どんぐり倶楽部の糸山先生の雑記帳

絶対学力を育てる[どんぐり倶楽部]の糸山先生が書いている日々の雑感

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2014年06月11日
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「シュタイナー理論」と「どんぐり理論」の相違点-1

どんぐり倶楽部の糸山です。

>この園(シュタイナー教育の園)の保護者の方に話しを聞く限り(もちろん全体としては少ないですが)一年生の単元からつまずいている、文章問題・応用になると さっぱり、という声ばかり聞こえてきます。やっぱりこれが感情教育偏重の現状なのか・・・と感じています。

●根本的に対応していないと言うことです。
「していない」とは、「対応しないことがシュタイナー」だと言うことです。
悪い意味ではありませんが、対応しないのです。
対応する意図も意志もなければ、元々、学力を育てると言う視点そのものがないのです。
それは、シュタイナーの学力の定義が浅薄で表面的なものだったがゆえに、人間形成には不要で有害なものであると判断されていたからです。

人間形成をするためのものがシュタイナーにとっては教育だったのですから、そういう意味では正しい判断なのですが、じつは、彼が考えた学力そのものが、捉え直すことによって、人間形成の最も重要な核になるものであったのですが、彼はそれをしませんでした。

この、学力そのものの捉え直しをするという考えは、どんぐり倶楽部が初めて、定義したものですから、どんぐり以前には、誰も思いもしなかったことなのです。

つまり、シュタイナー教育は、学力不要時代の人間形成には十分に作用していたが、現代と言う学力も基本要素とする人間形成を求められる時代では、そのまま使ってはいけない教育だと言うことです。

これらのこと(時代と人間形成)を図式化したものが下記である。
<作成中>
jidai

学力養成(高度な理論的抽象思考力養成)については、シュタイナー教育では、理論も方法も持っていませんのでできませんし、持っていたとしても、理論構成上オプション設定にならざるを得ません。

本国での13年目のオプションがこれに相当します。
そして、このオプションを見ればわかりますが、そこには、なんの工夫もなく、既存のパターン学習が取り入れられています。つまり、学力養成に関しては、シュタイナーにオリジナルはないのです。

これは、現代においては、明らかに、片手落ちです。

この片手落ちが、最後まで尾を引くのです。

現代を自由自在に生き抜けるために、時代が要請している思考力を作れずに育て終えるのですから。

人間形成における普遍的部分は、誰が研究しても、同じ結論に辿り着くのは、当然である。新人類が生まれてくるまでは、人間は人間ですからね。

しかし、時代が求める部分は、その時代を正確に分析した上で、普遍的部分の教育との整合性を持たせることが出来た人のみが作り出すことが可能な分野なので、
どちらにも精通している必要がある。従って、その様な人物に出合うのは非常に難しいことと同様に、時代を反映した教育を確立することも難しいのは言うまでもない。...が出来るんです。

<New Education とは>

21世紀という現代において、子育てと教育を分割せずに、教育を子育ての一部として融合させることで、自然に、無理なく無駄なく効果的に、本当の学力(すべての学カの素)を育てる教育である。

本当の基本と考えられていたのならば、学校で全員に身につけさせていたハズですが、そうではありませんでした。ということは、考える力はオプション扱いだったのです。

なぜ<New>なのかをお話しします。

これまでは、学カは、オプションと考えられて来ました。

もちろん、学校では学力アップをうたってはいましたが、それは基本ではなく、オプション扱いでした。

ですから、学力養成は個人の責任であって、学校の責任ではないのです。なぜなら、それでも、これまでは、オプションがなくとも生きて行くことができたからです。

ところが、現代は全く違う時代になってしまったのです。

感味力と同じように本当の学力も基本として育てなければ、生きて行くことはできない時代になっているのです。

ですから、現代では思考力養成も義務教育の中で完結させなければならないのです。これまでの人間教育の中に、学力養成は入っていなかったのです。ですから、子育てと教育が、バラバラに扱われ、その結果として、子育ては、上手くいっていたのに、教育となると、子育ての考えとは合致しないことを、平気でしてしまうのです。

