どんぐり倶楽部の糸山先生の雑記帳

絶対学力を育てる[どんぐり倶楽部]の糸山先生が書いている日々の雑感

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2014年06月01日
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●究極の思考形態とはどのようなものなのか、興味がありませんか。

実は、その一端は全ての人が経験しています。
ただ、殆どの人はその究極の思考形態を持っているにもかかわらずコントロールできないでいます。
つまり、天才と呼ばれている人も凡人も実は同じ能力を持っているにもかかわらず
コントロール方法を知っているのか知らないのかの違いに過ぎないということです。

まずは、下記の天才達の思考形態を見てみましょう。
驚いたことに、どんぐり問題をしている子供の思考と同じであることが分かります。

●結論から書きます。
小脳思考の稼働を大脳が選択的に出来るようにすること。
つまり、無意識領域で行われる超高速処理を意識的選択的に
稼働させることが出来るようにするということです。
こう書くと分かりにくそうですが、

将棋の長考、
哲学の道の散歩、
閃きを待つボ~ッとした時間、
漠然と考えながら入る長風呂、

そうです、「どんぐり」で言うところの小脳思考ですね。
意識できない処理を意識的に使うのですから、
相当な体験的な確信と自分(自分の脳内で起こっている反応を感じる感覚)
を信じる自信がないと意識的にはできませんが、
実は無意識下では誰もが普通にしていることですから、
難しくはありません。

「あ、閃いた!」となる状態を自在に作れるようにするということです。

「12歳までに『絶対学力』を育てる学習法」に
「ヒラメキの構造」という見出しで扱っています。
実は、「どんぐり方式」は、この究極の思考形態を
自然に育てることができるように仕組まれています。

今までは、偶然の環境に頼るしかなかったのですが、
どんぐり理論を知れば、誰でも無理なく・無駄なく・効果的に
この究極の思考形態を自然に育てることができるんです。

もちろん「教育の優先順位」も、この観点から作られています。

●下記引用文を見て下さい。

「ALBERT EINSTEIN IN BERN:青春のアインシュタイン(フリュキガー著/東京図書)」より

<p.30_上17-下2>
「多くの場合、記号(言葉)がなくても思考は進められるもので、無意識のうちにさえもかなりの程度までそれができるということは、じぶんにとって、いまや疑いのないことです。」
...この記述は、アインシュタインが67歳のときに書いた「自伝ノート」の中に記録していたものです。
*注:お分かりのように、どんぐり理論の<小脳思考>のことですね。究極的に行き着くところ(気付くところ)は全く同じなんですね。...事実ですから。
*個人名を使うのは好みではありませんので、英語でも<どんぐり理論(Itoyama_Theory)>は<The_Acorn_Theory>と表記したいところですが、<The_Acorn_Theory>という言葉はJames_Hillmanが「The_Soul's_Code」で使っていますので、ここでは<Itoyama_Theory>と書いてあります。


<p.32_下18-p.33_上13>
いったい「思考」とは何か?
感覚に印象が刻印されるさい記憶像が表出するからといって、それはまだ「思考」とはいえない。
*注:そう、ここまででは視覚イメージの再現ですから「理解する」までです。

そのような像が、1系列をつくって、その1系列の環のおのおのがもう1系列の環を喚起するといったところで、
まだ、それは「思考」ではない。
しかし、ある像がそういう多くのヶ入れるに繰り返し現れるとき、それ自体関連のない諸系列に結びつくことによって、まさにその像がそういう諸系列を配列する如何として収まることから初めて、それは思考となるのである。
*注:どんぐり理論(Itoyama_Theory)の<分かる><考える>のことですね。<判断する>と<視覚イメージ再現→感情・感覚再現>までは言及していませんが、「思考」に関しては非常に精緻に考えられています。

このような要素が、思考手段になり、概念になるのである。この自由な連想、すなわち、「夢」から思考に移行するのは、この「概念」がそのさいに演じる多少とも支配的な役割によって特徴づけられる、と私は考えている。そのさい、ある概念が意味として把握でき、再生できる記号(言葉)と結びつかねばならない、ということまでは必要とはしない。しかし、もしもそうなっていれば、思考というものがそれ(言葉という視覚イメージ再現記号)によって伝達可能となるわけである。
*注:ルーチン&サブルーチン&視覚の類推作用
→永久脳の働き、「言葉のトリガー理論」の説明ですね。
→ですから<幼児・児童期>には言葉はゆっくりでいいので、視覚イメージのよる思考力養成のみが(副作用もなく)有効なのです。

