移植
*前回の投稿の題材が、余りにもお粗末な内容で、どうも落ち着かないものですから、
目の覚めるような実話を紹介します。どんぐりで、どこまで進化できるかが見えます。
http://quadri-s.co.uk/index.php?QBlog-20121014-2
QMC /quadri-s maths club
【驚くべき視点】:2012.10.14
私の子供が驚くべき視点を話してくれた。とても貴重なので記録。
これまで12歳を目処に思考回路の作成を最優先させて私たちは日々楽しく過ごしてきた。子供は、12歳くらいまでは余計なことをせずゆっくりと本当の思考力を養う必要があるという程度に理論を理解している。
自分の考えはパパの言っていることと少し違う。でも自分の言うことの方がパパの理論よりも make sense だと確信していると言うのである。以下ポイントを整理。
どんなことよりも大切なことは「楽しい」と感じること、「楽しい」とは何かが分かること。その楽しいと感じる気持ちと考えることが楽しいと感じることがリンクすること。このことが最重要。
この「楽しい」という感情そのものを感じられるようになって、その感情が考えることとリンクできるのは12歳ではなくもっともっと早い時期でそれができる期間ももっともっと短い。たぶんY2くらいまで。でも記憶が残り始めるような年からでないと意味がない。つまり6歳くらいから7歳前後くらいの1年間から2年間くらいのような気がする。
パパとお風呂に入りながら算数を考えたりするのが何よりの楽しみだった。毎日その時間が来るのが楽しくてしかたなくて、6-7歳ころの自分の記憶はそればかりが残っていてそのことがすべてだった。
注:この頃1から10までを足し合わせる良い方法はないかひたすらお風呂の時間に考え続けた日々があった。1年近くは続いたと思う。お風呂専用のクレヨンを買って、お風呂の壁やいらない紙を貼ってとにかく良いアイディアがないか書いたり考えたりを途方もなく繰り返していた。
このときに楽しいとは何かを感じることができた。この時期にしかその感情を理解することはできないような気がする。だから、ゲートは12歳までに思考回路を作るというひとつだけではなく、楽しいことがわかることのできるゲートがもうひとつある。それは7歳くらいに閉じられてしまう。
もしもそのゲートをくぐれなかったらその後にいくらお絵かき算数をやっても今みたいに楽しめないような気がする。
自分はキャラクターとか書くのが楽しくて仕方がない。たとえ過去書いたことのあるキャラクターと同じものが問題にでてきても、今度はどんなキャラクターにしようか考えることが楽しくてしかたない。でももし第1のゲートをくぐっていなかったなら今みたいに思うことができないと強く感じる。あーあ、また同じキャラクターか、みたいに感じていると思う。
そしてもし第1のゲートをくぐることができたのならその後、たとえマイナスの学習を強制されたり、せざるを得なくていやな時期を長く過ごしたとしてもまたあの時の楽しい感覚を瞬時に蘇らせることができてダメージをほとんど受けなくて済むと確信している。
もしも第1ゲートをくぐれていなかったなら、マイナス学習を強烈にやった場合、もうもとには戻れないと強く思う。
だからゲートは1つではなく2つある、と確信している。多分、第1ゲートの方が第2ゲートよりも遥かに重要で、12歳頃の思考力の強さは第1ゲートをくぐったかどうかで実はすでに決まっているような気がしてならない。パパは第2ゲートをうまくくぐれたかどうかでセカンダリー以降の伸びが決まってくると教えてくれているが自分は違うと思う。第1ゲートをくぐれたかどうかにかかっていると思う。
そして学校でクラスのみんなを見ていると第1ゲートをくぐれている人は少ないと思う。特にトップクラスの子たちはたぶん楽しいとは何かを分からないのではないかと思っている。
パパはテレビやゲームはダメだと言っているが、第1ゲートをくぐっていれば、考えることの方がそんなことより遥かに楽しいと分かっているからそんなにテレビを見たりゲームをしたくなったりしない。だからテレビを見たり、ゲームをしたりしてみれば第1ゲートをくぐれたかどうか分かる。
プライマリースクールは、学校の授業などY2くらいまでは本当に緩くて負担がほとんどない。だからその時期が「楽しい」ことを理解するのに最適に思える。自分がそれを感じた時期がY2くらいで一致する。
そして考える問題は難しければ難しいほど良いと思う。簡単にはあきらめずにねばることがどういうことなのか得ることができたと思うから。
とにかく一番最初は何をやるから、何をやったから、ということより「パパといっしょ」だったから楽しい、「いっしょにいるのが楽しい」というのがすべてだった。だから第1ゲートをくぐらせてくれてパパには本当に感謝している。
これは私が言っているのではなく私の子供が言っていることである。いつも信じられないオリジナルの工夫を見せてくれて驚かせてくれているが、今回私に語ってくれた考えのあまりの鋭さに正直言って反応できなかった。
