移植
■2015.01/27:今回も「誰でもよかった殺人」...何度も書きますが、(片手落ちのまま修正をできないでいる現行)教育の結果なんですよ。
>容疑者(19歳女子名大生逮捕) :子供の頃から、人を殺してみたいと思っていた。殺すのは誰でもよかった。
●そう育てられていたということです。
生まれつきなどということはあり得ません。
保護者が、そう育ててしまったということです。
気づきましょう。いい加減に気づいて下さい。
何十年同じことを言えば気づいてもらえるのでしょうか。
こんな子を育ててしまったのは、学校教育+家庭教育です。
【副作用】を考えずに教育をしてしまった。
あるいは放置した結果です。
幼児・児童期の教育では副作用を検討せずに採用していい方法など絶対にないのです。
医学会では、そのことに早くから気づいたので、小児科という特別に副作用を考えて対処する部署が専科として育ちました。
ところが、一番先にすべきであった教育会は全く逆に向かいました。
「副作用を隠して、何かが<できる>だけをアピールして、副作用を見せないようにして、危険学習を増長する。
酷いですね。しかも、公立の学校まで加担している。
学校でも、校外学習でも、家庭学習でも、全く同じ方法で学習している。
感情を殺す方法を選んで学習している。
これでは、どんなに、子供に再生能力、修復の能力があっても、
実際に再生・修復する時間さえ与えてもらえないのですから自力では無理なんです。
子供に力があっても、回りが、追い込んで破綻させている。
破綻した姿を目の当たりにしても、成績しか見えないものだから、立派に育ったなんて喜んでる。
*いい加減にしてくれ。もう、限度をとっくに超えているよ。
*中学受験は牽引役になっているだけで、手順を踏めば、副作用を回避して受験も可能ですが、親がかなりベンキョウしないと無理です。
また、学校や校外学習や家庭で行われている学習でさえも、単なるパターン学習になってしまていますので、
根本的な学習方法そのものを見直し、新しい学習理論(健全な教育:The Healthy Education in the 21th Century)を基準にして見なおす必要があるのです。
現代の酷い生活環境・教育環境の中では、感化用悪化への対応も考えに含めてある教育理論でなければ通用しないのです。
旧態然とした既存の学習理論では正常な教育は無理なのです。
<関連記事:誰でもよかった殺人>