「ご冗談でしょう、ファインマンさん(下)...解説 by 江沢洋」
<p.326_7-p.327_2>ダイソンは、ファインマンについてこう書いている。
F・J・ダイソン『宇宙をかき乱すべきか』鎮目恭夫訳、ダイヤモンド社、1982年77,80頁。
...彼は量子の世界で何が起こっているかを頭に思い描くことができた。その絵姿から、方程式を経ずに答えを書き下すことができたのだ。
*注:視考力を活用した思考ですね。

<中略>
...私はケインズニュートンについて語った次の言葉を思い出していた。
「彼の特異な天分は、頭の中の問題をすっかり解ききるまで休みなく考えつづける能力にあった。彼の直感の力は他の誰のものよりも強く、長く持続した。それが彼を偉大にしたのだと思う。」
*注:小脳自動思考のことですね。

■よくある勘違い:視覚イメージだけを鍛える(右脳教育)
...なんてのはアンバランスで無味なこと。悪影響が増大する。
 12才を過ぎて視覚イメージ操作を手段として使うのはOK。
※図形パズル、数字遊び...勘違いの温床。やっている図形や数字の処理が速くなるだけ。思考力養成には悪影響。なぜなら、思考力養成にはスピードが天敵だから。子供が好きだから
...これは、スピードへの憧れにすぎない。(不可能へと向かう)スピード感による快感の欲求。麻痺感覚への憧れ。崩壊感への入り口。

■12才までは「楽しければ~(どんな方法でもいい)」は非常に危険な判断基準です。
やっていること、手法そのものがどういう影響を与えるのかを必ず検証すること。
感応を麻痺させる作用がある場合には絶対に採用してはいけない。

●思い通り(イメージ通り)に動かない体を思い通りに動くようにする必要があるときに要求されるのが反復練習。
つまり、自在に操れないものにしか適応してはいけないのが、反復練習。多くは、体の制御に関すること(スポーツや楽器演奏練習)です。
思い通りの動き=視覚イメージの動き、これは「お手本」の動きだということ。
つまり、これ自体の反復は不要。思考は視覚イメージの操作なので常に完璧に制御されます。
思うように動かすことができます。ですから、反復は全く必要ない。
つまり、思考に反復は無用ということ。思い出しやすくする方法は別問題。

●究極の思考形態を無理なく育てる方法+MAX進化論
思考形態は鍛えれば出来ますが人間らしい判断力を含む思考力養成は教育の優先順位を守らないと出来ない。感情を育てることが根幹に来るからです。

●これ以上の進化はない。
なぜならば、これ以上の進化は認識形態の変化を要するからです。

●選択的に無意識を意識化する(できる)のだが、そのコントロールは感情が受け持っています。
操作自体は自動的に(進化の結果として持っているプログラムに沿って)出来るようになるのだから、
大事なこと(教育しなければならないこと:意識的に育てなければいけないこと)は、それを意識的に行うことと感情でのコントロールを意識することですから、その感情自体を安定した納得のいくものに育て上げて満足を味わえるようにしておく必要がある。
私達が理論と呼んでいるものは、実は、自然の理(自然の法則・自然界で人間が感得できる動きから学べることだけ)のことなので、半自動的に修得も出来ますし、意識的に鍛えることも出来ます。
しかし、その力を高度に繊細にコントロールする豊かな感情はタイミングと時期を見極めながら育てないと非常に育成が難しい。

<中略>

だから、両眼視が確立し、恭子に固定してから自在に操作できるようになるまでは、感情の育成を阻害する行為(特に異常な学習手法)は絶対に避けなければならない。

●危険な時期に、出来るようにしなければいけないことがある(社会のシステムとして設定されている場合が多い)としても、感情を麻痺させる(鈍感にさせる)ような手法は使ってはいけない。
ところが、現在は、この異常な手法が0才から横行している。

●思考をコントロールする感情、感情をコントロールする複合感覚、その中でも最も優れた制御力である違和感、
この違和感を丁寧に育てることが「人間らしい判断力を含む思考力養成」の最大の鍵である。
一行で書くと「自分の違和感に自信を持てるように育てる」となる。
これが「無意識を意識し、自信を持って実行できる」ってこと。