バラバラ教育がバラバラ人間を育てるのは当然です。

常に、子供は、「育てたようにしか育たない」のです。

シュタイナー教育などは、この点でもハッキリしているので、学力養成事体をカリキュラムに入れておりません。というよりも、シュタイナーには、それができませんでした。すると、当然のことながら、社会で求められている、自由に生きていける人間形成の教育とはズレが生じます。
そこで、時代の要請に対応するために、13学年での学力養成プログラムを付け加えているのです。本来であれば、学力養成も正式なカリキュラムの中に溶け込ませて、正式なカリキュラムの中で、キチンとすべきなのですが、教育を学力を除く人間育てという、狭い人間教育に限定してしまったがゆえに、時代に対応できない教育論にならざるを得なかったのです。教育論ではなく、人間形成論なので仕方ないのですが、世間では<教育>と勘違いしていますし学校まで作っていますので、教育として論じなければなりません。
彼が、学力養成を除外した要因はもちろんあります。彼が知っている学力養成方法であるパターン学習は、幼児・児童期の人間形成において非常にマイナスがあるからです。これは、正しい分析でした。つまり、学力養成は、感情を殺しながら理論的思考ができるようにすることだと考えていたのです。
ここで、新しい学習方法を模索すればよかったのですが、そうはしなかったのが残念です。

この新しい思考力養成方法の開発ができなかったが由に、<子育て>と<教育>という本来は統合されるべきものが、今だに、真逆の方法で進められているのです。
統一された手法には、革命的な統一理論が必要だったのです。

「子育てと教育の大原則」には、この統合された理論が展開されています。

どんぐり倶楽部には、「教育の統一場理論」と「子育てと教育の統一理論」があります。

どんぐり倶楽部は、この思考力養成の中で子育てと全くズレることなく、人間育てと同様の方法で人間的な判断力を伴った思考カ養成の方法を確立させています。

モンテッソーリは、いち早く、学力の重要性に気付き子育ての中にとり込んで来ましたが、残念ながら、その手法は、パターン学習への予行演習にすぎないものでした。
体験を中心に添えるという多少の改善はあったものの、既存のパターン学習から抜け出せたわけではありませんでした。

ここで、少しシュタイナーを弁護します。

高度な理論的抽象思考が、大きな意味での人間形成(Basic humanbeing Education)に必要かと言うと、結論としては、不要です。

ですから、シュタイナーは、高度な理論的抽象思考の養成を正式なシュタイナー教育としてのカリキュラムの中には、取り入れていないのです。

世間という当時の時代もまた、そこまでは、要請していなかったので、  当時はそれで、全体としても良好だったのです。100年ほど前のことですから当然のことでした。
*シュタイナーの生存期間は
*1861.2/27(万延2)〜1925.3/30(大正14年)<享年64才> 
<参考>*1933年:文部省著作兼発行:国語の教科書
kyoukasho

 

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2014年06月11日
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「シュタイナー理論」と「どんぐり理論」の相違点-2

ところが、時は移り変わり、時代の要請するものも変わってきました。

ですが、シュタイナーは一度完結した理論ですので、その変化した時代の要請に応えることは物理的にできません。

一度完結した理論を本人以外が修正することはできないからです。
これを変えるには、シュタイナーそのものを凌駕する理論が必要だからです。

そこで、本カリキュラムではないという建前で、13年目からのパターン学習を設定しています。ここが、オプションと考えられている、時代の要請に対応している部分です。

本来なら、この時代の要請も含めた教育理論を—から作り直すべきなのですが、それをできる人は、シュタイナーの世界には存在しません。シュタイナー教育そのものの根底からの否定になるからです。

つまり、現代で本当に、生きる力を持った人間形成をするには、時代が要請する、高度な理論的抽象思考の養成も、基本的な要素とに取り入れた教育理論が必要であるにも拘わらず、シュタイナーでは、構造的にそれができないということである。

