どんぐり倶楽部の糸山先生の雑記帳

絶対学力を育てる[どんぐり倶楽部]の糸山先生が書いている日々の雑感

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2014年06月01日
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●究極の思考形態とはどのようなものなのか、興味がありませんか。

実は、その一端は全ての人が経験しています。
ただ、殆どの人はその究極の思考形態を持っているにもかかわらずコントロールできないでいます。
つまり、天才と呼ばれている人も凡人も実は同じ能力を持っているにもかかわらず
コントロール方法を知っているのか知らないのかの違いに過ぎないということです。

まずは、下記の天才達の思考形態を見てみましょう。
驚いたことに、どんぐり問題をしている子供の思考と同じであることが分かります。

●結論から書きます。
小脳思考の稼働を大脳が選択的に出来るようにすること。
つまり、無意識領域で行われる超高速処理を意識的選択的に
稼働させることが出来るようにするということです。
こう書くと分かりにくそうですが、

将棋の長考、
哲学の道の散歩、
閃きを待つボ~ッとした時間、
漠然と考えながら入る長風呂、

そうです、「どんぐり」で言うところの小脳思考ですね。
意識できない処理を意識的に使うのですから、
相当な体験的な確信と自分(自分の脳内で起こっている反応を感じる感覚)
を信じる自信がないと意識的にはできませんが、
実は無意識下では誰もが普通にしていることですから、
難しくはありません。

「あ、閃いた!」となる状態を自在に作れるようにするということです。

「12歳までに『絶対学力』を育てる学習法」に
「ヒラメキの構造」という見出しで扱っています。
実は、「どんぐり方式」は、この究極の思考形態を
自然に育てることができるように仕組まれています。

今までは、偶然の環境に頼るしかなかったのですが、
どんぐり理論を知れば、誰でも無理なく・無駄なく・効果的に
この究極の思考形態を自然に育てることができるんです。

もちろん「教育の優先順位」も、この観点から作られています。

●下記引用文を見て下さい。

「ALBERT EINSTEIN IN BERN:青春のアインシュタイン(フリュキガー著/東京図書)」より

<p.30_上17-下2>
「多くの場合、記号(言葉)がなくても思考は進められるもので、無意識のうちにさえもかなりの程度までそれができるということは、じぶんにとって、いまや疑いのないことです。」
...この記述は、アインシュタインが67歳のときに書いた「自伝ノート」の中に記録していたものです。
*注:お分かりのように、どんぐり理論の<小脳思考>のことですね。究極的に行き着くところ(気付くところ)は全く同じなんですね。...事実ですから。
*個人名を使うのは好みではありませんので、英語でも<どんぐり理論(Itoyama_Theory)>は<The_Acorn_Theory>と表記したいところですが、<The_Acorn_Theory>という言葉はJames_Hillmanが「The_Soul's_Code」で使っていますので、ここでは<Itoyama_Theory>と書いてあります。


<p.32_下18-p.33_上13>
いったい「思考」とは何か?
感覚に印象が刻印されるさい記憶像が表出するからといって、それはまだ「思考」とはいえない。
*注:そう、ここまででは視覚イメージの再現ですから「理解する」までです。

そのような像が、1系列をつくって、その1系列の環のおのおのがもう1系列の環を喚起するといったところで、
まだ、それは「思考」ではない。
しかし、ある像がそういう多くのヶ入れるに繰り返し現れるとき、それ自体関連のない諸系列に結びつくことによって、まさにその像がそういう諸系列を配列する如何として収まることから初めて、それは思考となるのである。
*注:どんぐり理論(Itoyama_Theory)の<分かる><考える>のことですね。<判断する>と<視覚イメージ再現→感情・感覚再現>までは言及していませんが、「思考」に関しては非常に精緻に考えられています。

このような要素が、思考手段になり、概念になるのである。この自由な連想、すなわち、「夢」から思考に移行するのは、この「概念」がそのさいに演じる多少とも支配的な役割によって特徴づけられる、と私は考えている。そのさい、ある概念が意味として把握でき、再生できる記号(言葉)と結びつかねばならない、ということまでは必要とはしない。しかし、もしもそうなっていれば、思考というものがそれ(言葉という視覚イメージ再現記号)によって伝達可能となるわけである。
*注:ルーチン&サブルーチン&視覚の類推作用
→永久脳の働き、「言葉のトリガー理論」の説明ですね。
→ですから<幼児・児童期>には言葉はゆっくりでいいので、視覚イメージのよる思考力養成のみが(副作用もなく)有効なのです。

「ご冗談でしょう、ファインマンさん(下)...解説 by 江沢洋」
<p.326_7-p.327_2>ダイソンは、ファインマンについてこう書いている。
F・J・ダイソン『宇宙をかき乱すべきか』鎮目恭夫訳、ダイヤモンド社、1982年77,80頁。
...彼は量子の世界で何が起こっているかを頭に思い描くことができた。その絵姿から、方程式を経ずに答えを書き下すことができたのだ。
*注:視考力を活用した思考ですね。

<中略>
...私はケインズニュートンについて語った次の言葉を思い出していた。
「彼の特異な天分は、頭の中の問題をすっかり解ききるまで休みなく考えつづける能力にあった。彼の直感の力は他の誰のものよりも強く、長く持続した。それが彼を偉大にしたのだと思う。」
*注:小脳自動思考のことですね。

■よくある勘違い:視覚イメージだけを鍛える(右脳教育)
...なんてのはアンバランスで無味なこと。悪影響が増大する。
 12才を過ぎて視覚イメージ操作を手段として使うのはOK。
※図形パズル、数字遊び...勘違いの温床。やっている図形や数字の処理が速くなるだけ。思考力養成には悪影響。なぜなら、思考力養成にはスピードが天敵だから。子供が好きだから
...これは、スピードへの憧れにすぎない。(不可能へと向かう)スピード感による快感の欲求。麻痺感覚への憧れ。崩壊感への入り口。

■12才までは「楽しければ~(どんな方法でもいい)」は非常に危険な判断基準です。
やっていること、手法そのものがどういう影響を与えるのかを必ず検証すること。
感応を麻痺させる作用がある場合には絶対に採用してはいけない。

●思い通り(イメージ通り)に動かない体を思い通りに動くようにする必要があるときに要求されるのが反復練習。
つまり、自在に操れないものにしか適応してはいけないのが、反復練習。多くは、体の制御に関すること(スポーツや楽器演奏練習)です。
思い通りの動き=視覚イメージの動き、これは「お手本」の動きだということ。
つまり、これ自体の反復は不要。思考は視覚イメージの操作なので常に完璧に制御されます。
思うように動かすことができます。ですから、反復は全く必要ない。
つまり、思考に反復は無用ということ。思い出しやすくする方法は別問題。

●究極の思考形態を無理なく育てる方法+MAX進化論
思考形態は鍛えれば出来ますが人間らしい判断力を含む思考力養成は教育の優先順位を守らないと出来ない。感情を育てることが根幹に来るからです。

●これ以上の進化はない。
なぜならば、これ以上の進化は認識形態の変化を要するからです。

●選択的に無意識を意識化する(できる)のだが、そのコントロールは感情が受け持っています。
操作自体は自動的に(進化の結果として持っているプログラムに沿って)出来るようになるのだから、
大事なこと(教育しなければならないこと:意識的に育てなければいけないこと)は、それを意識的に行うことと感情でのコントロールを意識することですから、その感情自体を安定した納得のいくものに育て上げて満足を味わえるようにしておく必要がある。
私達が理論と呼んでいるものは、実は、自然の理(自然の法則・自然界で人間が感得できる動きから学べることだけ)のことなので、半自動的に修得も出来ますし、意識的に鍛えることも出来ます。
しかし、その力を高度に繊細にコントロールする豊かな感情はタイミングと時期を見極めながら育てないと非常に育成が難しい。

<中略>

だから、両眼視が確立し、恭子に固定してから自在に操作できるようになるまでは、感情の育成を阻害する行為(特に異常な学習手法)は絶対に避けなければならない。

●危険な時期に、出来るようにしなければいけないことがある(社会のシステムとして設定されている場合が多い)としても、感情を麻痺させる(鈍感にさせる)ような手法は使ってはいけない。
ところが、現在は、この異常な手法が0才から横行している。

●思考をコントロールする感情、感情をコントロールする複合感覚、その中でも最も優れた制御力である違和感、
この違和感を丁寧に育てることが「人間らしい判断力を含む思考力養成」の最大の鍵である。
一行で書くと「自分の違和感に自信を持てるように育てる」となる。
これが「無意識を意識し、自信を持って実行できる」ってこと。

●前述のアインシュタイン氏もファインマン氏も天才(と呼ばれている人:異常に高いIQの持ち主だと考えられます)が陥りやすい落とし穴を上手に回避できています。音楽が二人を助けていることも共通点です。アインシュタイン氏はクラシック、ファインマン氏はサンバを好んで日常的に親しんでいます。音楽に異常なテンポは絶対にありません。これが良かったのだと推測されます。

<9才の壁>と<9才の落とし穴>

■人間らしい判断力とは(文責:どんぐり倶楽部)

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●どんぐり倶楽部のHPは、ジャングルHPですが、いい記事が散見されます。
 下記を転載します。一連の、幼稚な犯罪
人間らしい判断力とはどうして育てるのでしょうか
●思考力の中には<人間らしい判断力>が含まれます。
 判断は言動に直結する最終的な砦ですので強固に育てる必要があります。
 しかしながら、この判断力の基礎は感情ですので感情教育を終えなければならない
6才までの教育が間違っていると頭で分かっていても体で分かっていない
<一見異常のない異常な子>を育ててしまいます。
<正しい感情教育>と<自力で考える力>
が揃って人間らしい判断力を養成できるのです。
……………………………………………………………………………………………
 判断力は独立したものではありませんので判断力という名前の力をポツンと育てることは出来ません。
まず、3才までの情緒の安定、次に6才までの正しい感情教育、
そして、9才までの視考力を活用した具象思考による豊かな思考力養成、
最後に12才までの自分の(素直で正しい)感情に基づいた人間らしい判断力養成となります。
特に判断力の要となる感情を育成する感情教育を丁寧にすべき時期に
最も危険な知的系統的学習をさせてしまうとこの要を失ってしまうことになりますので
外見からは分からない爆弾を抱えた「普通の子」に育ってしまいます。

1.感情教育の欠如+思考力の欠如=判断力はない=見たものを真似する
2.感情教育の欠如+猿真似思考力=猿真似判断力=身勝手な理論で行動する(作られた基準でも動く)
3.豊かな感情教育+思考力の欠如=感覚的判断力=感覚的だが人間らしい行動が出来る
4.豊かな感情教育+思考力養成 =人間的判断力=自力で考え人間的な判断を示し行動できる
※但し、現代のように異常な情報に日夜さらされていると、感覚麻痺と同様に感情麻痺が起こりやすく、
正常な感情教育を受けていても麻痺してしまうことがある。
この場合もブレーキの効きは甘くなり、異常行動に移る場合もある。
ただ、この場合には感情麻痺の外敵を取り除き安定した状態に戻すことで回復が可能である。
コレが出来ないのが1.2.である。
この場合は、感情が曽樽臨界期を越えているので再生は見込めない。
犯罪者の更生が可能かどうかは実はこの幼児・児童期の感情教育にある。