●前述のアインシュタイン氏もファインマン氏も天才(と呼ばれている人:異常に高いIQの持ち主だと考えられます)が陥りやすい落とし穴を上手に回避できています。音楽が二人を助けていることも共通点です。アインシュタイン氏はクラシック、ファインマン氏はサンバを好んで日常的に親しんでいます。音楽に異常なテンポは絶対にありません。これが良かったのだと推測されます。

<9才の壁>と<9才の落とし穴>

■人間らしい判断力とは(文責:どんぐり倶楽部)

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●どんぐり倶楽部のHPは、ジャングルHPですが、いい記事が散見されます。
 下記を転載します。一連の、幼稚な犯罪
人間らしい判断力とはどうして育てるのでしょうか
●思考力の中には<人間らしい判断力>が含まれます。
 判断は言動に直結する最終的な砦ですので強固に育てる必要があります。
 しかしながら、この判断力の基礎は感情ですので感情教育を終えなければならない
6才までの教育が間違っていると頭で分かっていても体で分かっていない
<一見異常のない異常な子>を育ててしまいます。
<正しい感情教育>と<自力で考える力>
が揃って人間らしい判断力を養成できるのです。
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 判断力は独立したものではありませんので判断力という名前の力をポツンと育てることは出来ません。
まず、3才までの情緒の安定、次に6才までの正しい感情教育、
そして、9才までの視考力を活用した具象思考による豊かな思考力養成、
最後に12才までの自分の(素直で正しい)感情に基づいた人間らしい判断力養成となります。
特に判断力の要となる感情を育成する感情教育を丁寧にすべき時期に
最も危険な知的系統的学習をさせてしまうとこの要を失ってしまうことになりますので
外見からは分からない爆弾を抱えた「普通の子」に育ってしまいます。

1.感情教育の欠如+思考力の欠如=判断力はない=見たものを真似する
2.感情教育の欠如+猿真似思考力=猿真似判断力=身勝手な理論で行動する(作られた基準でも動く)
3.豊かな感情教育+思考力の欠如=感覚的判断力=感覚的だが人間らしい行動が出来る
4.豊かな感情教育+思考力養成 =人間的判断力=自力で考え人間的な判断を示し行動できる
※但し、現代のように異常な情報に日夜さらされていると、感覚麻痺と同様に感情麻痺が起こりやすく、
正常な感情教育を受けていても麻痺してしまうことがある。
この場合もブレーキの効きは甘くなり、異常行動に移る場合もある。
ただ、この場合には感情麻痺の外敵を取り除き安定した状態に戻すことで回復が可能である。
コレが出来ないのが1.2.である。
この場合は、感情が曽樽臨界期を越えているので再生は見込めない。
犯罪者の更生が可能かどうかは実はこの幼児・児童期の感情教育にある。