ただし、シュタイナーでは、ある程度のオリジナルの思考回路はできますので、13年目から始まるパターン学習でも壊れない場合が多いので、13年目まで進むことが許されれば、結果は良いのです。これは、当然、予測出来ることですし、検証結果も予想を

ただ、13年目まで行けない子、本来なら行けるハズだった子が途中でリタイアしていることは、現代の中で生きのびる力を持たせてあげられないことを考えると大きな問題を抱えていると言わざるを得ません。

どんぐりは、最初から、高度な理論的抽象思考力養成を取り入れてあります。

どんぐりは、高度な理論的抽象思考力養成をも、生きる力の基礎的な力と考えているからです。

ですから、全ての子供達が、シュタイナーで言うところの13年目に進むことができるのです。

もう一点は、バランスです。
現代の環境を考えると、シュタイナーで育てるバランスは、現代が要する環境には合っておらず、不足していると考えざるを得ない。

つまり、シュタイナーでいうところの、理想的な子は、現代では、自由に生きて行くことができにくいアンバランスな教育を受けていることになるのです。

情が勝って、理が貧しているからです。
昔は、それ位が丁度良かったのですが、現代では、アンバランスなのです。
子供の能力の問題ではありません。
これは、アレンジという調整の問題なのですから、ひとえに、指導者側の役割なのですから。

教育内容によって、育てられる力とその子が生きていく、実際の環境を比べて、キチンとバランスを取ってあげることが指導者の役目なのです。
その点でも、シュタイナーのバランスは、100年前の世間を相手にしているものでなので、現代では、非常にアンバランスになってしまっています。

皮肉なことですが、その時代をよく分析してできあがった優秀な理論であったがゆえの欠点と言えるでしょう。

つまり、現代では、必然的に、非常にアンバランスな子供を育てることになってしまうのです。

この時に、社会が狂っているのだから、この教育でいいのだという人がいますが、どうでしょうか。
社会の中で、自在に人生を楽しむことが出来るように育てることが教育の目的です。少なくとも、そう考えるならば、社会の方に責任を転嫁して、理論に工夫を加えないことは教育そのものを勘違いしているのだと思います。

工夫で対応できることを怠ったと判断せざるを得ません。
実際に、どんぐり倶楽部の理論は十分に対応できているのですから。

もちろん、12才以前の「ヒトから人間へと激変する成長期」に、人間的成長を阻害せずに、高度な学力を育てるには、特別な理論と方法が必要となります。

それを確立したのが「どんぐり」です。
シュタイナーは、これを一切持っていません。
そもそも、高度な理論的抽象思考力養成を、カリキュラムの中で扱っていないのですから、持っていること自体があり得ないのです。

従って、当然ですが、現代では必要とされるこのカを育てるためのカリキュラム自体が存在しないということは、現代には、対応できていないということなのです。

New Education の意味は、前述したように、現代が要請する人間形成の中に高度な理論的抽象思考力養成も、取り込んだ教育理論だからです。

つまり、21世紀が求める高度な理論的抽象思考力養成を含んだ人間形成理論なのです。

今までは、バラバラに教えられていた対局のものを融合し全く新しい1つのものにしてしまった理論なのです。

●どんぐりとシュタイナーが、決定的に似ている部分と決定的に違うところを明確にしておきます。

似ている点は、成長過程に沿った方法で教育を進めている点です。

決定的に違う点は、

どんぐりでは、高度な理論的抽象思考の養成も、最初から組み込んで、無理なく無駄なく、効果的に養成できるように仕組んである点です。

どんぐりは、21世紀に生まれた教育理論です。

つまり、21世紀の子供達を対象に、分析して、出来上がった教育理論なのです。

ですから、新しい時代が要請している、高度な理論的抽象思考の養成も、最初から組み込んであるのです。

そして、それ以外の人間形成の部分では、シュタイナーと同じ結論にたどり着いているので、必然的に同じ様な教育方法となっているのです。


ただし、この部分でも時間的なこと、つまり、子供の成長度合いの変化に伴う修正がされている点は、多少違っています。時代環境の劇的変化が子供達に環境適応という形での変化させたと思われますが、最初の区切りは7才ではなく、5才とするのがどんぐり式です。