※最もやっかいなのは2.である。外見的には普通であったり優秀であったりするからだ。
「普通の子が残虐な犯行に及ぶ」とか「優秀な子供が~」とか「急にキレる」となる。
これらは当然のことである。なぜならば、表面化すること(言動)は全て判断フィルターを通過して行われるのだから、
そのフィルターが十分に育っていなければブレーキは効かないのである。
昔はそれでも今と比べれば情報(刺激)が少なかったのでブレーキを頻繁に使わなくても一生を終えることが出来ていた。
しかしながら現代は危険な情報が溢れている。
だから、ブレーキを育て上げることが出来なければ、どんなに外見が優れていても非常に危険なのだ。
しかも、それは本人にも分からない。育っていないものは感じることが出来ないからだ。
知的系統的学習(早期教育)などやってる時間は微塵もないのだ。
これだけ異常現象が起きているのに、まだ気付かないのだろうか。
今までの教育の失敗が表面化してしまっているのだ。
ゆとり教育」ではなく「高速多量のストレス教育」の失敗である。
……………………………………………………………………………………………
§ゆとり教育に対する「批判」の勘違い
 ゆとり教育の理念は間違っていませんが理論も方法もありませんでした。
ですからゆとり教育が原因で学力が低下したと思われたのは当然でしたし、批判の的になるのも当然でした。
ですが、批判そのものは的外れです。
ゆとり教育の批判の中に「読み・書き・計算」という基礎学力を軽視したからだという論調がありますが、
全く違うと思います。「読み・書き・計算」が基礎学力だったのなら、こんなに一気に学力低下が表面化はしません。
学力衰退の下地が十分にあったから表面のコーティングをとっただけでボロボロの中身が見えただけなのです。
 「ゆとり教育」の前も後も子供達の宿題は全く同じ「読み・書き・計算」でしたし、
やっていることは形を変えた(考える学習と呼ばれる)考えない学習でした。
なぜなら、考えるとは具体的にはどういうことかさえ分かっていないのですから本当の考える学習などできるハズがないからです。
ゆとり教育」の目標はメッキのコーティング(単純作業的学力)の下(本当の学力:思考力)をキチンと作ろうということだったのですが、
残念なことに作り方を誰も知らなかったのです。
だから、コーティングを剥がしたまま的外れな時間つぶしをすることになってしまったのです。
そこで、今までの学力衰退が表面化したのです。
つまり、「ゆとり教育」が証明したことは少なくとも「読み・書き・計算」は基礎学力ではないということだったのです。
 私は二十数年前に大手塾の大失敗を目の当たりにしました。
それは、進学率をあげようとして、それまで小四からだった入塾を小三からにし、ついには小一からにしたことです。
塾生は増えましたが進学率は上がりませんでした。
そして、低学年戦略は学力養成とは関係のない、単なる塾生の囲い込み戦略となって今に至っています。
 次の書評(抜粋)は教育雑誌「いきいきニコラ」の馬場氏の書評です。
重要な資料としての価値を持つ書評だと思いますので掲載します。
※全文はhttp://www.os.rim.or.jp/~nicolas/9sainokabe.html
……………………………………………………………………………………………
■「9歳の壁」と子どもの学習~T.Itoyama著『絶対学力』から思うこと
 Itoyama氏の言う「9歳の壁」というのはどういうものか。人は12歳までに抽象思考ができるようになる自然なプログラムを持っているが、そのプログラムに逆らって幼少期に先行学習やパターン学習をさせると、考える力が育たず具象思考から抽象思考に変化する「9歳の壁」を乗り越えられなくなる。具体的には、暗記力と計算力で満点をとっていた子が高学年になると学力不振に陥る。それは考えない習慣をつけさせ、マニュアル人間を作り出すからだというのだ。これは今流行りの知的早期教育への警鐘でもあろう。これについては、私の若い頃の経験による傍証がある。ある進学塾で仕事をしていた時、その塾は日の出の勢いで躍進をしていたが、もっと生徒を増やそうという方針で、それまで小学4年生から通塾させていたものを、親の要望も受けて小学3年生から引き受けることにした。それで教育熱心な(?)家庭の子弟が通い始めた。中学受験は早いほうがいいというわけだ。確かに熱心な子が多く勉強の成果もあがった。ところが、数年経ち高学年になった頃から奇妙なことが明らかになってきた。受験学年になるころにその子たちの成績の伸び悩みが見られるようになってきたのである。そして、5年生や6年生なってから通塾し始めた子どもたちに追い抜かれることさえ起きてきた。通塾を勧める関係上、父母には秘密であったが、塾内では半ば公然の認識であった。その後の受験の結果はもはや推して知るべしであった。なぜ、こういうことが起きたのか。通塾の弊害が明らかであった。一般には「塾慣れ」とか「塾疲れ」とか言われたが、私はもっと別のところに原因があると思っていた。それは学校に通い、塾や習い事に通うことに忙殺され、ひたすら理解し覚えることに1日の時間の大半が使われ、ほとんど自分で考える実行する習慣を持つことなく来てしまったことの結果ではないかと考えていた。いくら優れた水泳の指導書を読んでも実際に自分の体で会得しなければ水泳が出来るようにはならない。このことを、Itoyama氏は『絶対学力』(本物の学力)の中でより体系的に明らかにしてくれている。
……………………………………………………………………………………………
 私は馬場氏とは面識がありません。
ですが、大手塾の講師をしていた二十数年前に彼と同じ体験をしています。
ということは、この現象は全国的なものだったのだと思われます。
 そして今、「読み・書き・計算」を徹底反復して基礎学力を付けようとの名目で、
高速計算練習を軸とした、かつて大手塾が犯した大失敗と同じ道を突き進んでいる小学校が出てきているようですが、
どうにか思いとどまって欲しいものです。私は、二十年も前に、小学校低学年で高速計算を徹底反復させられ、
漢字や諺を大量に覚えさせられた子供たちの悲惨な結末を見てきたのです。
漢字はイメージと連動させることで救いようがありますが、高速計算だけは、どうやっても救いようがありません。
どこまでいっても、やっているのは「10の補数と九九」の反復だけだからです。
私の経験では、小学校低学年での高速計算練習ほど頭を固くするものは他にはありません。
応用のきかない発想の乏しい頭を作ってしまいます。ですから、これだけは絶対にやらせてはいけないのです。
今、現役の小学校の先生が、かつて塾が試み、大失敗した低学年戦略を知らないのは仕方がないでしょう。
ですが、子供の反応をよく見れば分かるはずです。
見せかけの見栄えのする力がいかに有害なものかに早く気づいてもらいたいものです。
2014年06月02日
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オリンピック選手などが、時々、インタビューに応える形で
競技中のある状態を「ZONE状態」「ZONE体験」という呼び方で紹介している場面を数回見ました。
私には、日常のことでしたので、不思議に思って調べてみると、下記のようなページを発見しました。

武道における「無心」とスポーツにおける「ゾーン体験」

いい線いってると思います。
ただ、ここでも、ある種の、特別な状態のように思われているようですが、
日常的に意識的にでも可能です。
少なくとも、私は、中学の頃から日常的にあります。
ただ、今思うと、こうも日常的に使えるようになったのは
キッカケとして<剣道>をやっていたことが要因だと思います。

今なら、その正体も言えます。
正体は小脳思考の働きの大脳による意識化です。

現象自体としてはデジャブもインスピレーション(ヒラメキ)も同じです。
心眼も同じ現象ですし、<もう一人の私>も同じです。

さらに、将棋の長考などは、
この原理を応用した思考と判断をするルールです。
こんなことをゲームのルールとして設定してあるのですから将棋は奥が深いですね。
結構、この状態になる条件が揃うゲームですので設定も生まれたのでしょう。
視覚イメージ操作の鍛錬ですから、主に小脳の処理を優先させることになるからです。

スポーツなどでは具体的に言うと、イメージトレーニングで味わうことが可能になります。
自動再生画像が見えるシュミレーション意識化過程ですので、イメトレの効果的な作用が同じ原理を使います。

集中は起動(感じるキッカケ)スイッチの一つにすぎないですので、
慣れれば、絶対h条件ではありません。
慣れていると、雑音では感じにくくはありますが、
状態に入ることは可能です。

大脳が小脳の視覚イメージを意識できる状態は保っておく必要があります。
圧力バランスの変更で可能ですが、コツが必要です。

このようなことを、日常的に出来るようになっていると、
自分の行動を決める場合にも意識的に下記のような事をすることが出来ます。

*問題解決時の思考と判断と行動*
1.動かないという選択
2.ぼ〜っと考える時間を取る
3.何かが出てくるまでプレッシャーを掛けない
 自由に無意識思考をさせている感覚
4.意識(大脳)は、ただ、無意識の処理(小脳思考)が終わるのを待っているだけ
5.返事を聞き逃さないように感度を上げたまま待ち状態をキープしておく
*忙しなく動いていては聞き逃してしまうので、
 考えないですむことをゆっくりやってるといい。
 散歩もいい。
 
2014年06月02日
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〜おススメ夏講座〜
2014:夏英語:DONGLISH
hajimeruyo
*本当の基礎学力とは
「深い読解力」
「深い思考力」
「深い感味力」
 を保育することです。
 それ以外の事はしないで欲しい。
*基礎を「簡単なこと」と思っているとお先真っ暗ですよ。
-------------------------
<2014.06/02の電話相談の記録>
*莫大なお金をつぎ込んで通学させている私立小学校で、
毎日子供の才能を潰されているかと思うと、
本当に悔やんでも悔やみきれません。

超有名私立小学校在籍中の保護者との電話内容から。

読解力養成の根本的な勘違いを修正して欲しい。

どんなにたくさんの本を読んでも読解力は育ちません。

<読解力養成の前に>
●言葉とは何か。
●分かるとはどういうことか。
●理解するとはどういうことか。
●読解力とは何か。
●思考力とは具体的にどうすることか。


どれ一つとして答えられない先生に、
<読解力養成>は不可能です。
そんな先生に限って「本を沢山読みましょう」なんて、無意味なことを言う。

どんぐり倶楽部は、上記の質問に対する
具体的な答をすべて公開していますし、
育成方法も公開しています。

このページの検索用語<早期教育>を
<言葉とは>
<分かるとは>
<理解するとは>
<読解力とは>
<思考力とは>
に変更して検索して下さい。
誰でも、上記の答えをご覧になれます。

*今回の結論は、丁寧に「絵コンテ読解」をする。でした。

 

移植

2014年06月10日
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・どんぐり倶楽部・どんぐり先生:

どんぐり先生はじめまして。

先日オランダよりCDをお願い致しました●●と申します。
おかげさまで昨日無事CDを受け取らせていただきました。
迅速に対応していただき本当にありがとうございました。

どんぐり倶楽部さんのことは小3の息子の学習方法で悩んでいた時にM学習のK先生のところで知りました。
私には子どもが三人おり、それぞれシュタイナー学校の中、小、幼稚園に在籍中です。

<中略>

そんな時どんぐり倶楽部さんと出会いどんぐり先生のお考えに深い共感を覚えました。
先生のお考えにシュタイナーとの共通点が感じられたからです。

先生のご本やHP.過去ログを読ませていただくうちに、

してはいけない学習はさせてはこなかったものの、
しなくてはいけない学習もしてこなかったのではないか

と今の息子の様子を見て強く感じています。

先月より週一回のペースでどんぐり問題に挑戦していますが、
文章をよく理解せずただ数字合わせをして答えを出そうとしているのがわかります。
「よく考えてごらん」と言えば「分からない」「出来ない」と言い、
明らかに考える力が育っていない事が分かり大変ショックでした。
--------------------
*まさに、そのとおりです。
*キチンとショックを受ける。
 キチンと対処する。
 覚悟が決まれば、対策はある。
...何と言っても、今は「どんぐり倶楽部」があるのですから。
「どんとこい」です。
「すべきこと」
 