※最もやっかいなのは2.である。外見的には普通であったり優秀であったりするからだ。
「普通の子が残虐な犯行に及ぶ」とか「優秀な子供が~」とか「急にキレる」となる。
これらは当然のことである。なぜならば、表面化すること(言動)は全て判断フィルターを通過して行われるのだから、
そのフィルターが十分に育っていなければブレーキは効かないのである。
昔はそれでも今と比べれば情報(刺激)が少なかったのでブレーキを頻繁に使わなくても一生を終えることが出来ていた。
しかしながら現代は危険な情報が溢れている。
だから、ブレーキを育て上げることが出来なければ、どんなに外見が優れていても非常に危険なのだ。
しかも、それは本人にも分からない。育っていないものは感じることが出来ないからだ。
知的系統的学習(早期教育)などやってる時間は微塵もないのだ。
これだけ異常現象が起きているのに、まだ気付かないのだろうか。
今までの教育の失敗が表面化してしまっているのだ。
ゆとり教育」ではなく「高速多量のストレス教育」の失敗である。
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§ゆとり教育に対する「批判」の勘違い
 ゆとり教育の理念は間違っていませんが理論も方法もありませんでした。
ですからゆとり教育が原因で学力が低下したと思われたのは当然でしたし、批判の的になるのも当然でした。
ですが、批判そのものは的外れです。
ゆとり教育の批判の中に「読み・書き・計算」という基礎学力を軽視したからだという論調がありますが、
全く違うと思います。「読み・書き・計算」が基礎学力だったのなら、こんなに一気に学力低下が表面化はしません。
学力衰退の下地が十分にあったから表面のコーティングをとっただけでボロボロの中身が見えただけなのです。
 「ゆとり教育」の前も後も子供達の宿題は全く同じ「読み・書き・計算」でしたし、
やっていることは形を変えた(考える学習と呼ばれる)考えない学習でした。
なぜなら、考えるとは具体的にはどういうことかさえ分かっていないのですから本当の考える学習などできるハズがないからです。
ゆとり教育」の目標はメッキのコーティング(単純作業的学力)の下(本当の学力:思考力)をキチンと作ろうということだったのですが、
残念なことに作り方を誰も知らなかったのです。
だから、コーティングを剥がしたまま的外れな時間つぶしをすることになってしまったのです。
そこで、今までの学力衰退が表面化したのです。
つまり、「ゆとり教育」が証明したことは少なくとも「読み・書き・計算」は基礎学力ではないということだったのです。
 私は二十数年前に大手塾の大失敗を目の当たりにしました。
それは、進学率をあげようとして、それまで小四からだった入塾を小三からにし、ついには小一からにしたことです。
塾生は増えましたが進学率は上がりませんでした。
そして、低学年戦略は学力養成とは関係のない、単なる塾生の囲い込み戦略となって今に至っています。
 次の書評(抜粋)は教育雑誌「いきいきニコラ」の馬場氏の書評です。
重要な資料としての価値を持つ書評だと思いますので掲載します。
※全文はhttp://www.os.rim.or.jp/~nicolas/9sainokabe.html
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■「9歳の壁」と子どもの学習~T.Itoyama著『絶対学力』から思うこと
 Itoyama氏の言う「9歳の壁」というのはどういうものか。人は12歳までに抽象思考ができるようになる自然なプログラムを持っているが、そのプログラムに逆らって幼少期に先行学習やパターン学習をさせると、考える力が育たず具象思考から抽象思考に変化する「9歳の壁」を乗り越えられなくなる。具体的には、暗記力と計算力で満点をとっていた子が高学年になると学力不振に陥る。それは考えない習慣をつけさせ、マニュアル人間を作り出すからだというのだ。これは今流行りの知的早期教育への警鐘でもあろう。これについては、私の若い頃の経験による傍証がある。ある進学塾で仕事をしていた時、その塾は日の出の勢いで躍進をしていたが、もっと生徒を増やそうという方針で、それまで小学4年生から通塾させていたものを、親の要望も受けて小学3年生から引き受けることにした。それで教育熱心な(?)家庭の子弟が通い始めた。中学受験は早いほうがいいというわけだ。確かに熱心な子が多く勉強の成果もあがった。ところが、数年経ち高学年になった頃から奇妙なことが明らかになってきた。受験学年になるころにその子たちの成績の伸び悩みが見られるようになってきたのである。そして、5年生や6年生なってから通塾し始めた子どもたちに追い抜かれることさえ起きてきた。通塾を勧める関係上、父母には秘密であったが、塾内では半ば公然の認識であった。その後の受験の結果はもはや推して知るべしであった。なぜ、こういうことが起きたのか。通塾の弊害が明らかであった。一般には「塾慣れ」とか「塾疲れ」とか言われたが、私はもっと別のところに原因があると思っていた。それは学校に通い、塾や習い事に通うことに忙殺され、ひたすら理解し覚えることに1日の時間の大半が使われ、ほとんど自分で考える実行する習慣を持つことなく来てしまったことの結果ではないかと考えていた。いくら優れた水泳の指導書を読んでも実際に自分の体で会得しなければ水泳が出来るようにはならない。このことを、Itoyama氏は『絶対学力』(本物の学力)の中でより体系的に明らかにしてくれている。
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 私は馬場氏とは面識がありません。
ですが、大手塾の講師をしていた二十数年前に彼と同じ体験をしています。
ということは、この現象は全国的なものだったのだと思われます。
 そして今、「読み・書き・計算」を徹底反復して基礎学力を付けようとの名目で、
高速計算練習を軸とした、かつて大手塾が犯した大失敗と同じ道を突き進んでいる小学校が出てきているようですが、
どうにか思いとどまって欲しいものです。私は、二十年も前に、小学校低学年で高速計算を徹底反復させられ、
漢字や諺を大量に覚えさせられた子供たちの悲惨な結末を見てきたのです。
漢字はイメージと連動させることで救いようがありますが、高速計算だけは、どうやっても救いようがありません。
どこまでいっても、やっているのは「10の補数と九九」の反復だけだからです。
私の経験では、小学校低学年での高速計算練習ほど頭を固くするものは他にはありません。
応用のきかない発想の乏しい頭を作ってしまいます。ですから、これだけは絶対にやらせてはいけないのです。
今、現役の小学校の先生が、かつて塾が試み、大失敗した低学年戦略を知らないのは仕方がないでしょう。
ですが、子供の反応をよく見れば分かるはずです。
見せかけの見栄えのする力がいかに有害なものかに早く気づいてもらいたいものです。
2014年06月02日
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オリンピック選手などが、時々、インタビューに応える形で
競技中のある状態を「ZONE状態」「ZONE体験」という呼び方で紹介している場面を数回見ました。
私には、日常のことでしたので、不思議に思って調べてみると、下記のようなページを発見しました。