私よりも遥かに理論を理解している。
これはどんぐり理論で出てくる「喜怒哀楽」の話である。当然、私の子供はそのことは知らない。だが自分の感覚で実感して分かっているのである。
喜怒哀楽の「哀楽」の感情を得るのは難しい。「楽」の楽しいという感情を得ることが簡単ではないことを子供は自分の感覚で分かっているのである。
本当に鋭い感性である。
<引用終わり>
どんぐり理論で展開される理論を実感で味わっている様子が見て取れますね。
前回の記事の大人と今回の記事の子供は、何度生まれ変わろうと、住む世界が全く違います。
超レアで貴重な<一目瞭然動画>が撮影出来ましたので、公開します。
下記受講ページよりパスワードを使って入室後、視聴して下さい。
今回の動画は全て2014.07/04(金)に撮影したものです。
*1日でこんなに貴重な動画が連続して撮影できる日が来るとは思いませんでした。
何十年かけても撮れるかどうかわからないほど貴重な動画です。
<DONGURI-PILOT-α01>
*ゲームが原因の「考えられない頭」を育てている真っ最中の動画<低学年男子>
*答えが出さえすれば分かっても分からなくても関係ない。
分かる分からないなんて全く気にしない。
目の前のことをしのげれば、どんなでもいい。
「適当な技で、目の前のゲーム場面をクリアするだけの事の連続」
が育てる強力な【考えない習慣】の結果です。
*言葉でも分かる→「答え、何かいなねぇ〜」
→自力で解く意志は全くない。なんでもいいから適当に数字合わせをして、何回もやって数字を変えてれば当たるんじゃない?
→クリア出来んじゃない?それでイイんじゃない?
→見事なまでの計算だけの数字遊び。←目の前で先生から「絵を描いてね」と何回もアドバイスされても...。
→それだけ強力なマイナス学習(計算、漢字、暗記、反復の宿題+ゲーム[カード&DS]です)をしているということです。
<DONGURI-PILOT-α02>
*最も重要な学力「思考の忍耐力」を育てている真っ最中の動画<高学年女子>
*考える材料がなければ材料から作り出す。材料があるから考えられる。
全く新しい概念でも。説明するだけでその場で使えるようになる。←これは、どんぐりっ子の特徴ですね。
<DONGURI-PILOT-α03>
*一言も言わないのに、下級生のために一行音読指導を自分で考えて指導しながら自分の問題も自力で解く女の子。
さらには、とにかく絵を描くことを丁寧に何度も何度も当然のように指導してくれる。
※本当に、指導のお手本を見ているようなことを、
その子は一言も頼まれもしていないのに、
指導方法も言わないのに、
自然に毎回、サラッとやってのける。脱帽である。
●毎回電話で
「どうしたらいいでしょうか」
「〜〜していいでしょうか」
と聞いてくる保護者を考えると、月とすっぽんである。
完璧に自分の判断基準が見事に育っている上に、見事な工夫を自然にやってのける。
12歳と42歳と考えても30年の差があるのに、完全に逆転現象が起きている。
...年齢なんて関係ないのだよ。
<DONGURI-PILOT-α04>
*学校では優秀な子の前に立ちはだかる大きな壁のことを生徒と先生と保護者で
話している貴重なアドバイス真っ最中の動画<高学年男子>
*数字は描く、絵も描く、言葉では考える、頭の中でも考える。
しかし、<絵図で考える準備>が出来ていない。
これが、進化できない原因である。明確である。
一番大事なことをしていなければ、この壁を乗り越える進化はない。
絵図で解いていると、その子の状況がリアルタイムで隅々まで分かる。
しかし、親子で覚悟ができないと進化はないし、強制的にさせることはしない。
*例えば、絵を描くことが苦手な子供の親御さんがいらっしゃいます...
>絵を描くことが好きではありません。
●好きだからする、嫌いだからしないというものではありません。人間になるためには必要なことだからするということですよ。【趣味】講座ではありませんので、勘違いをしないでくださいね。
>何もないところから自由に絵を描く、というのはかなり苦手です。
●ここが修正すべき部分です。思考材料を自力で作るのが苦手ということです。
>元々絵を描くことが得意でなく、どちらかというと苦痛な方なので、絵というよりは図になっていることも多々あります。(以前から、幼稚園・保育園で絵を描くことに対して苦手意識があり、自ら進んで絵を描くことは年に数回程度でした。)
●だから、どうするか工夫するのですよ。苦手だからそのまま、
では<考える材料を作るのが苦手だと分かっているのに放置する>ということですからね。
「走るのが苦手」でもいいんです。
「料理が苦手」でもいいんです。
思考回路養成とは、直接には関係ありませんからね。
ところが、「文章の絵図化」は「思考材料を自力で作ること」なんです。
これは、人間になるためには、絶対に必要な力なんです。
だ・か・ら、誰もが例外なく練習しなければならないのです。