2014年06月07日
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be_free

時代によって、環境によって、基礎学力(生きる力)は変わってきます。

一時期は、商売で使える技能「読み書き計算」が基本でした。

なぜなら、生計を立てる術の中心がこれであり、それで、生きていけたからです。

使われる身ではありますが、生きてはいけました。

ですが、現代は、そんなに甘くはありません。

体が丈夫で「読み書き計算」ができるだけでは、
生きていくことさえ難しい時代なのです。

賢いだけでも、生きてはいけません。

現代は、豊かな感情とともに、バランスよく、高度な論理的抽象思考を身につけておかなければ生きてはいけない時代なのです。

それなのに、人間的な人間を育てるための教育環境は最悪です。

さらに、既存の学習方法では、論理的思考を身につける際に、感情を殺してしまうパターン学習しかありません。

これでは、マリオネット人間やアンバランス人間になってしまいます。

どんぐり式の学習は、感情再現をしながら、無理なく無駄なく、効果的に「感情教育」も「論理的思考力養成」もできる学習方法です。

現代では、必要でありながらも今までなかった方法が要求されてきたのです。

どんぐり式は、人間が人間らしく生きるための<時代の要請>なのです。

ですから、「どんぐり」は、全てが新しいのです。

どんぐり式教育が「New Education」と呼ばれる所以です。

どんぐり式学習は、現代において、

身を守るための学力=現代の<生きる力>

と言っても過言ではないでしょう。
 
2014年06月05日
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「勉強だけは特別」と思っている人が多いですね。

手間ひまかけて、感情教育はしてきた。
食事にも言葉にも気をつけて感性も育ててきた。
芸術鑑賞にも行かせた。
なのに、勉強となった途端に、勉強では感情を殺す

【パターン学習】を<させる>ことに違和感を感じない。
 あるいは、感じでも<させて>しまう。...これでは、水の泡です。


分かっているはずですね。
感情を殺す材料は感情を味合わない時間を作ることです。
幼児・児童期には、勉強と平行して感情教育がされる期間です。
ですから、勉強をしている時に、感情を殺す方法で勉強をしていたら、
それまでの感情教育は見事に崩れ去ります。
感情を再現しながらも勉強をする方法は、
今のところどんぐり方式しかありません。

無料です。使わないとしたら、

「えりゃ〜損してまっせ!」

どんぐり倶楽部が、この方法を公開するまでは、方法がなかったのですから仕方ありませんでしたが、
今は公開されているのですから、使いましょうよ。こっそりでもいいですから、使って下さい。

親の為にではなく子供の為にお願いします。

昔は、そんなことをしなくても、偶然が手助けして感情を潰さずに住む環境がありましたから良かったんです。
ですから、公開もしていませんでした。
ですが、もうダメです。

これだけ、感情を回復させるチャンスが潰されている現代では、子供の自己回復能力だけでは守りきれません。
ここは、積極的に介入して感情保護を進めなければ守り切ることは出来ません。
特に、幼児期に、感情育成をしてきた人にはお願いします。

「ゆっくり、ジックリ、丁寧に」お願いします。
 子供達を宜しくおねがいします。

具体的に何をすればいいのかは、どんぐり倶楽部の無料体験学習で体験して下さい。
どんぐり体験学習会2014
2014年06月03日
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●年に一度の<どんぐり体験学習会2014>の案内です。
 継続を前提とはしておりませんので、全国から参加可能です。
 年に一度、海外から参加という方もいらっしゃいます。おおいに結構です。
 参加資格等もありません、大人だけでも結構です。子供だけでも結構です。
 色鉛筆とクロッキー帳(大)だけ持参下さい。問題は配布します。

<日時・場所>
*2014.07/30(水)
A→13:00-14:00
B→14:00-15:00
C→15:00-16:00
D→16:00-17:00
アミカス
高宮・アミカス:研修室D<定員20名>
*福岡です。

*子供だけ、大人だけでもOK:塾の先生が受講するのもOK:学校の先生でもOK:制限はありません。
*連絡先をコチラで控えることもありません。コース指定と参加人数のみお知らせ下さい。

*申し込み先:返信にて受付可否を通知(定員になり次第締め切り)
→donguriclub@mac.com<件名:体験学習20140730>
・希望コース
・参加人数
・質問など
---------------------------------------------------

<どんぐり倶楽部の夏2014>を紹介します。

■夏英語<2014.07/26-27><2014.08/30-31>

■どんぐり倶楽部の無料体験教室・無料相談会(受験相談可)<2014.07/30>

---------------------------------------------- 

●夏英語DONGLISH
→申し込み:donguriclub@mac.com(お問い合わせもメールでどうぞ)
オンラインショップ
*英語講義コーナーより
Donglish-003:SunShineを使った夏英語:中学3年間の英語を2日­でマスターする講座 in 2014
動画で見てみる:2日出来る理由が分かります!
nokojukueigo-003

件名:Donglish-20140726参加申請(第1回)
件名:Donglish-20140830参加申請(第2回)

*払込は後日(参加1週間前まで、HPのオンラインショップから
 あるいは、当日持参でお願いします。
●中学校の教科書SUNSHINE book -1.2.3を使って
 中学3年間の英語を2日間でマスターする講座です。

・納得英文法
・語句順訳

 上記2点を身につけます。

対象:中学生以上(大人でもOK)
場所:第1回→(福岡県の能古島:港から徒歩1分)/第2回→(福岡県の高宮アミカス高宮駅から徒歩0分)
〒819-0012
福岡県福岡市西区能古450
能古の曽島map

〒815-0083 福岡市南区高宮3丁目3-1
福岡市男女共同参画推進センター・アミカス
TEL:092-526-3755

受講費用:30000円(2日間)
宿泊等は各自で用意すること
親族での参加は割引あり(1人につき5000円の割引です→2人目から25000円)
*テキストは今年度版のSUNSHINE1.2.3を各自で持参すること。
*録画録音は自由です。なるべく、受講中はノートを取ることではなく理解することに注意して下さい。
<時間:予定>
●7/26日-10:00〜13:00(3h)
●7/26日-14:00〜19:00(5h)
●7/27日-10:00〜13:00(3h)
●7/27日-14:00〜18:00(4h)
合計:15時間

<時間:予定>
●8/30日-13:00〜21:00(8h)
●8/31日-09:30〜13:30(4h)
●8/31日-14:00〜17:00(3h)
合計:15時間

<内容>
*福岡市教育委員会指定の教科書(現段階ではSUNSHINE-1.2.3)中1・2・3の3冊を使います。
 公立中学校で使っている教科書です。

●英語が苦手でも理解できる「納得英文法」※一般的な文法書には書かれていない納得できる英文法です。
●速読速解を可能にする「語句順訳」※聞いているだけで、読解・作文・文法が分かるようになります。
●簡潔で分かりやすく、英語が苦手な子にも効果的で、必ず「英語がわかっちゃった状態」になる指導法もマスター出来ますので、指導者の方の参加も歓迎します。
1.教科書だけで講義しますので、参加者は各自で準備すること。(教科書取扱店にて購入可能)
2.参加者は、中学在校生、やり直しをしたい高校生以上の方々(小学生以下は不可)
※今回、小学生用の「英語を一切使わない英語学習」はしません。
3.1日で1年間分をしますので、時間的には長いです。軽い食事をしながら出来るように考えています。
4.講義中にメモは取らないほうがいいです。聞いて、板書を見て、その場で理解して頂きます。
・中学在校生と高校以上〜大人まで(先生も聞かれたほうがいいと思います)

……………………………………………………

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2014年06月11日
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「シュタイナー理論」と「どんぐり理論」の相違点-1

どんぐり倶楽部の糸山です。

>この園(シュタイナー教育の園)の保護者の方に話しを聞く限り(もちろん全体としては少ないですが)一年生の単元からつまずいている、文章問題・応用になると さっぱり、という声ばかり聞こえてきます。やっぱりこれが感情教育偏重の現状なのか・・・と感じています。

●根本的に対応していないと言うことです。
「していない」とは、「対応しないことがシュタイナー」だと言うことです。
悪い意味ではありませんが、対応しないのです。
対応する意図も意志もなければ、元々、学力を育てると言う視点そのものがないのです。
それは、シュタイナーの学力の定義が浅薄で表面的なものだったがゆえに、人間形成には不要で有害なものであると判断されていたからです。

人間形成をするためのものがシュタイナーにとっては教育だったのですから、そういう意味では正しい判断なのですが、じつは、彼が考えた学力そのものが、捉え直すことによって、人間形成の最も重要な核になるものであったのですが、彼はそれをしませんでした。

この、学力そのものの捉え直しをするという考えは、どんぐり倶楽部が初めて、定義したものですから、どんぐり以前には、誰も思いもしなかったことなのです。

つまり、シュタイナー教育は、学力不要時代の人間形成には十分に作用していたが、現代と言う学力も基本要素とする人間形成を求められる時代では、そのまま使ってはいけない教育だと言うことです。

これらのこと(時代と人間形成)を図式化したものが下記である。
<作成中>
jidai

学力養成(高度な理論的抽象思考力養成)については、シュタイナー教育では、理論も方法も持っていませんのでできませんし、持っていたとしても、理論構成上オプション設定にならざるを得ません。

本国での13年目のオプションがこれに相当します。
そして、このオプションを見ればわかりますが、そこには、なんの工夫もなく、既存のパターン学習が取り入れられています。つまり、学力養成に関しては、シュタイナーにオリジナルはないのです。

これは、現代においては、明らかに、片手落ちです。

この片手落ちが、最後まで尾を引くのです。

現代を自由自在に生き抜けるために、時代が要請している思考力を作れずに育て終えるのですから。

人間形成における普遍的部分は、誰が研究しても、同じ結論に辿り着くのは、当然である。新人類が生まれてくるまでは、人間は人間ですからね。

しかし、時代が求める部分は、その時代を正確に分析した上で、普遍的部分の教育との整合性を持たせることが出来た人のみが作り出すことが可能な分野なので、
どちらにも精通している必要がある。従って、その様な人物に出合うのは非常に難しいことと同様に、時代を反映した教育を確立することも難しいのは言うまでもない。...が出来るんです。

<New Education とは>

21世紀という現代において、子育てと教育を分割せずに、教育を子育ての一部として融合させることで、自然に、無理なく無駄なく効果的に、本当の学力(すべての学カの素)を育てる教育である。

本当の基本と考えられていたのならば、学校で全員に身につけさせていたハズですが、そうではありませんでした。ということは、考える力はオプション扱いだったのです。

なぜ<New>なのかをお話しします。

これまでは、学カは、オプションと考えられて来ました。

もちろん、学校では学力アップをうたってはいましたが、それは基本ではなく、オプション扱いでした。

ですから、学力養成は個人の責任であって、学校の責任ではないのです。なぜなら、それでも、これまでは、オプションがなくとも生きて行くことができたからです。

ところが、現代は全く違う時代になってしまったのです。

感味力と同じように本当の学力も基本として育てなければ、生きて行くことはできない時代になっているのです。

ですから、現代では思考力養成も義務教育の中で完結させなければならないのです。これまでの人間教育の中に、学力養成は入っていなかったのです。ですから、子育てと教育が、バラバラに扱われ、その結果として、子育ては、上手くいっていたのに、教育となると、子育ての考えとは合致しないことを、平気でしてしまうのです。