武道における「無心」とスポーツにおける「ゾーン体験」

いい線いってると思います。
ただ、ここでも、ある種の、特別な状態のように思われているようですが、
日常的に意識的にでも可能です。
少なくとも、私は、中学の頃から日常的にあります。
ただ、今思うと、こうも日常的に使えるようになったのは
キッカケとして<剣道>をやっていたことが要因だと思います。

今なら、その正体も言えます。
正体は小脳思考の働きの大脳による意識化です。

現象自体としてはデジャブもインスピレーション(ヒラメキ)も同じです。
心眼も同じ現象ですし、<もう一人の私>も同じです。

さらに、将棋の長考などは、
この原理を応用した思考と判断をするルールです。
こんなことをゲームのルールとして設定してあるのですから将棋は奥が深いですね。
結構、この状態になる条件が揃うゲームですので設定も生まれたのでしょう。
視覚イメージ操作の鍛錬ですから、主に小脳の処理を優先させることになるからです。

スポーツなどでは具体的に言うと、イメージトレーニングで味わうことが可能になります。
自動再生画像が見えるシュミレーション意識化過程ですので、イメトレの効果的な作用が同じ原理を使います。

集中は起動(感じるキッカケ)スイッチの一つにすぎないですので、
慣れれば、絶対h条件ではありません。
慣れていると、雑音では感じにくくはありますが、
状態に入ることは可能です。

大脳が小脳の視覚イメージを意識できる状態は保っておく必要があります。
圧力バランスの変更で可能ですが、コツが必要です。

このようなことを、日常的に出来るようになっていると、
自分の行動を決める場合にも意識的に下記のような事をすることが出来ます。

*問題解決時の思考と判断と行動*
1.動かないという選択
2.ぼ〜っと考える時間を取る
3.何かが出てくるまでプレッシャーを掛けない
 自由に無意識思考をさせている感覚
4.意識(大脳)は、ただ、無意識の処理(小脳思考)が終わるのを待っているだけ
5.返事を聞き逃さないように感度を上げたまま待ち状態をキープしておく
*忙しなく動いていては聞き逃してしまうので、
 考えないですむことをゆっくりやってるといい。
 散歩もいい。
 
2014年06月02日
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〜おススメ夏講座〜
2014:夏英語:DONGLISH
hajimeruyo
*本当の基礎学力とは
「深い読解力」
「深い思考力」
「深い感味力」
 を保育することです。
 それ以外の事はしないで欲しい。
*基礎を「簡単なこと」と思っているとお先真っ暗ですよ。
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<2014.06/02の電話相談の記録>
*莫大なお金をつぎ込んで通学させている私立小学校で、
毎日子供の才能を潰されているかと思うと、
本当に悔やんでも悔やみきれません。

超有名私立小学校在籍中の保護者との電話内容から。

読解力養成の根本的な勘違いを修正して欲しい。

どんなにたくさんの本を読んでも読解力は育ちません。

<読解力養成の前に>
●言葉とは何か。
●分かるとはどういうことか。
●理解するとはどういうことか。
●読解力とは何か。
●思考力とは具体的にどうすることか。


どれ一つとして答えられない先生に、
<読解力養成>は不可能です。
そんな先生に限って「本を沢山読みましょう」なんて、無意味なことを言う。

どんぐり倶楽部は、上記の質問に対する
具体的な答をすべて公開していますし、
育成方法も公開しています。

このページの検索用語<早期教育>を
<言葉とは>
<分かるとは>
<理解するとは>
<読解力とは>
<思考力とは>
に変更して検索して下さい。
誰でも、上記の答えをご覧になれます。

*今回の結論は、丁寧に「絵コンテ読解」をする。でした。