言っています。


>どんぐり倶楽部の場合、筆算が良いが、スピードが必要な場合は”デンタ君”というスタンスです。デンタ君の存在自体が、反対派の方からすると、やり方が違っても(そして、頭の中での暗算になりますので、どれだけ出来ているか判らない)計算は速いほうが良いじゃない・・と言われてしまう存在になります。つまり、デンタ君を推奨することは、糸山先生からすると公文とは全然違う!であっても、他者へ批判の糸口を与えることになる、諸刃の刃となってしまうのではないかと想像しています。
●...?...全く次元が違います。計算練習は、計算だけ出来るようにする時間ではないからです。幼児・児童期の時間は、あらゆる時間が人間形成の時間ですので、無機質な学習と思われる場合でも工夫をして感情を殺さない時間にする必要があるのです。そのための工夫も兼ねているから、「良質の算数文章問題」だけでなく、計算方法や漢字の暗記方法も【発明】する必要があったのです。公開していますので、普通にマスターしていますが、どんぐり式は、全てがオリジナルの【発明】で埋め尽くされているんです。

§なんというのか・・
http://nanohaha.seesaa.net/article/244634505.html
>どんぐり倶楽部を継続していますが、相変わらず疑問点というかなんというかがぬぐえません。今は2年生をやっているのですが、2点問題があります。
1つめ:数字の間違えが多い。
1回でという条件で読み上げ方式にすると、数字の間違えが格段に増えます。集中していないからというのは簡単なのですが、ではどうすれば?です。著書などを見る限りでは、梯子をはずした状態で見守りなさいというスタンスのように感じます。
●...?...一行ずつ正確な絵を描く→最後に解答です。適当に工夫もなくやっては出来ません。学習相談の記録を読めば全て解決されます。

>ちなみにAは小学校受験をしていますので、”お話の記憶”などの練習はしております。
●お話の記憶などとは、精密さが全く違うので役に立たないのです。国語の文章問題ではなく、算数の文章問題であるのには【理由】があるのです。ここでも、証明されていますが、国語の文章問題を暗記したり理解したり出来ても算数は出来ないのです。ところが、どんぐりレベルの算数の文章問題ができると、国語の文章問題は余裕でできます。もちろん、理由があります。

>当時は自分で”小声or無音で復唱”というすべを身に着けましたが、今回はそこまで考えが至らないようです。”お話の記憶”の時は短文であっても毎日しておりましたので、自分で工夫するという時期がやってきました。しかし糸山先生が提唱する週二回~三回のペースでは、本人の乗り気もあるかと思いますが(ここが重要だと思ってはいます)結構な期間そのままです。と、ここまで書いて、部屋にやってきた娘に小学校受験用の”お話の記憶”を試した所それなりの文章でも大丈夫でした。良く聞いてみると、読み上げではバッタと言われれば覚えられるが、バッタの名前になると覚えにくい。また3桁のすうじになると覚えずらいようです。
●これだけ材料が出揃っているのに、根本的な緻密さの違いには気付かないのは勿体無いですね。これらのことは、数十年前に検証済みです。お話の記憶の練習をいくらやっても無駄です。

>2つめ:2年生になると”倍”という言葉の出る問題がかなり出てきます。この倍の概念がわかりにくいようです。説明してもイメージできない。判らない言葉があれば説明となっていますが、そもそも倍を理解させるというのが算数の一つのステップだと思いますが、その梯子を外されているように感じます。
これはどうなんでしょうね・・
●正確な絵図を書いていれば、例外なく分かります。ルールを守って<どんぐり問題>をしている方は例外なく完全に理解して進化しています。

2014年06月24日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
*全世界に向けて、どんぐり倶楽部に関して書いてあるものですから、どんぐり倶楽部を作った本人がお答えするのに問題はないと思います。
<例>「計算のテストでは、否応なく速さを求められます」
●そのテストの構成自体(特に問題数)が異常なことに気づいていない。問題数が多くなると、全く異なるマイナスの対応力を求められるのですから、要注意なのです。異常なテストで満点を狙うように仕向けるのはマイナス学習の代表です。
そこで【開成中学入試問題を完答するために必要な計算式】を全て集めて検証した記事も書きましたが、当然ながら、結論は同じで「速度は全く不要」+「必要な速度は、受験直前の2週間で養成可能」です。これくらいのことは誰でも自分で検証できますので、各自でされてみると納得できると思います。
●子供を壊さない「健全な中学受験」の方法
http://plaza.rakuten.co.jp/donguri117/
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■十日日記
http://www.10days.org/diary/
■思い込みの激しい本
http://www.10days.org/diary/20060129.html
>糸山泰造『新・絶対学力』(文春ネスコ、2004年)がある。先に言っておくと、同書はよい本だ。著者は文章を図解してイメージで考えることを「視考力」と名づけ、算数の文章題を図に表現する訓練をさせるための魅力的な問題を用意している。四谷大塚準拠塾で小4に算数を教えていた大学1年のころ、とにかく線分図が描けるようにさえすればよいと指導されたものだ。
●この時点で、指導方法のお粗末さが分かる。塾講師には自由度がないので仕方がないことであるが、これは、絵図とは言えども単なるパターン学習である。どんぐり倶楽部では線分図は描いてはいけない最低の絵図という位置づけです。