バラバラ教育がバラバラ人間を育てるのは当然です。

常に、子供は、「育てたようにしか育たない」のです。

シュタイナー教育などは、この点でもハッキリしているので、学力養成事体をカリキュラムに入れておりません。というよりも、シュタイナーには、それができませんでした。すると、当然のことながら、社会で求められている、自由に生きていける人間形成の教育とはズレが生じます。
そこで、時代の要請に対応するために、13学年での学力養成プログラムを付け加えているのです。本来であれば、学力養成も正式なカリキュラムの中に溶け込ませて、正式なカリキュラムの中で、キチンとすべきなのですが、教育を学力を除く人間育てという、狭い人間教育に限定してしまったがゆえに、時代に対応できない教育論にならざるを得なかったのです。教育論ではなく、人間形成論なので仕方ないのですが、世間では<教育>と勘違いしていますし学校まで作っていますので、教育として論じなければなりません。
彼が、学力養成を除外した要因はもちろんあります。彼が知っている学力養成方法であるパターン学習は、幼児・児童期の人間形成において非常にマイナスがあるからです。これは、正しい分析でした。つまり、学力養成は、感情を殺しながら理論的思考ができるようにすることだと考えていたのです。
ここで、新しい学習方法を模索すればよかったのですが、そうはしなかったのが残念です。

この新しい思考力養成方法の開発ができなかったが由に、<子育て>と<教育>という本来は統合されるべきものが、今だに、真逆の方法で進められているのです。
統一された手法には、革命的な統一理論が必要だったのです。

「子育てと教育の大原則」には、この統合された理論が展開されています。

どんぐり倶楽部には、「教育の統一場理論」と「子育てと教育の統一理論」があります。

どんぐり倶楽部は、この思考力養成の中で子育てと全くズレることなく、人間育てと同様の方法で人間的な判断力を伴った思考カ養成の方法を確立させています。

モンテッソーリは、いち早く、学力の重要性に気付き子育ての中にとり込んで来ましたが、残念ながら、その手法は、パターン学習への予行演習にすぎないものでした。
体験を中心に添えるという多少の改善はあったものの、既存のパターン学習から抜け出せたわけではありませんでした。

ここで、少しシュタイナーを弁護します。

高度な理論的抽象思考が、大きな意味での人間形成(Basic humanbeing Education)に必要かと言うと、結論としては、不要です。

ですから、シュタイナーは、高度な理論的抽象思考の養成を正式なシュタイナー教育としてのカリキュラムの中には、取り入れていないのです。

世間という当時の時代もまた、そこまでは、要請していなかったので、  当時はそれで、全体としても良好だったのです。100年ほど前のことですから当然のことでした。
*シュタイナーの生存期間は
*1861.2/27(万延2)〜1925.3/30(大正14年)<享年64才> 
<参考>*1933年:文部省著作兼発行:国語の教科書
kyoukasho

 

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2014年06月11日
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「シュタイナー理論」と「どんぐり理論」の相違点-2

ところが、時は移り変わり、時代の要請するものも変わってきました。

ですが、シュタイナーは一度完結した理論ですので、その変化した時代の要請に応えることは物理的にできません。

一度完結した理論を本人以外が修正することはできないからです。
これを変えるには、シュタイナーそのものを凌駕する理論が必要だからです。

そこで、本カリキュラムではないという建前で、13年目からのパターン学習を設定しています。ここが、オプションと考えられている、時代の要請に対応している部分です。

本来なら、この時代の要請も含めた教育理論を—から作り直すべきなのですが、それをできる人は、シュタイナーの世界には存在しません。シュタイナー教育そのものの根底からの否定になるからです。

つまり、現代で本当に、生きる力を持った人間形成をするには、時代が要請する、高度な理論的抽象思考の養成も、基本的な要素とに取り入れた教育理論が必要であるにも拘わらず、シュタイナーでは、構造的にそれができないということである。

ただし、シュタイナーでは、ある程度のオリジナルの思考回路はできますので、13年目から始まるパターン学習でも壊れない場合が多いので、13年目まで進むことが許されれば、結果は良いのです。これは、当然、予測出来ることですし、検証結果も予想を

ただ、13年目まで行けない子、本来なら行けるハズだった子が途中でリタイアしていることは、現代の中で生きのびる力を持たせてあげられないことを考えると大きな問題を抱えていると言わざるを得ません。

どんぐりは、最初から、高度な理論的抽象思考力養成を取り入れてあります。

どんぐりは、高度な理論的抽象思考力養成をも、生きる力の基礎的な力と考えているからです。

ですから、全ての子供達が、シュタイナーで言うところの13年目に進むことができるのです。

もう一点は、バランスです。
現代の環境を考えると、シュタイナーで育てるバランスは、現代が要する環境には合っておらず、不足していると考えざるを得ない。

つまり、シュタイナーでいうところの、理想的な子は、現代では、自由に生きて行くことができにくいアンバランスな教育を受けていることになるのです。

情が勝って、理が貧しているからです。
昔は、それ位が丁度良かったのですが、現代では、アンバランスなのです。
子供の能力の問題ではありません。
これは、アレンジという調整の問題なのですから、ひとえに、指導者側の役割なのですから。

教育内容によって、育てられる力とその子が生きていく、実際の環境を比べて、キチンとバランスを取ってあげることが指導者の役目なのです。
その点でも、シュタイナーのバランスは、100年前の世間を相手にしているものでなので、現代では、非常にアンバランスになってしまっています。

皮肉なことですが、その時代をよく分析してできあがった優秀な理論であったがゆえの欠点と言えるでしょう。

つまり、現代では、必然的に、非常にアンバランスな子供を育てることになってしまうのです。

この時に、社会が狂っているのだから、この教育でいいのだという人がいますが、どうでしょうか。
社会の中で、自在に人生を楽しむことが出来るように育てることが教育の目的です。少なくとも、そう考えるならば、社会の方に責任を転嫁して、理論に工夫を加えないことは教育そのものを勘違いしているのだと思います。

工夫で対応できることを怠ったと判断せざるを得ません。
実際に、どんぐり倶楽部の理論は十分に対応できているのですから。

もちろん、12才以前の「ヒトから人間へと激変する成長期」に、人間的成長を阻害せずに、高度な学力を育てるには、特別な理論と方法が必要となります。

それを確立したのが「どんぐり」です。
シュタイナーは、これを一切持っていません。
そもそも、高度な理論的抽象思考力養成を、カリキュラムの中で扱っていないのですから、持っていること自体があり得ないのです。

従って、当然ですが、現代では必要とされるこのカを育てるためのカリキュラム自体が存在しないということは、現代には、対応できていないということなのです。

New Education の意味は、前述したように、現代が要請する人間形成の中に高度な理論的抽象思考力養成も、取り込んだ教育理論だからです。

つまり、21世紀が求める高度な理論的抽象思考力養成を含んだ人間形成理論なのです。

今までは、バラバラに教えられていた対局のものを融合し全く新しい1つのものにしてしまった理論なのです。

●どんぐりとシュタイナーが、決定的に似ている部分と決定的に違うところを明確にしておきます。

似ている点は、成長過程に沿った方法で教育を進めている点です。

決定的に違う点は、

どんぐりでは、高度な理論的抽象思考の養成も、最初から組み込んで、無理なく無駄なく、効果的に養成できるように仕組んである点です。

どんぐりは、21世紀に生まれた教育理論です。

つまり、21世紀の子供達を対象に、分析して、出来上がった教育理論なのです。

ですから、新しい時代が要請している、高度な理論的抽象思考の養成も、最初から組み込んであるのです。

そして、それ以外の人間形成の部分では、シュタイナーと同じ結論にたどり着いているので、必然的に同じ様な教育方法となっているのです。


ただし、この部分でも時間的なこと、つまり、子供の成長度合いの変化に伴う修正がされている点は、多少違っています。時代環境の劇的変化が子供達に環境適応という形での変化させたと思われますが、最初の区切りは7才ではなく、5才とするのがどんぐり式です。

さらに、5才までの中でも2才まで、3才まで、5才まで、と区別をします。

この最初の区切りとなる幼児期の、7才とする場合と5才とする2年間の差は、子どもと大人の敏感度を考えると、成人の20年間位にも相当する期間と考えられますので、この違いは、高度な理論的抽象思を育てる準備には非常に重要な期間といえるのです。

この、どんぐりの背比べと思われそうな時期の2年間のズレは、実は、致命的な差を生むことになるのです。

というのも、この期間に、思考の原型となる文字を絵図に移し換える練習を積み、自分のオリジナルの思考のベースとすることを普通にするようになっていると、
思考の準備を無意識に整えることができるのですから、その恩恵は、一生続くことになるからです。

この準備は、その後の高度な理論的抽象思考の形成の基になるからです。

蛇足ですが、シュタイナー小学校に行くための費用
(初年度納入金:約976,000円<学校法人シュタイナー学園:神奈川>)
を考えると、
7年間で7000円、年間1000円しかかからない「どんぐり」は、全世界が取り入れるべき教育であるといえるでしょう。
同じ教材を使えるのですから、2人なら、一人あたり年間500円です。

結果、成果は、山ほどあります。ご紹介しましょう。

 

2014年06月11日
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「シュタイナー理論」と「どんぐり理論」の相違点-3

*「結果の勘違い」*

6才までしか関わっていないのなら、結果は6才時点の人物です。

18才になった子を見て、6才までしか関わっていない人が、それが結果と言うのは、単なる甘すぎる希望的観測です。

アタリマエのことですが、その教育方法の結果とは、その方法を終了した時点での状態です。それ以外にはあり得ません。

幼稚園なら、卒業時の状態が結果です。

小6までの指導なら、小6卒業時の状態が結果です。

幼稚園中心で、比較するならば6才です。

どんぐり倶楽部中心で、比較するならば12才です。

どんぐり倶楽部の結果は、ブログでたくさん知ることが出来ます。

優しく、穏やかで、丁寧で、感情と姿勢のバランスが良く、本当の学力が育っています。

パターン学習の猿真似思考ではなく、オリジナルの自分の考え方で、複雑な問題を根気よくとくことが出来る力も有しています。

いくらでも、例は見ることが出来ます。

どんぐり式だと、目の前で子供の状態が手に取るように分かります。

何が育っていて何が育っていないのかも分かります。

こんな方法が他にあるのだろうか?

あるのなら、教えて欲しい

ないのなら、なぜ「どんぐり」を使わないのだろうか?

子供の状態を見たくないのだろうか?

親が一番見たいのが、子供の現状ではないのだろうか?