さらに、5才までの中でも2才まで、3才まで、5才まで、と区別をします。

この最初の区切りとなる幼児期の、7才とする場合と5才とする2年間の差は、子どもと大人の敏感度を考えると、成人の20年間位にも相当する期間と考えられますので、この違いは、高度な理論的抽象思を育てる準備には非常に重要な期間といえるのです。

この、どんぐりの背比べと思われそうな時期の2年間のズレは、実は、致命的な差を生むことになるのです。

というのも、この期間に、思考の原型となる文字を絵図に移し換える練習を積み、自分のオリジナルの思考のベースとすることを普通にするようになっていると、
思考の準備を無意識に整えることができるのですから、その恩恵は、一生続くことになるからです。

この準備は、その後の高度な理論的抽象思考の形成の基になるからです。

蛇足ですが、シュタイナー小学校に行くための費用
(初年度納入金:約976,000円<学校法人シュタイナー学園:神奈川>)
を考えると、
7年間で7000円、年間1000円しかかからない「どんぐり」は、全世界が取り入れるべき教育であるといえるでしょう。
同じ教材を使えるのですから、2人なら、一人あたり年間500円です。

結果、成果は、山ほどあります。ご紹介しましょう。

 

2014年06月11日
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「シュタイナー理論」と「どんぐり理論」の相違点-3

*「結果の勘違い」*

6才までしか関わっていないのなら、結果は6才時点の人物です。

18才になった子を見て、6才までしか関わっていない人が、それが結果と言うのは、単なる甘すぎる希望的観測です。

アタリマエのことですが、その教育方法の結果とは、その方法を終了した時点での状態です。それ以外にはあり得ません。

幼稚園なら、卒業時の状態が結果です。

小6までの指導なら、小6卒業時の状態が結果です。

幼稚園中心で、比較するならば6才です。

どんぐり倶楽部中心で、比較するならば12才です。

どんぐり倶楽部の結果は、ブログでたくさん知ることが出来ます。

優しく、穏やかで、丁寧で、感情と姿勢のバランスが良く、本当の学力が育っています。

パターン学習の猿真似思考ではなく、オリジナルの自分の考え方で、複雑な問題を根気よくとくことが出来る力も有しています。

いくらでも、例は見ることが出来ます。

どんぐり式だと、目の前で子供の状態が手に取るように分かります。

何が育っていて何が育っていないのかも分かります。

こんな方法が他にあるのだろうか?

あるのなら、教えて欲しい

ないのなら、なぜ「どんぐり」を使わないのだろうか?

子供の状態を見たくないのだろうか?

親が一番見たいのが、子供の現状ではないのだろうか?

●目の前で、検証できることだからしましょうか。
*まあ、どんぐりっ子みたいに、塾なしで中学受験、高校受験、大学受験をする場合は。そのまま<結果>といっても、まあいいでしょう。
これが、塾に行ってるのならば、原因の特定はできません。
幼稚園や小学校で面倒を見た子供が東大に入ったからといって「それが、結果」だなんて思ってるお目出度い人は何も分かっていないってこと。

<結果の検証方法>
*各学年での<結果・成果>を見たい場合は、比較する双方に、どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」をしてもらえば、その場で分かります。どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」は、単なる算数の問題ではありませんので、解ける解けないには一切関係なく、その子が、どのように育っているかが判断できます
*同じ問題で、反応の違いが、その子達の状態の違いだからです。問題に慣れている慣れていないというのは全く関係ありません。どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」でなくても、初見で複雑なもので思考力を試されるものであれば、反応は同じですが、「良質の算数文章問題」なら、読解力、理解力、推理力、理論的推理力、計算力、忍耐力など、様々な初所見を得られます。
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さて、ここで、オランダのシュタイナー学園に3人のお子さんを通わせている方からのメールと京田辺シュタイナーの保護者の手紙とを添付します。
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オランダからのメール
<前略>
一日漢字一文字を大きく片方のページに書かせてそこに息子がイメージした絵を描き、もう片方のページには書いた漢字を使った短い文を書いて終わりにしています。この方法にしてから漢字の勉強が楽しいと言うようになり、ノートは宝物になりました。
●どんぐり倶楽部には、学力に関するあらゆる革命的な方法が、普通にあるのです。(Itoyama注)