>気になるのは、著者が思考と計算とを簡単に二分してしまっている点だ。
●簡単に...ではなく「分かりやすくするために」である。

>著者は筆算ができればそれでいいという。
●言っていませんし、その過程で行う<方法>が重要なのです。

>これは遠山啓の水道方式以来の方針で、基本的には間違っていないと思う。しかし実際には、計算問題であっても思考停止に陥ると非効率的になる。このことを明確に意識したのは微分幾何を習っているときで、式や図形の性質から想像できそうな結論に向かって式をデッチアゲるような感覚だった。積分の膨大な計算を機械的に書いていくと、かえって誤る。
●計算の構造的な要素が求める傾向としてはあるが、小中学校ではあり得ないので、ここで、積分を出すのはお門違いである。
さらに言えば、積分の計算記号は、計算そのものではなく計算に使うパラメーターの指示記号である。→完全にズレてます。

>算数のレベルでいうと、たとえば21.4×4.9の計算で、まずは20×5で約100になるという数的感覚がほしい。この感覚があれば、小数点を打ち間違えて104.86が10.486になっても変だと気づく。割合の文章題でも、12×0.35と式が立ったのち機械的に筆算するのではなく、半分よりも少ないという感覚を身につけるべきだと思う。それには著者推奨の図解も役に立つことだろう。図にしてみれば、半分よりも少ないことが一目瞭然だ。小学校の算数はときどきしか見ないが、最近の小学生は筆算マシーンになっているのではないかと私は危惧している。2300×90のような計算は23×9のあとに0を3つ加えたものだが、いまの小学校では馬鹿正直に筆算で計算するようだ。あるいはまた194×105のような計算で、
    194
×  105
-----
    970
  000
194
-----
20370
のように途中で0を3つ重ねる小学生がいて驚いた。
●ここでも、どんぐりの計算をご存じない。小数計算などは<しない>のですから。
→「これだけ算数・計算編」
●途中で0を3つ重ねる:いいですよ。自分が納得できる方法でいいんですからね。

>著者のホームグラウンドは算数のようで、この科目については基本的には賛同できる内容だ。
●これも違います。HGは英語ですし、算数の文章問題を採用したのは、もっと深い意味があるからです。

>ところが国語や英語など言語系の科目になると、疑問点や矛盾に思える箇所が増える。たとえば著者は、「表現力の養成は早くても高校から」(p.76)とし、小学校で表現力を磨く不要だという。しかし、著者が推奨する文章題の図解は表現以外の何ものでもない。
●表現の意味も理解の具体的な内容も、思考の具体的な動きもご存じない人の意見です。

>なにしろ自身で「問題解決学習とは、言ってみれば『文章を絵図で表現する練習』」(p.44)と述べているくらいだ。
●この表現と自己表現とは全く違う【表現】ですよ。「絵図で表現する」とは、文章の絵図化による理解方法としての表現形式の変更にすぎません。自己表現とは何の関係もありません。言葉が同じだからといって、内容が同じであると考えるのは、余りにも幼稚です。

>私自身は国語においても図解を積極的に取り入れたほうがいいと考えているし、逆に図から文章を組み立てるような——つまり文章構造を意識した作文訓練も行なうべきだと思う。実際に表現してみてこそ、筆者の表現の工夫を感じとることができる。
●これは、絵コンテ読解そのものです。しかしながら、理解する場合には役にはたっても、自己が出来ていない自分を表現することは不可能ですので、自己表現練習は不要なのです。

>英語も同様だ。著者は英文和訳を否定し「語順訳」を提唱している。これ自体は平凡なものだ。驚くべきはここからで、英語の勉強では英語で考えることが重要なのではないという。「英語を理解できる日本語脳」を鍛えるべきであり、そうすると「何語でも日本語を介して使いこなせるようになる」(p.131)のだそうだ。不思議ではないか。視考力が最速かつ最も基礎的なものなら、日本語など介せず英語もイメージでとらえれば済む話だ。著者自身が次のように述べている——「頭のいい人がどんな言語で考えても頭がいいのは、語学力があるからではなく、イメージ力があるから」、「イメージで理解しているのに、文字や言葉そのもので理解していると勘違い」(p.42)。日本語はイメージで理解せよと言っておきながら、英語は日本語を介せという。この発想が私にはわからない。
●そんなのは、単なる時間の問題である。そんなことをしている余裕はないし、必須ではないので不要と言っているのですよ。
*よくある議論の中で、実際に子供達が学習に費やす時間を無視した議論を多く見かけるがナンセンスである。
*<どんぐり倶楽部>は持っていますが、語句順訳を、正確に解説してある本はありません。研究機関が研究していますが、どんぐりでは完成しています。