●目の前で、検証できることだからしましょうか。
*まあ、どんぐりっ子みたいに、塾なしで中学受験、高校受験、大学受験をする場合は。そのまま<結果>といっても、まあいいでしょう。
これが、塾に行ってるのならば、原因の特定はできません。
幼稚園や小学校で面倒を見た子供が東大に入ったからといって「それが、結果」だなんて思ってるお目出度い人は何も分かっていないってこと。

<結果の検証方法>
*各学年での<結果・成果>を見たい場合は、比較する双方に、どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」をしてもらえば、その場で分かります。どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」は、単なる算数の問題ではありませんので、解ける解けないには一切関係なく、その子が、どのように育っているかが判断できます
*同じ問題で、反応の違いが、その子達の状態の違いだからです。問題に慣れている慣れていないというのは全く関係ありません。どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」でなくても、初見で複雑なもので思考力を試されるものであれば、反応は同じですが、「良質の算数文章問題」なら、読解力、理解力、推理力、理論的推理力、計算力、忍耐力など、様々な初所見を得られます。
------------
さて、ここで、オランダのシュタイナー学園に3人のお子さんを通わせている方からのメールと京田辺シュタイナーの保護者の手紙とを添付します。
------------
オランダからのメール
<前略>
一日漢字一文字を大きく片方のページに書かせてそこに息子がイメージした絵を描き、もう片方のページには書いた漢字を使った短い文を書いて終わりにしています。この方法にしてから漢字の勉強が楽しいと言うようになり、ノートは宝物になりました。
●どんぐり倶楽部には、学力に関するあらゆる革命的な方法が、普通にあるのです。(Itoyama注)

相変わらずどんぐり問題には悪戦苦闘していますが、
算数だけでなく国語の力もつく問題だと思いますのであせらず、じっくり取り組ませようと思います。今はとにかく学ぶことは楽しいという事を
教えたいです。私はこちらの教育事情には詳しくはないのですが時代の流れなのか、シュタイナー学校は以前より公立化してきているような気がします。
息子のクラスは他の学年と比べ生徒数が多く、先生一人では十分に子ども達の様子を把握できない状態です。

また表面的な学習効果を求める父兄が非常に多く先生にもそれを期待しているようです。 息子の話では確認学習のため度々大量の計算問題をタイムを計ってさせたりしてきたそうです。 

また指折り算はやめて暗算をするようにと繰り返し注意されたとも.....。 (息子は未だ指折り算です。)
以前ではとても考えられなかった事がシュタイナー学校の中でも起こっています。

●これが、時代とのズレに対応できないシュタイナーの進まざるをえない道です。
*現在のシュタイナーは、ここに目をつぶって、頑なに時代に取り残された古い人間的な成長だけでいいんだという古典主義を貫き通すか、
既存のパターン学習を取り入れるしかないのです。残念ながら、シュタイナー教育は、シュタイナー教育を標榜する限り、既に崩壊していると言わざるを得ないのです。(Itoyama注) 

もしかしたら知らなかっただけで以前から同様の事はあったのかもしれません。
でもまわりで何が起こってもやはり「自分の子どもは自分で守る」しかないのですね。

どんぐり先生のおかげで覚悟ができました。ありがとうございました。

先生がご多忙なのにとりとめのない文章を長々と書いてもうしわけありませんでした。まだまだ勉強不足を感じています。これからも先生のご本やHP.過去ログで勉強を続けさせていただきたいと思っています。どうぞ宜しくお願いいたします。先生もどうぞお体をお大事にお過ごしくださいませ。失礼いたします。

<返信>
「どんぐり倶楽部」のItoyamaです。
●日本でもお母さんは大変ですが、外国では尚更ですね。ですが、人間育てです。「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」いきましょう。
シュタイナーは人間が生まれてからも進化すること(脳内進化)に気付いていただけで理論や学習方法を確立してはいません。
理論は中途半端ですし学習方法は素人です。ですから、教育の指針にブレがあります。丸ごと受け止めるという大前提が正しかったのが救いです。
が、それ以上ではありません。最初にシュタイナーについて読んだとき(私は人智学から入りました)にピンと来ました。
時代の要請(教育ではなく調教の要請)を凌駕することは出来ないだろうと。
見せる教育と同じように見せない教育が大事であることと同様に、させる教育と同じようにさせない教育も大事なんです。
「できるからさせる」「できるようにさせる」は幼児・児童期には非常に危険なのです。
●お母さんはお子さんと一緒に元気にならなければいけませんよ。
もしも、日本に戻られる予定があるのでしたら、小学校の算数の教科書を全学年分揃えておくといいですよ。
半年もあればマスターできる内容であることが分かります。では、また。

<返信>
どんぐり倶楽部・どんぐり先生:どんぐり先生 こんにちは。お忙しいなか 早々にメールをいただきありがとうございます。先生のあたたかいお言葉におもわず涙がこぼれそうそうになりました。先生のお考えをお聞きして、今まで感じてきた疑問がようやく解けた思いです。遅すぎたかもしれません。でも私にはそれだけの時間が必要だったのかもしれないと思っています。

初めて、どんぐり倶楽部さんのHPに出会った時、暗闇のなかにひとすじの光が見えたように感じました。
それが今は確信に変わりました。
うまく言葉に表すことができませんがそのように「感じた」のです。
これからは迷う必要なく歩んで行けます。
「どんぐり」でこどもと一緒に元気になります。
どんぐり倶楽部とどんぐり先生に出会えたことを、心より感謝しています。


今、オランダはとちの実がたくさんなっています。こちらではKastanje(カスタンイェ)と言います。花屋さんやスーパーの野菜コーナーにはオレンジ色のかぼちゃPompome(ポムプン)が所狭しと並んでいます。四季の変化が少ないオランダで唯一秋を感じさせるものです。日本も秋風の涼しくなってきた頃でしょうか。先生もどうぞお体をおいといください。

京田辺シュタイナー>
別メールにて

<どんぐりの学年別結果>
別メールにて

*結果の比較は、初見の問題を比較したい子供にさせてみて、その時の問題に向かう態度を見れば一目瞭然ですよ。

●読書や絵や音楽では、バランスのとれた実感のある逞しさは出てこない。
 日本発21世紀対応最先端教育理論=DONGURI-THEORY

■KEEP
→感味力
→SasenaiEducation
→ Basic Humanbeing Eduation
*0〜2〜5

*0〜2:生命維持のための進化=助け守るために対応する保護者→安定回路

*2〜5:一般的な体験を個人の原体験(あらゆる力の源)として蓄積する。

実体験と言葉を毎日染み込ませるように日常を味わいながら感じながら生活すること。

「ゆっくり、ジックリ、丁寧に」言葉を添えて全ての力の源となる感情と理論を固く繋げる体験がこの期間に出来ていることが人間として進化する必要不可欠な要素である。

この時期にしか出来ない最も重要な日常生活となる。この時期には、自然な日常生活以外にすべきことは何もないし、余計なことをすべき時期ではない。

→反射〜お手本〜説得〜納得
→安全〜安心〜:安定=入力準備

◎満足回路→納得回路(お手本)

◎お役立ち回路<有能感>は「助かったョ」の一言で作り上げることが出来る。

◎人間が育てた言語文化は丁寧な会話が基本であり、この時期の丁寧な生活が全ての源。

■PREPARE:理論思考への移行準備=ゴールデンエイジ
→Go1den Age(5~6)移行準備十HQLT(High Quality Logical Thinking)

■LEAD
→Hop
→6〜9
→多種多様な思考回路作成:具象思考(言葉を使いながら具体物&半具体物=絵図で考え抜く)

■WAIT
→Step
→9〜12
→応用
→思考の忍耐力<重要>:抽象思考をしながらも、具象思考で多彩な視点を増加させる。

仕上げとなる人間的な判断力を含む高度な理論思考を思考の忍耐力も備えた形で完結させる。

*この仕上げの時期を逃すと、判断力が伴わない残念な結果となる。

■ADV1SE
→Jump
→12〜15
→buid up yourself
→independent:自己確立期(オリジナルの判断基準を日常生活で検証し自分の言動基準とする)
→高校受験を使って問題解決方法を会得する

■WATCH
→15〜18
→For Social man
→Trying
→Challenging
→成人式:18歳の成人式(経済的自立)を推奨します。

*支度金制度の考え方と実践方法


*シュタイナーとどんぐりの相違点〜時代という環境を加味した人間教育〜

 普遍的部分(感味力)( basic humanbeing education)
+時代が求める部分
=その時代で生きる力を持った人間

 シュタイナー(お題目)
+高度な理論的抽象思考力
=21世紀の教育
=Total Balance Education
=どんぐり倶楽部
※HQLT:High Quality Logical Thinking

Basic + HQ = DONGURI-THEORY

●通っているシュタイナー関連の園・学校などとは関係なく、
 シュタイナー教育に危機感を抱いている保護者のために、
 特別な修正方法があります。
 カルテを添えてご相談下さい。
<donguriclub@mac.com>

補足PDFファイル

………………………………

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2014年06月13日
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*ポイントは<殺人>に直結する、ブレーキがかからない、感情部分である。
 最後の砦となる【違和感】が育っていないのである。

■2014-06-12「誰でもいいから殺して死刑になりたかった」
橋爪健次郎容疑者 透析患者のチューブ抜く
エリート医師に何が
殺人未遂容疑:49歳内科医

<中略>

「誰かを殺して死刑にしてもらおうと思った。誰でもよかった」と容疑を認めているという。
男性はチューブを抜かれたことにすぐ気づき、周囲の医療スタッフが応急処置をしたとみられ、容体に変化はないという。橋爪容疑者は男性の担当医だったが、2人の間に個人的なトラブルは確認されていない。

●本質的部分が育っていなかったので、環境が悪化すると、本質が出てくる。12才以降に作られた人工的な部分は、環境次第で、その働きを停止する。つまり、意識的にコントロールできる環境下でしか効果を発揮しないのだ。そこを、第二の本能となる12才以前の成長期に育てたものの場合は、環境にかかわらず、自分の一部なのだから不変なので対応できるのである。
-------------

【社説】秋葉原通り魔「誰でもいい」の不気味
「誰でもよかった」とは、これまでの連続殺傷事件と同じ言葉だ。

<前略>

 不遇から抜け出せない若者の、やり場のない怒りの矛先が無防備な歩行者や買い物客に向けられたのなら、凶行は繰り返されるおそれがある。格差や貧困の広がりを食い止め、若者が希望を持てる社会を築かなくてはならない。
中日新聞2008年6月10日

>掲示板に「人を殺します」などと書き込んでいた
●自己顕示欲ではなく、自己表示→「人間認定依頼」
●「誰でもよかった」のは、行為ではなく、
 結果として現れる<多くの人に自分を知ってもらえるという>状況が目的だから。
→存在を分かって欲しい。
→「<ストレスを抱えている>【君が】居るのを知ってるよ」が欲しい。
→自分を個人として扱って欲しい。
→自分を自分で自己認識できる力【自信】がない。
*注意:不遇とか言うが、そんなことではなく、問題は教育である。
 自分を育てる教育を受けていないことが原因である。

>格差や貧困の広がりを食い止め、若者が希望を持てる社会を築かなくてはならない。
●このまとめ的分析が的外れなことに気付くべきである。

 

 

2014年06月15日
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●下記のメールは、子供のSOSに気づいたので「どんぐり倶楽部」に辿り着いた方ですが、

 その経過が、「子供を見る目」の参考になると思いますので、<お裾分け>です。

 

<REON君の添削教室のメールより>

件名: Re: REON君の添削教室

日時: 2014年5月19日 12:53:18 JST

<前略>

 

娘は小さいころから慎重派で、公園に遊びに行っても他の子たちが遊んでいるのをじーーっと見ていて、

 帰る頃に自分も同じ遊びを始める、というような子でした。

→●賢い子の典型的特徴です

 

>ただそれが、K式を始めた最初の頃はそうでもなかったのですが、

 運筆とか迷路とか、そういうのばかりだったからかも知れませんが、

 年中に上がる頃から、何でもかんでもチャカチャカとするようになり、

 人の話の途中で動き始めたり、面倒くさいを連呼するようになったり、

 あまりの変貌ぶりが目につき、

→●何も考えない子の典型的な特徴です

→*面白いくらいにハッキリと分かる言動ですね。子供は、(体が)正直ですので、見る人が見ると細部まで状態がわかるのですが、それは、当然のことなんですね。体全身からSOSが出ているのですからね。ところが、子供を見れないと、SOSを出させるために、お金と時間を費やすことになるんですから、教育ってのは難しいですね。<未掲載>

 

>いろいろと調べた結果、どんぐりに行き着いた次第です。

 現在は(どんぐり継続3年後は)とても落ち着いてゆっくりした子に戻っています。

→●どんぐりは、正常化作用もありますからね。

<年少、年中半ばまで公文(親戚が教室経営のため)あまりにも子供がおかしいので辞める。

 どんぐりは、年長時に少し取り組んだが、全く歯が立たず。(解く以前の問題)

 1年間リセット。1年生で再度始める。現在、週2のペースで取り組む。

 

>ゆっくり過ぎて不安になることもあるのですが。普段は学校から帰り、ランドセル放置のまま公園に遊びに行きます。6時前に帰宅し、6時夕食、7時入浴、8時本の読み聞かせで就寝、時間割、宿題の提出(私が朝食時に取り組む)は翌朝、というパターンです。

→●理想的な(正常な)状態ですね。

------------------------------------------

*このメールのように、子供の状態を見れば、子供がどのような影響下にあるのかが分かる。

→どんぐり問題の作品を見れば、子供がどのような影響下にあるのかが分かる。

→子供の顔(写真)や言動を見れば、子供がどのような影響下にあるのかが分かる。

*どんぐり問題をしていると、実感として<子供を見る目>が育ちます。子供が変化するからです。

…つまり、親が変化するからです。自分が変化するから<実感として>分かるんです。

「どんぐり」やってると、それだけで<子育て>で最も大事なことを身につけられるんですね。

 何て安上がりなんでしょう。 …みなさん、始めない手はありませんよ。

------------------------------------------

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2014年06月16日
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★★無料体験学習2014★★

*大人だけ、子供だけでもOK!(先生だけでもOK!)