相変わらずどんぐり問題には悪戦苦闘していますが、
算数だけでなく国語の力もつく問題だと思いますのであせらず、じっくり取り組ませようと思います。今はとにかく学ぶことは楽しいという事を
教えたいです。私はこちらの教育事情には詳しくはないのですが時代の流れなのか、シュタイナー学校は以前より公立化してきているような気がします。
息子のクラスは他の学年と比べ生徒数が多く、先生一人では十分に子ども達の様子を把握できない状態です。

また表面的な学習効果を求める父兄が非常に多く先生にもそれを期待しているようです。 息子の話では確認学習のため度々大量の計算問題をタイムを計ってさせたりしてきたそうです。 

また指折り算はやめて暗算をするようにと繰り返し注意されたとも.....。 (息子は未だ指折り算です。)
以前ではとても考えられなかった事がシュタイナー学校の中でも起こっています。

●これが、時代とのズレに対応できないシュタイナーの進まざるをえない道です。
*現在のシュタイナーは、ここに目をつぶって、頑なに時代に取り残された古い人間的な成長だけでいいんだという古典主義を貫き通すか、
既存のパターン学習を取り入れるしかないのです。残念ながら、シュタイナー教育は、シュタイナー教育を標榜する限り、既に崩壊していると言わざるを得ないのです。(Itoyama注) 

もしかしたら知らなかっただけで以前から同様の事はあったのかもしれません。
でもまわりで何が起こってもやはり「自分の子どもは自分で守る」しかないのですね。

どんぐり先生のおかげで覚悟ができました。ありがとうございました。

先生がご多忙なのにとりとめのない文章を長々と書いてもうしわけありませんでした。まだまだ勉強不足を感じています。これからも先生のご本やHP.過去ログで勉強を続けさせていただきたいと思っています。どうぞ宜しくお願いいたします。先生もどうぞお体をお大事にお過ごしくださいませ。失礼いたします。

<返信>
「どんぐり倶楽部」のItoyamaです。
●日本でもお母さんは大変ですが、外国では尚更ですね。ですが、人間育てです。「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」いきましょう。
シュタイナーは人間が生まれてからも進化すること(脳内進化)に気付いていただけで理論や学習方法を確立してはいません。
理論は中途半端ですし学習方法は素人です。ですから、教育の指針にブレがあります。丸ごと受け止めるという大前提が正しかったのが救いです。
が、それ以上ではありません。最初にシュタイナーについて読んだとき(私は人智学から入りました)にピンと来ました。
時代の要請(教育ではなく調教の要請)を凌駕することは出来ないだろうと。
見せる教育と同じように見せない教育が大事であることと同様に、させる教育と同じようにさせない教育も大事なんです。
「できるからさせる」「できるようにさせる」は幼児・児童期には非常に危険なのです。
●お母さんはお子さんと一緒に元気にならなければいけませんよ。
もしも、日本に戻られる予定があるのでしたら、小学校の算数の教科書を全学年分揃えておくといいですよ。
半年もあればマスターできる内容であることが分かります。では、また。

<返信>
どんぐり倶楽部・どんぐり先生:どんぐり先生 こんにちは。お忙しいなか 早々にメールをいただきありがとうございます。先生のあたたかいお言葉におもわず涙がこぼれそうそうになりました。先生のお考えをお聞きして、今まで感じてきた疑問がようやく解けた思いです。遅すぎたかもしれません。でも私にはそれだけの時間が必要だったのかもしれないと思っています。