<日時>

2014年7月30日(水)

Aコース<1:00-2:00>

Bコース<2:00-3:00>

Cコース<3:00-4:00>

Dコース<4:00-5:00>

 

<下記持参>

クロッキー

*色鉛筆

*飲み物を忘れずに。

●問題はコチラで用意します。

 

<場所><2Fの研修室D>になります。

福岡市男女共同参画推進センター・アミカス

〒815-0083 福岡市南区高宮3丁目3-1

TEL:092-526-3755/FAX:092-526-3766

*要予約*

donguriclub@mac.com

件名:無料体験学習予約

内容:コース指定と参加人数

*一切の情報収集も勧誘もありません。

*フォローもありませんので、質問などは各自で用意して下さい。

 

「Donglish-2014」<English for Japanese with SunShine/NewCrown>

 

●2014.07/26(Sat.)-27(Sun.)福岡<能古島>教科書SUNSHINE-1.2.3

<詳細>→http://plaza.rakuten.co.jp/donguriclub/diary/201405270000/

  

●2014.08/09(Sat.)-10(Sun.)大阪<阿倍野>教科書NEWCROWN-1.2.3

<詳細>→http://yaplog.jp/pee-kaa-boo/archive/727

 

●中学3年間で学習する英語を、教科書を使って2日間でマスターする特別講義です。

*中学英語で学習する内容は、全ての英語学習の基礎になる大事な内容ばかりです。

 ところが、残念なことに学校での授業は暗記と和訳が中心になっていることが原因で、時間かけて努力をしても、それに見合った理解が進むものにはなっておりません。この講座では、中学で使う教科書を使うことで、予習・復習を兼ねながらも、学校の授業とは全く違う、合理的な<納得英文法>と速読速解を可能にし、和訳も英作文もどちらにも一瞬で変換できる、読解の核となる<語句順訳>をマスターするものです。

*英語の「え」の字も知らない人でも、英語がペラペラな人でも、英語を学び直したい人には誰にでも役立つ講義になるものと思います。

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*語句順訳とは*

語順訳という言葉はよく耳にしますが、コチラは、語順訳ではなく「語句順訳」です。単語の置換をしていく語順訳は、残念ながら破綻してしまいますので、使わないで下さい。前置詞を後ろの名詞と組にして、日本語の助詞を活用することで語句順訳の大部分は完成します。単に前から訳せれば、どんな方法でもいいというものではありません。語句順訳は、英語と日本語のプラットフォームとなっています。この語句順訳を正しくマスターすれば、どちら(英語にも日本語に)にも、簡単に乗り降りが可能となるということです。

英 文 :Ken eats two apples in the park every Sunday when he has nothing to do.

英 文 /:Ken/eats/two apples/in the park/every Sunday/when/he/has/nothing/to do.//

語句順訳:健は/食べる/2つのリンゴを/公園で/日曜日毎に/いつかというと/彼が/持っている時に/ゼロの物事を/すべき(物事を)//

和訳例1:健は、暇な時にはいつも日曜日に、公園でリンゴを2個食べるね。

和訳例2:健は、毎週日曜に、暇な時には公園でリンゴを2個食べます。

和訳例3:日曜日が、暇なら、健は、公園でリンゴを2個食べる。

*和訳は、英文ではなく、日本語である語句順訳だけを見ながら、意味を考えて、状況にあった日本語に自在に書き換えることができる。日本語の言い換えにすぎないからである。この練習は、日本人には殆ど必要ない。(小学生で実証済み)

 *英作文は、上記の<英文→語句順訳→和訳>を逆に<和訳→語句順訳→英文>とすればいいのです。

<和訳→語句順訳>は、語句順訳をするうちに、誰もが自然にできるようになります。

<語句順訳→英文>は、単語を移し替えるだけですので誰にでもできます。

 つまり、語句順訳でも英文読解をしていると英作文の練習は不要になってしまうのです。

 

移植

2014年06月19日
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*問い合わせがありましたので記録しておきます。

●どんぐり倶楽部のオリジナルの「良質の算数文章問題」=どんぐり問題
●どんぐり問題を参考にして作られた問題=どんぐり式問題
<どんぐり>という名前を付ける場合には、オリジナル以外では<式>を付加する。

【理由】
●どんぐり問題には、公表していない仕組みが多々隠れています。
 その秘密が内蔵されていない問題は、どんぐり問題では無いからです。
 ただ、視考力を使った思考力養成のための問題という意味で、
<どんぐり式問題>をつくることは可能ですし、
 その作成を制限するものではありません。
*現在の700題以外にあってはならない理由、
 順番を変えてはいけない理由、
 内容を変えてはいけない理由などもあるのです。
*同じ問題を使っていただきたいのには理由がある。
→海外でやっていて、日本に帰国した時に、どんぐり話だけで友達もでき、学力も保証される等ね。
●ですから、教材販売(利益が出すために)を希望する方も、
 作るのではなく「良質の算数文章問題」の販売申請をして下さい。
 申請してもらえば許可しますし、教材費の設定も制限はしません。
 制限は、内容と順番は同一である必要がありますし、許可制であるというだけです。
*特に、学校内で使用する機会がある場合には、オリジナルに限定して下さい。
 単に、学力を育てるためだけのものではないことを忘れないこと。
*蟻が一匹ではなく一人になっている理由とかもあるんです。
2014年06月20日 楽天プロフィール XML
■現状分析を急げ!(文責:どんぐり倶楽部)
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*健全な教育を行うににおいて、最優先されるべきは【現状分析】です。

どんぐり問題が、思考力養成に役立つだけではなく、
子供の現状を炙り出すことは、よく知られている事実である。
この機能を使わないテはありませんよ。→【頭の健康診断】

<ブログ引用>
http://ameblo.jp/mocopping/entry-11095156875.html
どんぐり文章問題が出来なくなった次女・・・小学校教育の現状(2011-12-01 23:46:00)
<前略>
一年生になった次女が、大変なことになってます。なんと、どんぐり問題が、

「できない!」
「わかんない!」
「やらない!」・・・

な、なんと、このセリフは現在も大変苦労をしている長女に、どんぐりを初めて見せてみた時のセリフそのまま~~oh!no!

年長にはあんなに楽しげにおえかきをしていた次女。

いったい何事が…と思ったら、案の定。これだよ。

keisanやってはいけない大量計算プリント

こ~~んなプリントを次から次へと、毎日毎日持ち帰ってきます。あちゃちゃ。

小学校へ通い始めて、どんぐり問題ができなくなった。
つまり、考える力がなくなってきた。

なんてことが、ほんとに起こるとは思ってなかったんだけど。

どんぐり問題を楽しく解いて、遊ぶ時間と自由な時間をたっぷり与えていれば大丈夫かと思ってたんだけど。
今の小学校、ほんとに手強い。
宿題も毎日チェックを入れては、これぐらいなら大丈夫かなあ、このへんまでならいいかなあ、
本人がやりたいんだからやらせておこうかなあ、なんてノンキに構えてた私。
まさかの大ダメージ。まじめで気が強くて、自信家の次女、完璧主義なだけに余計にいたい。

小学校教育で疑問に思うこと。まとめて挙げておきます。

1ー10の補数を覚えるのに、歌で教えたこと。
これは夏休みの宿題を見ていて気がついた。
10は7といくつに分かれるでしょう?という問題、
「次女、分かるよ学校で習ったもん、え~~と。いちと~~きゅうで~~じゅう、に~~と~~はちで~~・・・」
・・・じじょ、その歌はいつになったら7までたどり着くんだい?
どうして、自分の指をみないの?
両手広げて7作って?
折れてる指はなんぼん?

2ー繰り上がり、繰り下がりにさくらんぼ計算をつかうこと。
考え方としてはいいのだろうけれど、繰り下がりに関してはクラスの全員が減減法が理解できなかったもよう。
原因はさくらんぼ計算で最初から減加法を徹底させてしまったために、ほかの方法があることに考えつかない。
つまり、わざと脇道を作らないような授業を行なっているとしか思えないんだけど。
もうひとつ。さくらんぼ計算を大量にやったあとに、次女は「10-7」が出来ないとぐずった。
つまり、10がさくらんぼにできない、さくらんぼができないとどうやって引き算したらいいのかわからない
・・・まあ、一瞬だけでそれは自ら気がついたんだけど、大変危険な兆候だよねえ。
どうして、デンタくんというスグレモノを使わないんだろう。
デンタくんはそういう勘違いは絶対にない。
さらに、いろんな方法を思いつけるように出来ているので、思考回路が山のようにできる。
ちなみにデンタくんを使うように次女に言いかけたら、
「学校ではちがう!せんせいはこうしろって言った!」と、むげないお返事。
しょうがくせいって、そんなもんなんだよねセンセイはぜったいなのだ。
だからこそ、先生は正しい理解をしてくれないとこまる。

3ー文章題で、「足し算の言葉」「引き算の言葉」などというものを教えている。
これが、最もこまる。
「ぜんぶで」とか、「みんなで」ということばは足し算。
「ちがいは」とか、「のこりは」は、引き算。
そんなわけ、ないだろ・・・そのおかげで、次女はどんぐり問題が
「わからなく」なってしまった。
だって、どんぐりはそんな単純なお話ではナイ。
それなのに、学校で文章題を習ったあとに次女は学校のやり方を自信満々でどんぐりに適用し、そして玉砕。
以来、「わからない!」「できない!」「やらない!」になってしまった。
そんな変な教え方をしないで、ぜひとも絵をかかせてみましょうよ。
文章を絵に表せないってことは、文の意味を理解できてないってことなんだから。
どうして読んだままを絵にすることが出来ていた子供が、できなくなるように教育されてしまうのか?

小学校、大変危険です。

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⚫︎もうこれは、教育犯罪ですよ。責任を取ってもらわないとね。
「考えられる頭」に育てて送り出した小学校で「考えられない頭」にされて返されるんですよ。
全国で多発している現実ですからね。「頭の健康診断」だけでもして下さいね。

2014年06月23日
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*2012年6月23日放送NHKスペシャ

「産みたいのに産めない~卵子老化の衝撃~」

をご存知だろうか。動画


男性の精子が日々生み出されるのと違い、
女性の卵子は新しく作られないどころか、
数は減る一方で、質も落ちていく一方
だという
生物学的には当然の現象を全く知らない人(女性でさえも)が非常に多い。

また、体外受精で出産できるのは
35歳では16.8%ですが、
40歳だと08.1%となり、
45歳では00.5%となる。

【思考の臨界期】は、
<性成熟年齢>である12歳を臨界期(0-5-9-12が成長期)と見ています。
 生物学的に考えても、経験則からしても合理的です。

生物であるかぎり、それぞれの細胞には臨界期があることは当然のことです。
旬の時期を過ぎると、環境適応の一環として使わないものは使えなくなる、
つまり、機能しなくなるのが当然だからです。
エネルギーを効率的に使用するための、自己防衛本能です。

別に、焦らせているわけでもなんでも無く、臨界期はあるのが自然だし当然なんです。

思考の原形回路と、その回路の使い方の工夫である操作を、混同して、思考力
とひとまとめにしているようでは話になりませんが、
12歳の思考力と大人の思考力に格差はないのです。
というより、12歳までに仕上げておかなければ、
現実に対処するための思考としては使えないのです。

つまり、
子育てと教育は、
それぞれの発達部位のタイムリミットを認識して動くべきなのです。

教育の優先順位】を知っておきましょう。...知っていて損はありません。
*大まかな順番は

→<心:感情養成 0-1-3-5>

→<頭:思考力養成5-9-12>

→<体:体力養成 12-15-18>

■思考の臨界期【販売中!】:どんぐり理論の原本...DLファイル/印刷物…3000円/3500円

学習障害の嘘:グレーゾーンの真実
 99%は何の問題もないのに、学習障害と思わされている!とんでもない話である。

*単なる、指導力不足である。
<参考:http://plaza.rakuten.co.jp/donguriclub/diary/201309300000/
子供達に学力的な能力差はない。(文責:どんぐり倶楽部)

*学習のテンポや環境設定を無視しているために起こっている現象にすぎない。
 しかし、ここで、表面的な「できる」を追うだけで、肝心の思考力養成をしないまま、臨界期を過ぎてしまう人が多い。
 学力(思考力)養成は家庭でするのです。そうすれば、学校の環境に左右されずに、いつでもどこでも学力養成ができます。

 

移植

2014年06月24日
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*全世界に向けて、どんぐり倶楽部に関して書いてあるものですから、どんぐり倶楽部を作った本人がお答えするのに問題はないと思います。
<例>「計算のテストでは、否応なく速さを求められます」
●そのテストの構成自体(特に問題数)が異常なことに気づいていない。問題数が多くなると、全く異なるマイナスの対応力を求められるのですから、要注意なのです。異常なテストで満点を狙うように仕向けるのはマイナス学習の代表です。
そこで【開成中学入試問題を完答するために必要な計算式】を全て集めて検証した記事も書きましたが、当然ながら、結論は同じで「速度は全く不要」+「必要な速度は、受験直前の2週間で養成可能」です。これくらいのことは誰でも自分で検証できますので、各自でされてみると納得できると思います。
●子供を壊さない「健全な中学受験」の方法
http://plaza.rakuten.co.jp/donguri117/
------------------------------------------------
やまと学院:やまと通信より
http://www.yamato-gakuin.com
~衝撃~10月号
Vol.101
http://www.yamato-gakuin.com/yamatsu/2007/YamaTsu_Vol_101_10.htm
>この糸山さんの主張では、「12歳以前、とくに9歳以前に、徹底反復とスピードを重視した、『読み・書き・計算』の高速多量学習をさせること」は子どもたちを「考えられないように教育」しているのだそうです。
●考えられる子もいるというための布石となっていますが、ここで既に「考える」の意味が異なっています。
「考える=テストで点数が取れる」という前提に立っているからです。テストの点数なら、パターン学習というコピー回路だけを使うことでも点数をtれますので学力の有無は判定できません。ここでいう、「考えられないように教育」されているとは、オリジナルの思考回路での自力での考える力は育てられないように教育されている」ということです。<考える>とはどういうことかという大前提を、正確に定義していない混乱する典型的な流れです。

●反射回路強化は、繊細で複雑なオリジナルの思考回路養成の邪魔をするのです。

>糸山さんの一貫しての主張は、「視考力(しこうりょく)」が重要なのだと言うことです。それは、文章などを読んだときに、しっかりとその情景がイメージできる力です。私もそういった力の重要性は感じていましたが、はっきりと言語化していただいたおかげで、今までの心の中のもやもやが晴れた気がします。
●ここでも、注釈が必要です。「重要」なのではなく、視考力が思考力そのものなのです。ただし、思考にも【浅思考:センシコウ】と【深思考:シンシコウ】があり、【深思考】には<感味力>が必要不可欠なのです

>実際、この本を読んで1週間ほどですが、その間、意識的に、生徒さんたちに問題を頭の中でイメージさせるようにしたり、実際に計算用紙に絵図にしてもらっていますが、手応えあります。
●ここも本題からズレています。ただ、解けるようにするのであれば、既存の線分図などでもいいのですが、どんぐり倶楽部では、それぞれの文章の名簡易出てくる<絵図をそのまま描く>ように指導します。それは、感情再現が大事だからです。論理的思考を育てている時にも常に感情再現を怠らないようにすることが、感情を殺さずに理論的思考を育てる際の要になるからです。ここに、気付かずに、効率を求めて絵図を簡略化させることは<絶対に>指導してはいけないことなのです。ここに思いが至らないと、効率を目指すほうが優れているという、致命的な勘違いを必ずおこします。

>確かにやまと学院.は今まである程度皆さんに満足していただける結果が出せてきましたが、この糸山先生の提言と教材をさらに研究し、そこにDSを組み込めれば、今まで以上の結果が出せるであろうと感じております。
●はい、予想通りの危険な流れになっています。DSを組み込むという発想は、教育とは何であるかを理解している場合には絶対に出てきてはならない発想なのです。

~方程式~11月号
Vol.102
http://www.yamato-gakuin.com/yamatsu/2007/YamaTsu_Vol_102_11.htm
糸山先生が唱える「絶対学力」、すなわち「視考力」、すなわち文字などの情報をイメージ(絵図)化し、整理し、理解する能力は、非常に重要です。
●「絶対学力=視考力=文字などの情報をイメージ(絵図)化し、整理し、理解する能力」ではありません。絶対学力=感味力+視考力です。感味力の養成・保持なくして絶対学力はあり得ません。

>糸山先生に言わせますと、公文式やそろばんのように単純な計算を繰り返すことは、百害あって一利なしだそうですが、公文式もそろばんもしっかりと続けた生徒さんはかなり良い進学をしていると聞きます。
●進学とはテストで高得点を取るとうことです。高得点はパターン学習で取れますから、ここで、引き合いに出すこと自体がズレています。

>まず第一に考えられるのは、こういった教育の中でも「視考力」を高められる生徒さんは、もともとそういった能力が高かったということ。また、ご家庭や友だちとの関係の中で自然に(偶然に)高められたと想像できます。
●全く違います。視考力を使わなくても、パターン学習の反復で高得点は取れるようになります。もちろん、絵図を多用してパターン学習をしている場合には、多少の視考力を持つようになる子供も出て来ますが、それだけのことであって、それは、絶対学力とは異なります。
●思考回路の質が違うのです。豊かな感情を殺すこと無く育てられた論理的思考回路網が重要なのです。そこには、考える事自体を快感とする生きる力が視考力と見事に結びついた力の育成が可能となっているのです。


>第二に、糸山先生も著書の中で認めていらっしゃいますが、結局のところ入試問題はパターン化されていますので、公文式やそろばんなどで集中力や根気、そして家庭学習の習慣をしっかり付けた生徒さんは、それなりの偏差値の学校へ進学できるということなのです。
●学力の質が全く違うのです。たとえば、16+8=24をデンタくんで、視考イメージの操作でできるのと、暗記した結果で出すのとでは、表面上は[24]ですが、全く異なる能力であり、全く違う次元の質なのです。そして、どちらが、人生を楽しめる力であるかは明らかなのです。この違いが重要なのです。どんな力でもいいから、点数が取れるように育てるのであれば、パターン学習で良かったのです。どんぐり倶楽部は、暗記型のパターン学習では、人生を楽しめないという結論から出発しているのですから、そんな貧相な力を育てる手伝いはできないのです。

>ただ、そういった能力よりも、まじめさや人を思いやる気持ちの方が重要ですし、社会人になってもそういった能力の方が求められます。しかし、ここは学習塾ですので、思いやりなどは皆さんにお任せして、ここでは何とか「視考力」を鍛えてあげ、よいテスト結果を出してあげたいものです。
●ここも、同様に<絶対学力>の話にはなっていません。片手落ちの「視考力」では、単なる視覚イメージ操作による理論的視考力養成に過ぎません。そんなものは、効率を求めれば誰でも行き着くところです。とは言え、最先端のごく一部の指導者しか知らないことですが、それでも、どんぐり理論では、出発点のマイナーな構成要素の一つにしか過ぎません。
●<理論強化の時間>が<感情破壊の時間>になっていては絶対にいけないということです。
これが、どんぐり倶楽部の存在理由です。
私が、一から、全てを創りあげなければならなかった理由です。
これまで、こういうコンセプトで考えられた教育論・教材はなかったからです【絶対学力=感味力+視考力】感味力と視考力は車の両輪です。

 

2014年06月24日
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■過去記事<書かせない板書>より

●子供達に教室で授業中に板書を写させる時間は無駄な時間です。
<書きながら覚える>ってのは、勘違いです。
 百歩譲っても、効率が悪すぎる悪習です。

●大事なことは、板書そのものを頭の中で再現する練習なんです。
 私は、塾講時代には<板書と同じコピーを最後に配る>ようにしていました。
「手なんか動かすな、全身全部耳にして聞いてろ!」が講義開始の掛け声でしたからね。
 宿題は、板書のコピーを、ノートに書き写しながら再現できるように仕上げること。
*コピーを回収すれば何度でも何年でも使えます。
 使い捨てでいいのであれば、ノートに貼って、思い出す練習だけすればいいんです。
*こうすることで、テストを受けている時に頭の中では、その単元の講義が高速で再現されます。
→テスト中に頭の中に参考書を再現する方法。
※ポイントは、必ず、常に「この単元ではこの板書」を思い出す。と1対1対応にしていることです。追加があれば、宿題で作った板書ノートに追加→頭の中の板書ノートにも追加再現練習。

<板書について>
http://reonreon.com/high.html 
http://reonreon.com/eng.11-4-1.pdf
http://reonreon.com/eng.11-4-2.pdf
http://reonreon.com/zukei-001.pdf
http://reonreon.com/zukei-002.pdf 
http://reonreon.com/tentai.html

●非常に大事な板書の<配置>を決める前の段階のものですので、
 一手間かけた下ごしらえを加えてある材料と考えて下さい。
 教室では黒板の大きさや生徒の配列や自分の立ち位置等も考慮します。

 

2014年06月24日
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*全世界に向けて、どんぐり倶楽部に関して書いてあるものですから、どんぐり倶楽部を作った本人がお答えするのに問題はないと思います。