初めて、どんぐり倶楽部さんのHPに出会った時、暗闇のなかにひとすじの光が見えたように感じました。
それが今は確信に変わりました。
うまく言葉に表すことができませんがそのように「感じた」のです。
これからは迷う必要なく歩んで行けます。
「どんぐり」でこどもと一緒に元気になります。
どんぐり倶楽部とどんぐり先生に出会えたことを、心より感謝しています。


今、オランダはとちの実がたくさんなっています。こちらではKastanje(カスタンイェ)と言います。花屋さんやスーパーの野菜コーナーにはオレンジ色のかぼちゃPompome(ポムプン)が所狭しと並んでいます。四季の変化が少ないオランダで唯一秋を感じさせるものです。日本も秋風の涼しくなってきた頃でしょうか。先生もどうぞお体をおいといください。

京田辺シュタイナー>
別メールにて

<どんぐりの学年別結果>
別メールにて

*結果の比較は、初見の問題を比較したい子供にさせてみて、その時の問題に向かう態度を見れば一目瞭然ですよ。

●読書や絵や音楽では、バランスのとれた実感のある逞しさは出てこない。
 日本発21世紀対応最先端教育理論=DONGURI-THEORY

■KEEP
→感味力
→SasenaiEducation
→ Basic Humanbeing Eduation
*0〜2〜5

*0〜2:生命維持のための進化=助け守るために対応する保護者→安定回路

*2〜5:一般的な体験を個人の原体験(あらゆる力の源)として蓄積する。

実体験と言葉を毎日染み込ませるように日常を味わいながら感じながら生活すること。

「ゆっくり、ジックリ、丁寧に」言葉を添えて全ての力の源となる感情と理論を固く繋げる体験がこの期間に出来ていることが人間として進化する必要不可欠な要素である。

この時期にしか出来ない最も重要な日常生活となる。この時期には、自然な日常生活以外にすべきことは何もないし、余計なことをすべき時期ではない。

→反射〜お手本〜説得〜納得
→安全〜安心〜:安定=入力準備

◎満足回路→納得回路(お手本)

◎お役立ち回路<有能感>は「助かったョ」の一言で作り上げることが出来る。

◎人間が育てた言語文化は丁寧な会話が基本であり、この時期の丁寧な生活が全ての源。

■PREPARE:理論思考への移行準備=ゴールデンエイジ
→Go1den Age(5~6)移行準備十HQLT(High Quality Logical Thinking)

■LEAD
→Hop
→6〜9
→多種多様な思考回路作成:具象思考(言葉を使いながら具体物&半具体物=絵図で考え抜く)

■WAIT
→Step
→9〜12
→応用
→思考の忍耐力<重要>:抽象思考をしながらも、具象思考で多彩な視点を増加させる。

仕上げとなる人間的な判断力を含む高度な理論思考を思考の忍耐力も備えた形で完結させる。

*この仕上げの時期を逃すと、判断力が伴わない残念な結果となる。

■ADV1SE
→Jump
→12〜15
→buid up yourself
→independent:自己確立期(オリジナルの判断基準を日常生活で検証し自分の言動基準とする)
→高校受験を使って問題解決方法を会得する

■WATCH
→15〜18
→For Social man
→Trying
→Challenging
→成人式:18歳の成人式(経済的自立)を推奨します。

*支度金制度の考え方と実践方法


*シュタイナーとどんぐりの相違点〜時代という環境を加味した人間教育〜

 普遍的部分(感味力)( basic humanbeing education)
+時代が求める部分
=その時代で生きる力を持った人間

 シュタイナー(お題目)
+高度な理論的抽象思考力
=21世紀の教育
=Total Balance Education
=どんぐり倶楽部
※HQLT:High Quality Logical Thinking

Basic + HQ = DONGURI-THEORY

●通っているシュタイナー関連の園・学校などとは関係なく、
 シュタイナー教育に危機感を抱いている保護者のために、
 特別な修正方法があります。
 カルテを添えてご相談下さい。
<donguriclub@mac.com>

補足PDFファイル

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