<例>「計算のテストでは、否応なく速さを求められます」
●そのテストの構成自体(特に問題数)が異常なことに気づいていない。問題数が多くなると、全く異なるマイナスの対応力を求められるのですから、要注意なのです。異常なテストで満点を狙うように仕向けるのはマイナス学習の代表です。
そこで【開成中学入試問題を完答するために必要な計算式】を全て集めて検証した記事も書きましたが、当然ながら、結論は同じで「速度は全く不要」+「必要な速度は、受験直前の2週間で養成可能」です。これくらいのことは誰でも自分で検証できますので、各自でされてみると納得できると思います。
●子供を壊さない「健全な中学受験」の方法
http://plaza.rakuten.co.jp/donguri117/

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【ブログ】末は博士かドーナツ屋??より
http://nanohaha.seesaa.ne
§どんぐり倶楽部の計算
http://nanohaha.seesaa.net/article/377722876.html
>結局、公文だろうが、そろばんだろうが、筆算だろうが、自分だけの”計算機”を手に入れるというのが必要だということなんだと思います。どんぐり倶楽部は、その計算機の手の入れ方を問題視しているわけです。でも、”筆算の構造が理解できればスピードも不要”というのも、4年生まで意識してきてどうだろう・・と思います。
●...?...できれば何を使ってもいいわけではないのですよ。
<デンタくん>という視覚イメージ操作は思考力養成の具体的なした準備になるからです。
既存の方法(暗記ベース:操作のない再現だけ)では思考力養成の邪魔になる時間になってしまうので、練習時間に反比例して考える時間が経るのです。「やればやるだけ考えられなくなる」とは、チャンスがなくなるということです。
つまり、工夫次第で視考力養成を阻害する時間を思考力養成の基本づくり時間に改善できるから勧めているのです。
ですから、その時期を過ぎている場合、つまり、既に暗算できる場合には「デンタクんは不要です」と言っています。


>どんぐり倶楽部の場合、筆算が良いが、スピードが必要な場合は”デンタ君”というスタンスです。デンタ君の存在自体が、反対派の方からすると、やり方が違っても(そして、頭の中での暗算になりますので、どれだけ出来ているか判らない)計算は速いほうが良いじゃない・・と言われてしまう存在になります。つまり、デンタ君を推奨することは、糸山先生からすると公文とは全然違う!であっても、他者へ批判の糸口を与えることになる、諸刃の刃となってしまうのではないかと想像しています。
●...?...全く次元が違います。計算練習は、計算だけ出来るようにする時間ではないからです。幼児・児童期の時間は、あらゆる時間が人間形成の時間ですので、無機質な学習と思われる場合でも工夫をして感情を殺さない時間にする必要があるのです。そのための工夫も兼ねているから、「良質の算数文章問題」だけでなく、計算方法や漢字の暗記方法も【発明】する必要があったのです。公開していますので、普通にマスターしていますが、どんぐり式は、全てがオリジナルの【発明】で埋め尽くされているんです。

§なんというのか・・
http://nanohaha.seesaa.net/article/244634505.html
>どんぐり倶楽部を継続していますが、相変わらず疑問点というかなんというかがぬぐえません。今は2年生をやっているのですが、2点問題があります。
1つめ:数字の間違えが多い。
1回でという条件で読み上げ方式にすると、数字の間違えが格段に増えます。集中していないからというのは簡単なのですが、ではどうすれば?です。著書などを見る限りでは、梯子をはずした状態で見守りなさいというスタンスのように感じます。
●...?...一行ずつ正確な絵を描く→最後に解答です。適当に工夫もなくやっては出来ません。学習相談の記録を読めば全て解決されます。

>ちなみにAは小学校受験をしていますので、”お話の記憶”などの練習はしております。
●お話の記憶などとは、精密さが全く違うので役に立たないのです。国語の文章問題ではなく、算数の文章問題であるのには【理由】があるのです。ここでも、証明されていますが、国語の文章問題を暗記したり理解したり出来ても算数は出来ないのです。ところが、どんぐりレベルの算数の文章問題ができると、国語の文章問題は余裕でできます。もちろん、理由があります。

>当時は自分で”小声or無音で復唱”というすべを身に着けましたが、今回はそこまで考えが至らないようです。”お話の記憶”の時は短文であっても毎日しておりましたので、自分で工夫するという時期がやってきました。しかし糸山先生が提唱する週二回~三回のペースでは、本人の乗り気もあるかと思いますが(ここが重要だと思ってはいます)結構な期間そのままです。と、ここまで書いて、部屋にやってきた娘に小学校受験用の”お話の記憶”を試した所それなりの文章でも大丈夫でした。良く聞いてみると、読み上げではバッタと言われれば覚えられるが、バッタの名前になると覚えにくい。また3桁のすうじになると覚えずらいようです。
●これだけ材料が出揃っているのに、根本的な緻密さの違いには気付かないのは勿体無いですね。これらのことは、数十年前に検証済みです。お話の記憶の練習をいくらやっても無駄です。

>2つめ:2年生になると”倍”という言葉の出る問題がかなり出てきます。この倍の概念がわかりにくいようです。説明してもイメージできない。判らない言葉があれば説明となっていますが、そもそも倍を理解させるというのが算数の一つのステップだと思いますが、その梯子を外されているように感じます。
これはどうなんでしょうね・・
●正確な絵図を書いていれば、例外なく分かります。ルールを守って<どんぐり問題>をしている方は例外なく完全に理解して進化しています。

2014年06月24日
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*全世界に向けて、どんぐり倶楽部に関して書いてあるものですから、どんぐり倶楽部を作った本人がお答えするのに問題はないと思います。
<例>「計算のテストでは、否応なく速さを求められます」
●そのテストの構成自体(特に問題数)が異常なことに気づいていない。問題数が多くなると、全く異なるマイナスの対応力を求められるのですから、要注意なのです。異常なテストで満点を狙うように仕向けるのはマイナス学習の代表です。
そこで【開成中学入試問題を完答するために必要な計算式】を全て集めて検証した記事も書きましたが、当然ながら、結論は同じで「速度は全く不要」+「必要な速度は、受験直前の2週間で養成可能」です。これくらいのことは誰でも自分で検証できますので、各自でされてみると納得できると思います。
●子供を壊さない「健全な中学受験」の方法
http://plaza.rakuten.co.jp/donguri117/
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■十日日記
http://www.10days.org/diary/
■思い込みの激しい本
http://www.10days.org/diary/20060129.html
>糸山泰造『新・絶対学力』(文春ネスコ、2004年)がある。先に言っておくと、同書はよい本だ。著者は文章を図解してイメージで考えることを「視考力」と名づけ、算数の文章題を図に表現する訓練をさせるための魅力的な問題を用意している。四谷大塚準拠塾で小4に算数を教えていた大学1年のころ、とにかく線分図が描けるようにさえすればよいと指導されたものだ。
●この時点で、指導方法のお粗末さが分かる。塾講師には自由度がないので仕方がないことであるが、これは、絵図とは言えども単なるパターン学習である。どんぐり倶楽部では線分図は描いてはいけない最低の絵図という位置づけです。

>気になるのは、著者が思考と計算とを簡単に二分してしまっている点だ。
●簡単に...ではなく「分かりやすくするために」である。

>著者は筆算ができればそれでいいという。
●言っていませんし、その過程で行う<方法>が重要なのです。

>これは遠山啓の水道方式以来の方針で、基本的には間違っていないと思う。しかし実際には、計算問題であっても思考停止に陥ると非効率的になる。このことを明確に意識したのは微分幾何を習っているときで、式や図形の性質から想像できそうな結論に向かって式をデッチアゲるような感覚だった。積分の膨大な計算を機械的に書いていくと、かえって誤る。
●計算の構造的な要素が求める傾向としてはあるが、小中学校ではあり得ないので、ここで、積分を出すのはお門違いである。
さらに言えば、積分の計算記号は、計算そのものではなく計算に使うパラメーターの指示記号である。→完全にズレてます。

>算数のレベルでいうと、たとえば21.4×4.9の計算で、まずは20×5で約100になるという数的感覚がほしい。この感覚があれば、小数点を打ち間違えて104.86が10.486になっても変だと気づく。割合の文章題でも、12×0.35と式が立ったのち機械的に筆算するのではなく、半分よりも少ないという感覚を身につけるべきだと思う。それには著者推奨の図解も役に立つことだろう。図にしてみれば、半分よりも少ないことが一目瞭然だ。小学校の算数はときどきしか見ないが、最近の小学生は筆算マシーンになっているのではないかと私は危惧している。2300×90のような計算は23×9のあとに0を3つ加えたものだが、いまの小学校では馬鹿正直に筆算で計算するようだ。あるいはまた194×105のような計算で、
    194
×  105
-----
    970
  000
194
-----
20370
のように途中で0を3つ重ねる小学生がいて驚いた。
●ここでも、どんぐりの計算をご存じない。小数計算などは<しない>のですから。
→「これだけ算数・計算編」
●途中で0を3つ重ねる:いいですよ。自分が納得できる方法でいいんですからね。

>著者のホームグラウンドは算数のようで、この科目については基本的には賛同できる内容だ。
●これも違います。HGは英語ですし、算数の文章問題を採用したのは、もっと深い意味があるからです。

>ところが国語や英語など言語系の科目になると、疑問点や矛盾に思える箇所が増える。たとえば著者は、「表現力の養成は早くても高校から」(p.76)とし、小学校で表現力を磨く不要だという。しかし、著者が推奨する文章題の図解は表現以外の何ものでもない。
●表現の意味も理解の具体的な内容も、思考の具体的な動きもご存じない人の意見です。

>なにしろ自身で「問題解決学習とは、言ってみれば『文章を絵図で表現する練習』」(p.44)と述べているくらいだ。
●この表現と自己表現とは全く違う【表現】ですよ。「絵図で表現する」とは、文章の絵図化による理解方法としての表現形式の変更にすぎません。自己表現とは何の関係もありません。言葉が同じだからといって、内容が同じであると考えるのは、余りにも幼稚です。

>私自身は国語においても図解を積極的に取り入れたほうがいいと考えているし、逆に図から文章を組み立てるような——つまり文章構造を意識した作文訓練も行なうべきだと思う。実際に表現してみてこそ、筆者の表現の工夫を感じとることができる。
●これは、絵コンテ読解そのものです。しかしながら、理解する場合には役にはたっても、自己が出来ていない自分を表現することは不可能ですので、自己表現練習は不要なのです。

>英語も同様だ。著者は英文和訳を否定し「語順訳」を提唱している。これ自体は平凡なものだ。驚くべきはここからで、英語の勉強では英語で考えることが重要なのではないという。「英語を理解できる日本語脳」を鍛えるべきであり、そうすると「何語でも日本語を介して使いこなせるようになる」(p.131)のだそうだ。不思議ではないか。視考力が最速かつ最も基礎的なものなら、日本語など介せず英語もイメージでとらえれば済む話だ。著者自身が次のように述べている——「頭のいい人がどんな言語で考えても頭がいいのは、語学力があるからではなく、イメージ力があるから」、「イメージで理解しているのに、文字や言葉そのもので理解していると勘違い」(p.42)。日本語はイメージで理解せよと言っておきながら、英語は日本語を介せという。この発想が私にはわからない。
●そんなのは、単なる時間の問題である。そんなことをしている余裕はないし、必須ではないので不要と言っているのですよ。
*よくある議論の中で、実際に子供達が学習に費やす時間を無視した議論を多く見かけるがナンセンスである。
*<どんぐり倶楽部>は持っていますが、語句順訳を、正確に解説してある本はありません。研究機関が研究していますが、どんぐりでは完成しています。